1-2 奥様たちの駆け引きが華やかすぎる(1/2)
あれから度々、私はゼノン様に呼び出されては『運華』の翻訳を手伝ったり、そこから発展してエングリーン語の勉強に付き合ったりしている。
使用人の先輩たちも、若様のお召しなら……と仕事を私の分まで請け負ってくれたりして。申し訳ないながらも助かってはいるんだけど、なんかね……若干、見送ってくれる視線が生暖かいのは気の所為だよねぇ……? 気付かない、何も気付いてないよ、私は……。必ず誰かに立ち会ってもらってゼノン様と部屋に二人きりにはならないようにして、何か間違いが起こったのではとか思われないようにしてますからね!!
実際色っぽい話とかマジで何もない。本当に私は家庭教師……いや、もはや人間辞書みたいなもんなんです……信じてほしい……。
むしろ最近は私のお気に入りの小説をお勧めしたりもしててね、もはや普通に趣味の合う同性の友達みたいな感じにさえなってきた。……これがまた、素直に読んでくれるし面白かったって感想言ってくれたりするんだよね……! 嬉しいじゃん!?
そんな私のもやもやとか周りの使用人の皆さんの空気をよそに、ゼノン様ご本人はといえば本当に真面目に熱心に勉強なさってその結果めきめきとエングリーン語を習得された。まだ難しい専門用語とか珍しい慣用句なんかはすぐにわからないものも多いけど、日常会話程度ならほぼ辞書を引かずとも理解できるようになっている。
もしかして……兄のイヴァン様や父親の旦那様への劣等感が強すぎて本人も気付かないままいじけていただけで、本来はそれなりに優秀な方なんじゃない……?
元々の潜在能力は高いんじゃないのかなあ、いわゆる≪まだ本気出してないだけ≫ってやつだったんじゃない? しらんけど。
ふと、使用人の先輩たちにゼノン様はどうして婚約がうまく行かないのかなぁと零したことがある。公爵邸の使用人たちは彼の見た目だけはなく繊細な中身も知っている。そして私と同じような境遇……それなりの家格の令嬢だったりするわけで、実は若様の婚約相手として十分に通用する身分の方が普通にたくさんいるんだよね……。
その上で彼の見た目に惹かれるのではなく、あの性格を見て愛おしくなっちゃう人とかいても全然おかしくはないんじゃないかなあなんて思うんだけどね……。
それがね、皆ゼノン様のことは好きだし確かに愛しくは思っているけど、どちらかというと息子や弟に対する情のような感じで……。自ら婚約者に立候補するというのはないそうです。
……わかる……。そうなんだよなぁ……なんというか、見捨てられない……みたいな気持ちはあるんだけど、じゃああの人の妻になる? ていうと、こう……なんか違うんだよなぁ……。
こないだなんて、『いつもアリス嬢に頼り切りで、迷惑をかけてはいないだろうか……?』とかちょっとしょんぼりした感じで言われてしまって、その状況で私の立場で『はい迷惑ですね!』とかって言えるわけないよね!? ……まあ、実際別に迷惑ではないから、うん……。
「アリスさん、急な話なのだけど……明日の午後は掃除のシフトからはずれてもらいます。代わりにナタリアさんと一緒に来客対応をしていただけないかしら?」
そんなことをぼんやりと考えながら食事をしていたら、ペルラ様に声をかけられた。
「これまでも何度か来客対応はお願いしているけれど、明日はアリスさんがメインでお願いしようと思っているのよ。どうかしら? もちろんナタリアさんに補助という形でついてもらいます」
「えっ、私がメインですか……!?」
来客対応、それは最も緊張する仕事のひとつ。お客様の立場や身分によって色々と対応が変わるし、万が一失礼があったりご機嫌を損ねたりしたら……と思うと怖すぎる。
ここの公爵ご夫妻や若様兄弟が優しくて気さくだからついつい気が緩みがちだけどさ……それが通じない相手もいるからね。
「大丈夫ですよ、安心なさってください。だって明日奥様を訪ねていらっしゃるお客様は……」
ペルラ様の言葉の続きに、私は三度ほど瞳を瞬かせた。
***
「……久しぶりだね、アリス。元気にしていた?」
「……はい。お兄様も、お元気そうで何よりです」
客間にお客様をお通しして、奥様がいらっしゃるのを待つ。その間、クロードお兄様は私にいつもの穏やかな笑顔を向けた。
同じ王都に住んでいてお互いの物理的な距離はそんなに離れていないのだけど、私がこちらに住み込みで働いていることもあってなかなか機会がなくてこうして顔を合わせることはないんだよね。最後に会ったのはそんなに前じゃないのに、なんだか懐かしくて胸がいっぱいになりそうだ。
「久しぶりね、アリスちゃん! その侍女服すっごく可愛い〜、アリスちゃんに似合ってる!! いいなー、もうこのまま連れて帰ってうちで働いてもらいた〜い!!」
「そうね、ドレス姿もいいけれど、そちらもとても愛くるしいわ。アリスさんの雰囲気にぴったりだもの。本当に、いつでもうちにいらっしゃい? 大歓迎よ」
「ありがとうございます。バルバラおばさまとティナお義姉様も、今日のお召し物とっても素敵です」
「ふふ、そうでしょう?」
「お母様が選んでくださったのよ!」
こてり、と首を横にかしげて少し幼げに微笑んだのは、お兄様の婚約者であり私にとっても幼馴染でもあるマルティーヌ=イロンデル様。私やお兄様は、『ティナお義姉様』『ティナさん』と愛称で呼んでいるけどね。
腰につくほどの長さのあるゆるくウェーブした髪が、背中に揺れている。爽やかなオフホワイトとマリンブルーのデイドレスは、シンプルに見えて上質なレースと細かい刺繍で幾重にも彩られていた。ドレスと共布を用いたレースの扇を優雅に広げ、その奥から好奇心をいっぱいに湛えた猫のような金色の瞳を覗かせる。
小柄で華奢なので一見少女みたいな印象だけど、これでも私よりいくらか年上なんだよね。
その向こう側に堂々と腰を下ろすのは、彼女の母親であり、隣国エングリーンを拠点に何か国もに支店を持つ船舶貿易を生業とする大規模商会、イロンデル商会長夫人バルバラおばさま。
バルバラおばさまとティナお義姉様の身分はエングリーン王国に籍を置く平民なんだけど、とはいっても巨万の財を生みだす大規模商会の商会長夫人と令嬢。高位貴族相手であっても十分に対等に渡り合えるだけの教養、情報網、そして度胸を持っている。柔らかく微笑むその表情の裏に、強かでやり手な商魂を抱えていることを私はこれまでの経験から嫌というほど知っていた。
ドアがノックされ、執事に引かれたドアからカロリーナ奥様が淑やかにご入室なさった。私とナタリア先輩は壁際に後退し、バルバラおばさまとティナお義姉様、クロードお兄様の三人はソファから立ち上がりカーテシーと立礼をする。
「公爵夫人様、お目にかかれて大変光栄です。イロンデル商会長夫人、バルバラ=イロンデルと申します。公爵様ご夫妻には、娘の未来の義妹であるアリスさんが大変よくしていただいているそうで……娘と共に、とても感謝しております」
「バルバラ様、私こそお会いできて嬉しいですわ。我が邸の使用人たちから、イロンデル商会の王都支店には大変よい品をいつも用意していただいていると聞き及んでおります。商会ご自体も、大変なご躍進をなさっていると伺っておりますわ」
「勿体ないお言葉です。王都支店の者には奥様からお褒めにあずかったと伝えておきますわ。皆とても喜ぶでしょう」
「ええ、是非お伝えになって」
「……公爵夫人様、ご無沙汰しております、クロードです。妹のアリスが大変お世話になっております」
「あらあらクロードさん。アリスさんは本当にとても真面目によく働いてくれていますわよ。それで、そちらの可愛らしい方が……噂のご婚約者様なのですね?」
カロリーナ奥様が、少し意味ありげに微笑む。
噂……? なんだろう、どういう噂だろうな。
「ええ、その通りです。私の自慢の婚約者について奥様がご存じとは誇らしい限りです」
「公爵夫人様、お初にお目にかかります。わたくし、マルティーヌ=イロンデルと申します。お言葉のとおり、クロード様とはご婚約を結ばせていただいておりますわ」
「ふふ、自慢の娘と、自慢の未来の義息子です」
「ええ、本当に。とてもしっかりなさっていらっしゃること……」
カロリーナ奥様とバルバラおばさまは、お互い目を合わせて微笑んだ。少しだけピリっとした緊張感はあるものの、全体的にはとても和やかな空気と言って差し支えないだろう。
「今回は、娘と義息子が可愛い妹の様子をどうしても確認したい、と言うので連れてきてしまいましたの」
「あら、そうなのですね。アリスさんは本当に、ご家族に大切にされていらっしゃるのね」
奥様は、言いながら私に向かって柔らかく微笑む。私は自分の顔がやや苦笑いになってしまっている自覚がありつつも、無言で軽く頭を下げた。
「ですが、そちらはあくまでついでです。本題はこちらですわ。公爵ご夫妻がこういったことにもしご興味があれば……と思いまして」
「あら、これは……」




