第15話 帰らぬ夜
ソウケンが異変に気付いたのは、夜五つを回ったあたりであった。
一人の夕餉を終え、今日知り得た情報をリッカに伝えようと帰宅を待っているのだが、リッカが一向に戻ってくる気配がないのだ。
「むぅ……遅いな」
心配になり、ソウケンは玄関の戸を引き外を見る。辺りはいつも通りの静寂。月明りが森の木々を黒く黒く染め上げていた。
その風景を見てソウケンはリッカの帰りが、いつになるのか聞いていなかったことを深く後悔した。
ソウケンの脳裏に最悪の事態がよぎる。
しかし、いつぞや見たリッカの剣の冴えを思い出し、いやな予感を打ち払う。
そんなことを繰り返すこと二十を超えたあたりか。
ソウケンは、小袖のみの着流しで帯に打ち刀を差すと、草履を履いて簡単な身支度を整えた。
そのまま玄関に向かうと提灯を取り出し、火を入れる。
向かう先は、アカツナの屋敷だ。
あそこには事情を深く知るスクザがいる。
ソウケンは彼に話を聞いてもらい「リッカなら大丈夫だ」という確証がほしいのだ。
森の小道を早足で行く。そんな彼を梟が急げ急げと急かす様に森のどこかで鳴いていた。
よほど急いだのかアカツナの屋敷には一刻ほどの時間で着いた。
しかし、すでに時刻は夜の四つ。ほとんどの者は眠りについている。
それはアカツナも例外ではなく、屋敷は火の消したようにしんと静まり返り、門戸は固く閉ざされていた。
ここにきてソウケンは就寝中のアカツナに迷惑がかかるのではないか、という迷いが出て、門戸を叩く手が止まってしまった。
だが、やはり頭の中を支配するのはリッカの安否。
意を決して門戸を叩こうとした時、思いもよらない声が背後からかかった。
「むむ? そこにいるのはセキワンか? ガハハハ。こんな夜遅くにどうしたんじゃ?」
ソウケンの背後に立っていたのは、赤ら顔で上機嫌に笑うスクザであった。その手には藁で編んだ縄に繋がれた通い徳利を持っている。
「おお、スクザ殿。ちょうど良い所に来られた。少しお尋ねしたき事があったのだ」
ソウケンの様子にスクザのゆるみ切った顔が途端に引き締まる。
「どうしたんじゃ?」
「いや……リッカ殿の事だから大事ないと思うのだが……。彼女が未だ戻っておらんのだ。これは冒険者なら普通の事なのだろうか?」
それを聞くや、スクザは大事に持っていた徳利を投げ捨て、門戸の横に作られている潜り戸から急いで屋敷の中へと入って行った。
その姿から、ただ事ではないと察したソウケンも後を続く。
スクザは、すでに屋敷の中。
「アカツナ!! アカツナ!! 寝とる場合じゃないぞ!!」
ドスドスと土足で屋敷に上がり、アカツナの寝間を目指していた。
「もう……こんな夜中にまた酔っぱらってぇ」
スクザの怒声を聞きつけアカツナの奥方サエが迷惑そうに廊下に出てきたが、スクザはそれを押しのける。
「酔っておらんわっ! 一大事じゃ! アカツナ!! さっさと起きてこぉおい!!」
隣近所まで響き渡るような怒声に、アカツナが寝巻姿でやっと現れた。
いつもは眼帯で隠されている左目もそのままになっているあたり大急ぎで出てきたのが分かる。
「ど、どうしたというのだ、スクザ殿」
「一大事じゃ。先生が森から戻っておらん」
それがどれほどの危機なのか理解できないアカツナは、狐に摘まれたような顔でスクザを見た。
その反応にスクザが苛立ちを見せる。
「ああ、もう! 分からん奴だな!! ワシらは冒険者だが、危険を冒すバカではない! いいか、よく聞け。今回のようなイレギュラーなダンジョンに挑むなら、本来パーティーを組んで慎重に挑むのが定石……」
よほど焦っているのかスクザの言葉の中には、アカツナが理解できない言葉がいくつかあった。それでも、火急のようだと理解はできる。
「しかしじゃな、今回は、お前らの王がヤマトに来られる者の人数を絞ったせいで、野干ヶ森のダンジョンに挑めるのは先生しかおらんのだ。だから、いつも以上に先生は、細心の注意を払ってダンジョンに潜っておったというのにっ! それが、この時間になっても帰ってこんということは、何か先生の身にあったに違いない!! ……ああ、こうしちゃおれん」
スクザは一通り言いたい事を述べたのか、くるりと踵を返して自室に戻る。
そのスクザの慌て様をただただ眺めていたサエと、そのサエの後ろに立つソウケンを無視して奥の間へとスクザは消えていった。
そこでソウケンは、アカツナと目が合う。
「夜分遅くに申し訳ありません。リッカ殿の帰りが遅いので尋ねてまいりましたら、丁度そこでスクザ殿に会いまして……」
ソウケンは申し訳ないとへ頭を下げようとしたが、アカツナがそれを手で制す。
「いや、報告かたじけない。異国の客人を蔑ろにするなど以ての外。ソウケンの尽力に感謝いたす」
アカツナとソウケンが会話をしている間に、大急ぎで装備を整えたスクザが現れた。
魔獣の皮で出来た鎧に大きな二本の角の付いたバイキングメット。背には巨大な戦斧を背負っている。
その出で立ちにサエは驚き、アカツナはスクザが何をしようとしているのかを理解した。
「スクザ殿。落ち着くのだ。い、今しばし、待たれよ。すぐに私の所の門弟を集め……」
「ええい。そんなもの待っておれるかっ!! ワシは先生を助けに行く!!」
スクザは駄々をこねる子供のように地団太を踏むが、それは相撲取りの四股踏みのように力強く、今にも床が抜け落ちそうになっていた。
このまま頭に血が上ったまま死地に出向いては、どうなるかは火を見るよりも明らかであった。
「あのぉ……」
ソウケンがスクザに声を掛けると、キッとするどい眼光が返される。
しかし、そこで臆するソウケンではない。
「リッカ殿がいつも夜分には戻ってくるのは何のためでござろう? 拙者が思うに夜のだんじょんは、危険なのではござらんか?」
「ああ、セキワンの言う通りだ。モンスターの中には夜になると狂暴化する者が数多くおる。だから、先生はいつも……」
「ならば、今しばらく待ちましょう。でなければ、救える命も救えませぬ。今、スクザ殿がだんじょんに入られて遭難でもされようものなら、他の誰がリッカ殿を助けられましょうか? 落ち着いて考えてください」
ソウケンは優しく諭す。それはリッカがスクザに語りかけるのと似ていた。
ソウケンの問いにスクザの焦りの火がわずかばかり小さくなる。
「しかしだな、先生が……」
「大丈夫……リッカ殿なら大丈夫ですとも。一度だけでしたが私はリッカ殿の剣を間近で拝見しました。あの剣の冴え、あの身のこなしの速さならば、どんな物の怪にも引けを取ることはござらん」
その言葉の後ソウケンはもう一度小さく「……大丈夫」と自分に言い聞かせるように呟いた。
一度大きく息を吐くと、スクザはソウケンの姿を上から下までじっくりと眺めた。
ここまで急いできたであろう事が、ソウケンの姿が如実に語っていた。
足袋は破れ、小袖の着付けは乱れ、襟と脇の部分は汗で色が濃くなっていた。
それにソウケンの握りしめた拳だ。何かに耐えるように閉じられたその拳は小刻みに震え、血が止まり白く変色していた。
その姿を見て再度大きく深呼吸をしてスクザは落ち着きを取り戻した。
「フゥ……。取り乱してすまなかったの。このような姿、先生に見られでもしたら叱られてしまいそうだな」
そう冗談を言えるくらいには冷静さを取り戻したスクザが力なく笑う。
「いえ、スクザ殿の気持ち、痛いほどよく分かりもうすゆえ……アカツナ様、いつごろリッカ殿を探しにまいられそうでしょうか?」
「ん……あぁ。これから、門弟たちに声を掛け、日の出とともにだんじょんに入ろうと思うのだが、どうだろうか?」
アカツナはダンジョンの専門家たるスクザへ判断を仰ぐ。
「ああ。それで問題ない。今回は緊急事態じゃ。ワシも一緒にダンジョンに入るからな。皆ダンジョンの中ではアカツナではなくワシの指示に従うよう、よおく言って聞かせておいてくれ」
「あい承知した。では私はこれより門弟の家を尋ねる。スクザ殿はしばらしの間休まれよ」
「おう。そうさせてもらおう」
流石は大陸で冒険者ギルドのマスターを務めている男だけある。腹を決めたスクザは実に頼もしかった。
落ち着き払った様子で自室へと戻って行く。
これからスクザはダンジョンに入り戦うための体力を存分に残すため、これから仮眠を取るのだ。
そしてアカツナは、と言えば寝巻の上に厚手の羽織を着こむと急いで屋敷を後にしていった。近くに住む門弟たちの家を回るのだ。
奥方はアカツナを見送ると台所へと急いで入る。これから出陣する主人と門弟のために握り飯を用意するためだ。
一人廊下に取り残されたソウケンは、もう、この場で自分の出来ることは無いと悟り、アカツナの家を出ることを決めた。
ここに来るまでは気付かなかったが夜風は冷たく、闇は深い。
一人歩く帰り路に、リッカよ、どうか無事に……と願いながらダンジョンのある地、野干ヶ森の我が家へと帰って行った。
それが自分のできる精一杯の事だと言い聞かせるように……帰るソウケンの背は小さく見えた。




