3-1 初めて知らされる事実の情報量が多すぎる(1/3)
「……そんなに楽しみか?」
「いえ、その……普通は特別な用がないと王城なんてほとんど来ませんから! まあ若様は、職場だから日常的にいらしているんでしょうけど……!」
私は今日、お仕着せではなく普段着のデイドレスを着て、イヴァン様と一緒に馬車に揺られている。
数日前、ぺルラ様から『若様から、アリスさんのこの日の予定を開けておいてほしいと言われまして……王城に同行していただきたいとのことです』と告げられたんだけどね。私がイヴァン様の職場に同行する理由ってなんだろ……と頭の中は疑問符でいっぱいだったけどそれはそれとして、あんまり行ったことないから王城に行くのはちょっと楽しみなんだ。
少なくとも偉い人に会うとかそういう緊張する感じではなさそうなんだよね、荷物見る限りは多分イヴァン様の書類仕事のお手伝いっぽい感じ? ただ、それならどうして公爵邸じゃないのかなぁっていうのは気になるところだけどね。
馬車の窓から王都の街並みを見ていると、少しずつ秋の足音が感じられる。街路樹が紅葉するのはさすがにもう少し寒くなってからかなぁ。でも、この間まで暑くてたまらなかったのに、今は風が結構冷たいんだよね。
窓から吹き込む風が少しだけ肌寒く感じて、私は手元に折りたたんでいた薄いショールを広げて肩に巻いた。
「兄上のクロード殿もここで働いてるのに、訪ねてきたりしたことはないのか?」
「う〜ん……私は公爵邸に出仕するまでは領地にいましたからねえ。王都のタウンハウスではほとんど生活していないんですよ。だから両親と一緒に訪ねたこともないです。お城の夜会とかにも出たことはないですし……」
「そうなのか? 勿体ないな」
「……招待してくれる人も、着るドレスも、エスコートしてくれる方もいないですよ……。うちの両親がもっと王都での社交を積極的にする人たちならそういう伝手や機会もあったかもしれないですが。……特に今は家の状況が悪いですし」
「ああ、そういえばそうだった。そもそもお前がうちに来たのも、領地が大変なことになったからだったよな……悪かったよ」
まあ、実際夜会に出てるような暇もお金もないんですよこっちは。と、嫌味を言う前に、すぐ察して謝ってくれるんだよね。忘れてたとしてもすぐに思い出してくれるところも含めて、こういう謙虚なところ、この方の美徳というかいいところだと思う。いい雇い主だと思うよ。
「あっ、でも、そういえば! 今年の夏はうちの領、台風はそんなに来なかったそうです!」
「そうらしいな」
「あら、ご存知でいらっしゃるんですね?」
「いや……フィッシャー領ほど深刻じゃないが、去年と一昨年の台風はアインホルン領にも影響があったからな。うちは馬が主産業だから海洋産業のフィッシャー領とは比べるべくもないにしても、こっちもそれなりの被害はあったんだよ。だから今年は台風が少なくて、本当に助かった」
アインホルン領は、広い平地や丘陵地を使った軍馬や馬車牽引馬の飼育を主産業にしているらしい。度重なる台風で厩舎が壊れたり飼料が浸水でダメになったりと、色々な被害があったそうだ。確かにうちほど壊滅的ではなくても、それは地味に大変だねえ。
「あぁ~……なるほど、そうだったんですねえ。確かにフィッシャー領の北隣がアインホルン領ですもんね……。影響まったくないわけはないですよね……」
「まあ接してるのは一部分で、王都寄りの方面は間に小さい領が挟まってるけどな。そもそもうちの領はだだっ広すぎるんだよ、管理がめんどくさい」
あはは、そんなの領地が小さかったりもらえなかったりで困ってる貴族たちに聞かれたら絶対怒られちゃうやつじゃない? まあ、気持ちもわかるし私もわざわざそんなのを他言はしないけどねえ。
「あ! うちの領に限って言えば、今年は台風が少なくて被害がなかったのももちろんなんですけど逆に夏の終わりごろ結構豊漁だったみたいです。だから漁業の方での利益や税収が結構増えるかもって、お母様が!」
「そうか、それはいい報せだ。よかったな」
「はい! おかげさまで、貿易港の大規模改修も順調に進んでるらしいですし」
まだまだ途上だけどね、計画では台風対策の防波堤が強化されたり停泊できる船の数を増やせるように桟橋を延伸したり……他にも細かいところが色々と便利になるらしいから楽しみなんだよね。
旦那様が融資を決めてくださったおかげでうちはこの港の改修に着手できたんだもんね……アインホルン領もそれなりに大変だったってことを私は今初めて聞いたわけだけど、それなのにうちに融資してくださったなんて本当にありがたみが倍増したよ……。しっかりご恩を返せるよう、お仕事がんばらないとだねえ。
「若様、アリスさん。そろそろ王城の正面玄関に到着しますよ」
同乗している年配の護衛騎士様が、窓の外を覗きながら声をかけてくださった。窓の外には、王城が見えるんだろうか……こちらの席からだと角度的に見えにくいなぁ。
この方はシモンさんといって、公爵邸でも顔をよくお見掛けする穏やかな方だ。お子様がいらっしゃって、奥様と一緒に王都にお住まいなんだって。
「ああ。そうだな」
「じゃあ、私がこの荷物を持ちますね……あれ? 思ってたより結構重い……!」
「アリスさん、ご無理なさらず。私が半分持ちましょう」
「シモンさん、助かります!」
「今日はアリスにもしっかり働いてもらうから、体力をそんなことに使わず残しておけよ~」
なにそれ、その予告。怖いんだけど……? そういえば結局今日って具体的に何の仕事をするか聞いてないんだよなぁ、イヴァン様に尋ねてみようかな? 私が口を開こうかとした次の瞬間、馬車が速度を落とし始めてそのまま停止する。どうやら目的地の王城正面の馬車止めに到着したみたいだね。
馬車を降りた私たちは、イヴァン様を先頭に私、シモンさんという順で王城へと足を踏み入れた。
……へえ~……王城って、たくさんの人がいてこんなにも賑やかなんだなあ。珍しい光景をきょろきょろと見回しながら、厚い絨毯張りの廊下を進んで行く。
そのまま中庭の見える石畳の渡り廊下を越えて、その先にある文官棟の入口である分厚い扉へと入っていったイヴァン様に続いた。
「こちらの小評議室を手配しております。本日はこちらをお使いくださいませ」
文官棟の入口で待っていてその先の案内もしてくれた書記官の若い男性は、番号の書かれたプレートがかかった扉の前で足を止め恭しくお辞儀をした。
「ああ、部屋の手配も案内もありがとう」
「とんでもございません。ああ……そういえば博士は既にいらっしゃっているので、もうお部屋へご案内していますよ」
「お、先に来てくださってるのか!? それは急がないとな」
イヴァン様は眼を瞬かせてから、少し慌てたように扉をノックした。書記官の男性は、それでは、と一礼して廊下を引き返して行く。
「はい」
「失礼するぞ」
「失礼します……」
「お疲れ様です、イヴァン様」
私は部屋の中へ視線を向ける。椅子へと腰かけて待っていたその人物は、イヴァン様に挨拶したあと私に柔らかい微笑みを向けた。
「アリスも。今日会えるとは思っていなかったから驚いたけど、嬉しいよ」
私にとってとても見慣れた、でもなんだか久しぶりに見る顔、懐かしい声。
そう。そこに居たのは、クロードお兄様だった。
「お兄様! ご無沙汰しています、お元気そうでよかったです!」
「うん、僕は元気だよ。アリスもお仕事は順調?」
「はい」
「……クロード殿。今日は急な呼び出しに応じてもらってすまない。だが感謝する」
「いえ、場所もいつも出勤しているところとそう遠くありませんしね。それにイヴァン様には、アリスが日ごろからたくさんお世話になっていますし」
う~ん……お兄様の笑顔を見るとやっぱり安心するな……。もしかしてイヴァン様、私がクロードお兄様に会いたがっているとわかっていて今日ここに連れてきてくださったのかしら。
もちろんイヴァン様にとっては私とお兄様を会わせることが今日の主目的じゃなくて、お兄様に別の用事が何かあるみたいだけどね。ただイヴァン様がわざわざクロードお兄様を呼び出す理由がねえ、ちょっとわからないというか、あんまり予想がつかないけど……。
ここで、護衛騎士シモンさんは部屋を退出して正面玄関へと戻って行った。このまま公爵邸へと帰って、また夕方に迎えにきてくださるらしい。
王城の中には一定の間隔で警備の騎士がいるから、本来は各家の護衛は特別な事情がなければお城の中まではついてこないんだって。もしお兄様がまだ部屋へ来ていなければ部屋で私とイヴァン様が二人きりになっちゃうから、お兄様が来るまで待っててくださるつもりだったみたいだね。
改めて部屋を見渡す。
小評議室、と言ってたかな……? 書類をたくさん広げられそうな大きな机には、インク壺や羽ペンが備え付けられている。壁際の本棚には、たくさんの資料や書類がぎっしりと並べられていた。
ふ~ん……イヴァン様やお兄様は、普段こういう場所でお仕事をなさっているんだねえ。二人とも、自分の部署の執務室はまた別にあるんだろうけど。
「……失礼します」
耳に飛び込んできたコンコンというノックの音に顔を上げると、開かれた扉の向こう側に様子をうかがうように顔だけちらりと出した人物の顔が見えた。
……あれ? あれってリーノ様じゃない? そう……先日公爵邸を退職したナタリア先輩……彼女と無事に婚約したバート様の、その双子の弟君だね。私がナタリア先輩についての色々な事情を彼女から聞かせてもらったその日に、部屋に一緒にいたあの方だ。
「遅くなって申し訳ないです……」
「とんでもない、アドリーノ殿! こっちこそ、薬学研究院からは遠いこっち側まで足を運んでもらって助かった」
「いえ……棟は違いますが決裁処理なんかでこちらへ来ることもままありますし。そもそも今日は一日こちらの予定ですから、馬車をこちらへ回しましたしね。ただ、馬車止めが混んでいて……」
「リーノ! 久しぶりだね!」
私の背後から、お兄様が妙に明るい声を出す。
私が驚いて振り向くと、クロードお兄様は満面の笑みでリーノ様へと歩み寄って行って、ぎゅっと肩を組んで揺さぶった。




