4-6 こいつほんとにいい性格してやがる(4/4)
「え? はい。なんでしょう」
「お気に障るかもしれませんが……、その時はどうか老人の戯言として忘れてくださいね」
いやいや、ニコラス様はまだ全然老人て年でもないんだけどなあ……。ていうか、その前置き怖くない? イヴァン様も、何事かと訝し気にニコラス様を見ていらっしゃる。
「これは仮定ですが……もし、クラリス様が若様とご結婚なさらずとも幸せに暮らせる道があるとすればその時は……アリスさん、あなたが若様を選んでくださる、ということはあり得ますか?」
「へ!? え、若様を!? え? 結婚相手として、ってことですよね!?」
とんでもない方向からとんでもないパスが来たんだけど、何が起こったの!?
いや確かにね? 私はここの公爵邸に来た初日に、奥様に若様兄弟のどちらかと婚約してはもらえないかって言われたよ。でもそんな選択肢は、もうとっくの昔に頭から外してたよ……。
え、今、このタイミングでその話を掘り返すの!?
「ええ、そうです。ご存じのとおりクラリス様はお身体が弱く、若様と婚姻が成立しなかった場合お立場がどうなるかわかりません。ただ……私は、クラリス様は若様がお引き受けする以外の方法で穏やかに暮らすことができないわけでは決してないとも思っているんです」
……イヴァン様と結婚……ねえ……。そもそも私はイヴァン様との婚約については、本気で考えたことがない。だって、奥様にそう頼まれた直後に本人にバッサリ断られちゃったもんね。
しかも私はエンテ邸でクラリス様と実際にお会いしたり、そこでイヴァン様の『生涯彼女を守る』という意志の固さも見たんだよ。私がイヴァン様を結婚相手としての選択肢から完全に外したのがいつかと問われれば、多分あそこの時点だと思う。
じゃあ、もし……そのクラリス様にまつわる事柄を全く考慮しない、という前提で改めてイヴァン様との結婚は可能かどうか、もうよく一度考えたら……?
「アリスさんは使用人としてとても努力なさっていて、人を使う立場になっても下の者の立場を考えられるいい女主人になるでしょう。語学にも秀でられておられて若様のお仕事のサポートもできます。社交などまだ不得手なところもございますが、そういったところは少しずつカロリーナ奥様にご指導いただければいいかと。将来この公爵家の若奥様としてご活躍なさるには十分な資質をお持ちだと、私は思いますよ」
それって……私がここへ来て一年の、私の仕事ぶりをほめてくださってるってことだよね? それも家令のニコラス様が……。
私がイヴァン様との結婚は絶対無理と思っていた理由はクラリス様のことに加えて、公爵夫人なんて自分に務まるわけがないと思っていたからでもある。
地位や名誉を求める人にとっては魅力的かもしれない『公爵夫人』の椅子……そこへ座るチャンスがあるのに自分から手放すなんてとんでもない、なんて言う人もいるかもしれないけど。でもね……カロリーナ奥様を見ていてもわかるけど、公爵家夫人って椅子に座ってふんぞり返ってるだけじゃないんだわ。実務も多いし周りへの影響力も強いし、責任もとんでもなく重い。
ここに来てすぐの頃は、自分がそんな立場になるなんて全然想像できなかっただろうと思う。
でもね、今なら……少しだけなら、その姿が想像できるよ。
だって結局は立場というか役職が今と変わるだけで、実質今一緒に働いているこの公爵邸の使用人のみなさんと一緒に『公爵家の運営』『若様をお支えする』っていう仕事をするってことになるわけだもの。みなさん本当に優秀でしかもいい人たちばかりだし、職場の雰囲気も本当にいいんだよね。
ここの皆さんに助けていただきながらなら、私にも絶対にできないってわけではないかもって思える。もちろん、大変なことには変わりないと思うけどね。
「なにより……若様がアリスさんのことを何かと機会があればお傍にお召しになりますし、その際には殊更楽しそうになさっているように見受けられますよ」
……ん? ええ? それはどうなのかな……? イヴァン様って使用人皆に優しいし。別に私だけってことは、なくない?
「いや待て待て。いくらなんでも荒唐無稽な質問すぎる! ニコラスにしては冗談がキツいぞ。俺にはクラリスがいるんだからな!!」
「若様は今はちょっと黙っていてください」
「え……怖い。なんか叱られたんだけどなんで?」
いや、叱ってはいないと思うけどなあ。ていうかそこで私に助けを求めるところがダメなんじゃないのイヴァン様。ほら、ニコラス様の笑みが一段深くなったよ?
「アリスさん、もう一度お尋ねします。もしクラリス様のことが別の方法で穏便に解決したとして、そして……そうですね、仮に若様ご本人がアリスさんに婚約を申し込んだとします」
「いやほんとに待ってくれニコラス!! どうしてそうなる!?」
若様が目に見えて焦ってる。確かに私本人を目の前にしてその仮定はなかなか気まずいよ、ニコラス様の真意もわからないから余計に。
……でも私は、若様があまりに慌てすぎてて逆になんか冷静になってきたわ。ニコラス様はイヴァン様を完全に無視して再び私にだけ語りかける。
「その場合でも、あなたはエド様をお選びになりますか?」
「………………」
う~ん。う~……ん……。……イヴァン様と夫婦になってこの公爵邸の女主人か……。
もし仮にクラリス様のことが解決して、公爵夫人としての実務もなんとかなると仮定すれば、あとはもう純粋に……自分がイヴァン様の妻になるか、エド様の妻になるか。どちらの姿の方がより自然に想像できるのか、っていう話になるわけなんだよね……。
一年前にこの公爵邸に来た頃には、そもそも私なんかが若様兄弟に見初められるなんてありえるわけないじゃん? って思ってたよ。
でもね、実際はイヴァン様は私ともまるで対等な友人かなってくらいにこうして気さくに話してくださってさ。一緒にお話ししていて楽しいと思うし、それに頼ってもらえたりすると結構嬉しいんだよ。 口は悪いけど根は優しくて真面目な人なんだよねえ。正直、ちょっと放っておけないところもあるなと感じてるのも事実だよ。
それに私は旦那様と奥様も好きだし、この公爵邸の雰囲気も大好き。今日みたいにイヴァン様と二人なんだかんだ言い合いとかしながら、周りの皆さんに支えてもらいつつ公爵邸の運営をやっていく。
それも、絶対に無理ではないかもしれないね。
でもね……エド様のことを思い浮かべると、どうしても……。
だって私を窘めて頭をなでる大きい手とか、お見舞いに贈ってくれた花だとか。そういう一つ一つは小さなことだけど、彼が私にくれた幸せの種は今、私の胸の中で確実に芽吹いている。だからエド様といるときって、ひだまりみたいな……お兄様といるときに似た安心感と心地よさを感じるの。
それにエド様が出かけた先で私に対して『アリスちゃんが好きそうだと思って一緒に来たくて』とか言う時とか、いつも本当に幸せそうに笑うんだよ。だからきっと……、私たちは同じ気持ちなんだと思う。
それにね、安心とか話が楽しいとかそれだけじゃない。最近二人だけでいるときとかたまに、私に向ける視線が甘くてとろけるような熱を帯びてると感じることがある。
いわゆるあれだわ、お兄様がお義姉様に向ける視線みたいな……なんていうのかな、『湿度高い感じ』、あるじゃん、ね?
エド様の視線の強さと熱さにあてられて、つい私も思わず顔が熱くなっちゃうんだよね……。で、私がそんな状態なのを見てエド様も何かを察するのか、わざといつものへらへら顔になって誤魔化したりもする。
…………ほんと、なんなのかなあの人……!
あーでもなー! 多分、私のことを特別に思ってくれてはいるんだと思うんだよ、思うんだけどもしその辺りが完全に私の勘違いだったらどうしよう? 自意識過剰だよね!? そんなの恥ずかしすぎる!!
そりゃあね、ニコラス様も『エドさんがアリスさんに好意を持っていることはわかりやすい』とか言ってたし、イヴァン様だって『本命』とか『エドの方が惚れこんでる』とか言ってたよ?
でも私もニコラス様もイヴァン様も、みーんな勘違いな可能性もあるじゃん!? もしエド様に普通のトーンで『可愛い妹みたいに思ってるよ』とか言われたら私はどうすればいいの!?
……ん? ちょっと待って? ということは私……、エド様に妹扱い、つまり恋愛対象外として扱われるのは不服って思ってるってこと……?
だよね……? そういうこと……?
つまり、そういうこと……!?
「……あああ……!!」
だめだ、自覚してしまった途端ものすごく恥ずかしい!
思わず反射的に両手で顔を覆ってしまったけど、絶対今私の顔は真っ赤になってると思う……! 黙り込んだ上にいきなり挙動不審になった私を、ニコラス様とイヴァン様がどういう顔で見てるか確かめたくない!
「あの、あのですね……。ニコラス様も、イヴァン様も……エド様は、私のことを特別に想っていらっしゃると……そう、お考えなんですよね?」
「そうだな。間違いないだろ」
「ええ、そうですね」
「私、お二人のお言葉をきいて、そうであったら嬉しいなって思ったんです。……いや、違うな、そうであってほしいって思っているとわかったんです。……それはきっと私自身が、エド様のことを……その、特別に、お慕いしているから……です、よね…………」
「………………ふふ、そうですか。わかりました。アリスさんは、その選択をなさるんですね」
私が恥ずかしくて死にそうになりながら絞り出した答えを聞いて、ニコラス様はくすりと笑った後、穏やかな笑顔でうなずいて私に頭を下げた。
「……若様とアリスさんがこうして並んで仲睦まじくやり取りなさっているのを拝見して……アリスさんが若様とご結婚なさって、この公爵邸の若奥様になり私どもがあなたにお仕えする……。そういう未来を、夢を一瞬だけ見てしまったのですよ。……本当に不躾なことをお尋ねして申し訳ありませんでした。どうか忘れてください」
う~ん……確かに公爵夫人になったらこの公爵邸っていう最高の職場に、文字通り≪永久就職≫することになるもんねえ。優しくて優秀なニコラス様たち使用人の皆さんたちと一緒にこれからもずっと若様をお支えしていく、そういう未来もね……確かに捨てがたいし決して悪い話ではないとも思うんだよ。
でもね、もうエド様をお慕いする気持ちの方が大きくなっちゃってるって自覚しちゃったんだ。
あ~……うん、まいったなこれ、ほんとにどうしよう。
「そうか……、そうかぁ…………。よかったなぁ、エド……」
イヴァン様の方を振り返り、私は思わずぎょっとしてしまう。彼の目が少しだけ、潤んでいるように見えたからだ。
「アリスにちゃんと想いが届いてたんだな……。ほんとお前ら、幸せになれよ…………」
そっか……この人、そんなにエド様のことが大好きなんだね……。泣くほど。いや、泣いてはないけどね、涙目なだけだけどね。
でも、それくらい嬉しいんだなと思うと、私もちょっと胸が熱くなる。
……エド様ってほんと慕われてるんだなぁ。貴族社会ではそれこそ跡取り問題とかの権力争いで近しい親族と揉めることなんてよくある話だけどさ。二人は従兄弟として、本当にいい信頼関係を築いているんだね。それもこれも、間違いなく二人とも、その人柄が暖かいからだと思うんだよ……。
うん、エド様もイヴァン様も、どちらも私の大事な人だ。ただ、その『大事』の種類がちょっと違う……そう自覚してしまったけどね。
「そうですね。こうなっては、アリスさんには絶対に幸せになっていただかないと困りますね」
「ええ。はい。それはそうなんですが……話が巻き戻りますが、その辺りも全部結局エド様次第なんですよ」
「…………そうだったわ」
「そうなんです……」
イヴァン様の声色がすっと冷静なものになって、私も思わず苦笑いを返してしまった。




