第16話 檄
空が白み始め、あたりを薄ぼんやりと照らし出す明け方前の時間。
ソウケンの屋敷にはビュッビュッと何かが空を切る音と、ソウケンの荒い息遣いが響き渡っていた。
見ればソウケンが庭先で木刀を振っているではないか。
ソウケンはこうやって一晩中、己が内の不安を拭い去らんと、慣れぬ左腕で木刀を振り続け夜を明かしたのだ。
久方ぶりに振る木刀に、ソウケンの手の皮は剥がれ血がにじみ出ていた。
しかし、それすら厭わず一心不乱に木刀を振るう。
何千回目、いや何万回目かの素振りでソウケンの木刀がピタリと止まった。
わずかに遅れて、屋敷から村まで続く森の道からアカツナの声がかかる。
「精が出ておるな」
声を掛けられたソウケンは息を整えつつアカツナと向き合った。
庭先に立つアカツナは着物の裾を襷で留め、額には黒の鉢金を巻いていた。
「これはお見苦しいところを見せてしまいました。アカツナ様はこれからだんじょんへ参られるので?」
「ああ。その前にソウケンにも一声かけておこうと思ってな。……どうだ、共に行かんか?」
利き腕を失っている男に対して何かの冗談かと思うが、アカツナの眼差しは真剣そのもの。有無を言わさぬ迫力と真剣さが込められていた。
その言葉にソウケンは一瞬たじろぎ、言葉が詰まる。
「い……いえ、このような身ゆえ、付いて行ったとしても、ただただ足手まといになるのが関の山……」
どこか後ろ暗いことがあるのか、ソウケンは俯きボソボソと言い訳を述べるかのように呟いた。
それでも、アカツナは真摯にソウケンと向き合う。
そこには執念を通り越して情念にも似た言い知れぬ感情のような物が含まれているように見える。
「ソウケンが……ソウケンが本気になれば、かつて見たあの大斑での戦の時のように……」
「やめてください、アカツナ様。拙者の戦いは彼処で終わったのです。もう血を見るのは御免なのです。どうか……どうか……ご容赦を……」
ソウケンは沈痛な面持ちで深く頭を下げた。
それでもアカツナは執拗にソウケンを戦場へと誘う。
「しかし、あの力があらば!! あの……」
「アカツナ様っ!!」
思いもよらぬソウケンの怒声に、アカツナはびくりと肩を振るわせ、我に返った。
ソウケン自身も予想だにしない声が出てしまったことに驚き、取り繕うように言葉を続けた。
「大声を出してしまい、申し訳ござらん。しかし、拙者はあれが眠りについている今、無理に起こしてやりとうないのです。もう……誰も傷つけさせたくはないのです。どうか……どうか……ご理解ください」
アカツナは地に伏そうとするソウケンの肩を抑え止めに入った。
「あぁ……そうで、そうであったな。ソウケン殿が此処へ来たのは俗世の争いごとから離れるため……私としておった事が失念しておった。すまん」
口惜しそうに肩を落とし、アカツナは来た道を戻っていった。
その後ろ姿にソウケンは掛ける言葉を知らない。ただただ黙ってその背を見送った。
しかし、数歩進んだところでアカツナの足が止まり、振り返ることなくソウケンに語り掛けた。
「……私は、あのセキワンが戦に出るのを待っておるぞ!!」
それだけ言い残し、アカツナは「御免」と颯爽と駆け出しすと、ソウケンの前から去っていった。
完全に夜が明け、東の空に太陽がいつものように昇る。
ソウケンはぼんやりと縁側に座り、森の様子に耳を傾けていた。
だが、聞こえてくるのはいつもの穏やかな木々の騒めきだけ。森の奥深く、ダンジョンがどうなっているのかは計り知れない。
本日、何度目かの溜息をついた時、蝋を塗り忘れた戸がガタガタと音を立てて開いた。
確かめるまでもなく、この時間に来るのはタマだ。
「あらら、いつになく黄昏ちゃって、まぁ。どうしたってんです、何かあったんですかい?」
これまでの経緯を知らぬ、タマは野太くも能天気な声をソウケンへと掛けた。
「……ん、ああ。まぁ、少しばかり、な……」
ソウケンは目線を森から外さず、歯切れ悪く答えた。その返答にタマは異変を感じソウケンへ詰め寄る。
「あら、姉御は? 姉御は、もう出ているんですかい?」
「…………」
「黙ってねぇで答えてくだせえ」
タマは背後からソウケンの肩を揺する。
「……リッカ殿は帰っておらんのだ、昨日から」
「そ、それって大丈夫なんですよね? いつもの事なんですよね?」
タマの質問にソウケンは黙って首を振った。
「それは、どういうことなんですか!? 黙ってないでちゃんと教えてくださいよ!!」
縋るように肩を掴むタマとは、一切目線を合わさずソウケンは小さな声で話し始めた。
「リッカ殿を探すために今、スクザ殿とアカツナ様達が森の奥へと捜索へ向かっておる。……だから、大丈夫だ。……心配は、いらん」
力なく項垂れるソウケンにタマは苛立ちが募るばかりであった。
「それで? ソウさんは一体ここで何をしているんで?」
「祈っておるのだ。リッカ殿が無事に……皆が無事に戻るのを……」
そう言うソウケンは何かに助けを求めるような表情を浮かべ、目を閉じた。
その姿を見てタマの堪忍袋の尾がいよいよ切れた。
「……はぁ!! 何言ってやがんだ!!? あんたそれでもオイラが憧れた侍かっ!!? いつからアンタは神主になったってんだ?」
タマの方を見ようとしないソウケンの肩を力づくで捻り、問答無用に自分の方に体の向きを返させた。
「……やめてくれ、タマ。私のこの様を見てみろ……。こんな成りで何が出来ようか……」
「……ふっざけるんじゃねぇ!! あんたにゃ、まだやれることがあるだろ!?」
タマはソウケンを置いて一度屋敷の奥に戻ると、刀を持ってソウケンの前に再び立った。
そして、手に持つ刀をソウケンへと突き出す。
「……オイラは悔しい。悔しいんですよぉ」
タマの真剣な瞳には涙が溢れ、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
「ソウさんの誰も傷つけず生きて行こうって考えは立派ですぜ? でもさ……でもさぁ、そうやって言い訳ばっかりして……。逃げて。その間に誰かが傷ついても良いんですか? 助けられる命が消えて満足なんですか? それがソウさんの望みなんですか?」
しまいには、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「わかってますよ。ええ、わかってますとも……ソウさんがどれほど、この刀を使いたくないのかって事も。争いごとが嫌いだってことも、全部……。でもよぉ、もう一つオイラにゃ分かってることがあるんです。それはね……ここで立たなきゃ、あんたは今以上に後悔するってことだ!! この弱虫のおたんこ茄子のバカ野郎の唐変木の……」
「タマ……。もう良い……もう……」
ソウケンはタマが握りしめる刀に手を置く。
「本当にお前にはいつもいつも世話を掛けるな」
刀を強く握りしめタマから刀を貰い受ける。ソウケンの瞳に覚悟の火が灯った。
「……まったく、本当に世話の焼ける人ですよぉ」
そう言ってタマは涙を着物の裾で一気に拭い去ると笑って見せた。
ソウケンは受け取った刀を腰に差すと、早速森へと向かおうとするが、タマがそれを止める。
「ちょいと待っておくんなせぇ。こんなことも在ろうかとぉ……」
再び屋敷の中へと戻り、納戸の中の物を次々と放り出してゆく。
その様子を頭に疑問符を浮かべながらソウケンは黙ってみていた。
しばらくすると、埃にまみれた姿で「あった、あった」と、黒漆塗りの大きな箱を持ち出してきた。
ソウケンは見覚えのない黒塗りの箱に訝しげな表情を浮かべる。
「それは?」
「エヘヘへへ。良いもの、良いもの」
タマは悪戯っ気に笑うのみで答えようとはしなかった。




