1-1 若様の愛読書が意外すぎる(3/3)
「あの、若様……。確か私には、エングリーン語の勉強のためにその小説を読んでいる、と仰っていたはずですが……?」
「……その、それは……。……大衆向けの、それも恋愛が主題の小説を熱心に読んでいるとは言いにくくて、つい誤魔化してしまったんだ……。すまない、ニコラス。許してくれ」
あらら、案外そんなに素直に謝っちゃうんだな。ちょっとだけ耳の先が赤い。もしかしてゼノン様、ニコラス様には頭が上がらない感じ?
少し気まずそうな雰囲気が、なんだか幼く見える。
「いえ、とんでもございません。少し意外には思いましたが、公爵家のご子息として市井の流行について学ばれることも大変有意義かと存じます」
「あ、ああ。そうだな……」
ニコラス様の笑みを受けてゼノン様、今度は若干目が泳いでるな……。
ニコラス様がすごく都合のいい解釈してくれただけで、多分普通に小説にハマってるだけだったらねえ、その言い方はなんか逆に罪悪感を感じるかもね……。
「でも……恋愛小説を読んでいるなんて普通では? 男性とか女性とか関係ないですよね……? だってうちのお兄様は恋愛小説を含めてなんでも、本当に本なら何でも何語でも読みますよ」
お兄様はいわゆる活字中毒者。
国内で発行された本はとっくに読み尽くしてるのに、机や鞄に常にまだ未読の文章が何かないと禁断症状を起こすような人だからなぁ……。たまに『もう新しい本ないの……?』ってしくしく泣いてるし。
「最近は読む本がなくなってきて外国の色んな分野の論文とか法令集とか手当たり次第に取り寄せて読んでますし。辞書みたいな分厚いやつもほんとすぐ読んじゃって……」
「あの……アリスさん。それは、普通ではないです……」
「あなたの兄上が普通ではないですね……」
「あっれ~……」
おっかしいな……。
まあ確かにちょっと変わってるかな、とは思ってたんだけど、そんなに言われるほどかな……?
「とにかく、誰が何を読んでいてもそんなに気にすることないと思います。普通に面白いですしね、『運華』。結構展開読めなくてハラハラしましたし……謎解き要素や伏線回収も楽しかったですよね!」
「……そんな、ものか?」
「ええ。そんなものですよ」
そもそもの発端は、奥様があまりに人付き合いや女性を含めた他人の気持ちの機微を察することが苦手なゼノン様を心配して、市井で流行しているからと聞きつけてこの小説を取り寄せしたらしい。そうしたら存外に面白く、ゼノン様もつい夢中になってしまったのだそうだ。
そして物語が完結する最新刊が発刊されたと聞いて喜んだもののそれは隣国語の原書だけと知り、こうして辞書と格闘する羽目になったらしい。
まあ、最終巻前の引き、あれはずるいよね、続きが気になるよ、仕方ないよ。
エングリーン王国から近日使節団が来る話は、それはそれで本当なんだって。
「で、人付き合いいいなーとか、恋愛いいなーってなりました?」
「……無理だな。そもそも、感情移入ができない……状況が自分と違いすぎて」
「…………ですよねぇ……」
「話としては面白い。面白いんだが……自分を登場人物の誰かにあてはめて、という気持ちにはならないな……」
ちなみにこの『運命に愛された華』の内容は、ざっくり言えばイケメン王子に見初められた平民育ちの男爵令嬢が王妃になるまでの王道成功譚。
まあ、完結までには紆余曲折あって途中なかなか唸らせる展開なんかもあったりするんだけどもそれは置いておいて。平民たちにとっては正に夢のような展開なので、発行元のエングリーン王国でもこのユルンベルク王国でも市井の平民たちには爆発的な人気があるんだけどね。
ただ、どちらの国でも貴族階級には平民たちほど熱烈には受け入れられてない。貴族階級や王族の内情なんかを知っていると『あまりに非現実的すぎる』と感情移入できない人が多いんだって。
とはいえ私やこのゼノン様のように、創作は創作として割り切って楽しんで読んでいる貴族も少なからずいるはずだけれど。
作者のラ・エトワール先生は、エングリーン国籍であるということ以外身分や性別、年齢について公表していない。だからなのか先生の正体については市井では結構話題になっている。
いかにも女性らしい筆名だし、きっと貴族や王族に夢を見ている貧しい平民女性とか下級巫女なんじゃないか、みたいな説もあるし、いやいやそれは逆張りで実は高位貴族の男性が貴族社会の実情を知っていて風刺でわざと非現実に描いているんだ、とかいう説もある。
「どちらかというと、ヒロインを応援してしまうな……。こんなに素直に物事をとらえて、そして愛しい人のためにがんばることができたら……と。言動や行動も、聡明だしな」
うんうん。気持ちは分かるよ。でも多分逆だよ。きっと奥様は、ゼノン様にイケメン王子の方を見習ってほしかったんだと思うよ。
なんでそうなるかなぁ本当に……。残念だなこの若様。
そしてこうなってしまった以上私には、どうしてもひとつゼノン様に聞かなければいけないことがある。
「……若様。その。ひとつ、お伺いしたいことがあるんですが、よろしいですか……?」
「……なんだ? 改まって」
「わたくしが初めて若様にご挨拶した日、覚えていらっしゃいますか?」
「……まあ、そうだな。半月ほど前だろう? 忘れてしまうほど、前ではないが」
「あの日仰った、『お前を愛することはない』……って、もしかして……」
「……。…………!」
なんのことだ……? みたいな怪訝な表情だった顔が、数秒をかけて段々と赤くなっていく。
最終的には、手で顔を覆ってしまった。
「その……すまない、あれは本当に口から勝手に出たんだが、言われてみれば……『運華』のアーサーの台詞そのままだな……! しかも、よりによって『運華』の内容を知っているお前に言ってしまったのか俺は…………!」
ねえ、ゼノン様……『運華』の略称、いつの間にか使いこなしてる。
ガチでこっちの人になりかけているのでは?
あのセリフを聞いた時には、ゼノン様が恋愛小説を読んでるなんてまさか思ってなくて完全な偶然だと思ってたんだけどさ。どうやらゼノン様、このお話が好きすぎて何度も読み返してるせいで、無意識にセリフが口から出ちゃったみたい。
まさかそんな真相だったなんて……あの日の私に想像できるわけないよね。
あ、アーサーは『運華』のヒーロー、つまり王子様。小説の登場人物の名前です。
婚約者の悪役令嬢に対してこの台詞を言うわけなの。悪役令嬢に向けて言ったんなら、その相手と結ばれるわけないじゃんとお思いかもしれないけれど……実は色々な事情があって、ヒーローのアーサー王子は男爵令嬢のヒロインを、自分の婚約者である悪役令嬢と勘違いして言ってしまうわけでね。
その状況から始まってまさか、最終的にはああなるとは……っていう……。いやほんとに、いい意味で期待を裏切る熱い展開だったんだよ……。
「それなら……俺も逆にお前に尋ねたいことが一つ、あるんだが……いいだろうか?」
えっ、はい。なんか嫌な予感する。
「あの日俺がその台詞を言ったとき、お前は俯いてしまったわけだが……。もしかしてあれは、体調が悪かったわけではない……ということで、いいんだな?」
「………………そ、その。はい、それは、ええと…………」
あーだめだこれ。バレたね完全にバレたわ……。
あの日、私がゼノン様の台詞を聞いて、吹き出すのを必死に我慢してたってバレた。
もうだめです。
「……いや、まあ…………うん、そうだな。俺も同じ状況になったらと想像すれば、確かに必死に笑いを堪える羽目にもなるかもしれないな………………」
「…………」
そう、そうなんです。うん。さすがに肯定はできないから曖昧に微笑むしかできないんだけど、だいたい合ってます!!
っていうかこの流れ、もしかして許してくれる感じじゃない? えっ、本当に?
ちょっと……うちの若様……、…………優しすぎて逆に心配になるな?
「アリスさん……」
「ひえっ」
いつもよりちょっと低いトーンの声に驚いて振り替えると、ナタリア先輩がすごくいい笑顔でこちらをじっと見ていた。
「何のお話をなさっているんですか? 私にもわかるよう、ご説明いただけますか?」
なんか笑顔にすごい圧を感じるというか迫力あるんだけど……叱られてるわけじゃないのに、なんかすごい怖いんだけど!?
いやでも……あの日の私はナタリア先輩が機転を利かせてくださったおかげであの大失敗を切り抜けられたのに、その先輩にちゃんと本当の事情を説明していないんだもんな……もちろん、そうできない理由はあったんだけど。ゼノン様にもナタリア先輩にも失礼を働いて叱られて当然なのに、あの時たまたま誤魔化し切ってしまったからそうならなかっただけで。今、遅れて正しくそのタイミングが来ただけなんだわ、うん……。
「ええそうですね。私も是非お聞かせいただきたいです」
うわっニコラス様の笑顔もナタリア先輩に負けず劣らず圧が強いな! 普段優しい人の威圧って怖い!
うう……もう、ゼノン様本人に完全にバレてしまった以上、黙っている必要もないもんね、自分のやらかしを含めて説明するしかないか……!
私は叱られる覚悟を決めて、『運華』のあらすじや、いわゆる恋愛小説のお約束展開などについて簡潔に、でもなるべくわかりやすくなるようがんばって説明した。自分があの日、どういう状態だったのかも含めて。
「なるほど……大体の事情はわかりました。それでも私が初日にアリスさんの体調を心配した気持ちは本当ですから、悲しい気持ちはありますよ。ですから……次からは、実はこういうことだったんです、という事情をちゃんとすぐに話してくださいね」
「それについては本当~に反省しています!! 申し訳ありませんでした!」
「次から気をつけてくださったらそれで結構ですよ。なにより若様ご自身がそのことをお知りになった今もご気分を損ねてはいらっしゃらないようですし、それに……おかげで興味深い話も聞くことができましたしね」
「ええ、そうですね。まさかゼノン様がそのような新しいご趣味を見つけられていたとは……そしてアリスさんという理解者もここにいらっしゃる。とても喜ばしいことですね」
好々爺然として微笑みながら言ったニコラス様の言葉に、執務机へ座ったままのゼノン様は耳まで赤くなっている。え~? やっぱり恋愛小説読んでるってそんなに恥ずかしいかな?
あと、先輩が私とゼノン様を交互に見ながらなんだか含みのある微笑みを浮かべているのもちょっと気になるな。いや……もし私とゼノン様に共通の趣味があるってわかっただけでそう結び付けるてるんだったら、さすがに早計じゃない?
…………ただ、ゼノン様と私、ねえ……。
≪テンプレ台詞≫からの、私が溺愛される展開はさすがにないとしても、だよ。なんかちょっと……既に私、ゼノン様に頼られ始めてるというか……、このままこの人に懐かれるんじゃないかっていう予感を感じるんだよなぁ……。
イヴァン様が兄……もとい『近所のにーちゃん』的なポジションなら、ゼノン様は弟ポジションというかね。
見た目の綺麗さとかこの自虐でどんよりした雰囲気とか、そういうインパクトの強い特徴に気をとられがちだけどさ。実際こうして話してみればみるほど、案外素直だし真面目な性格なんだよ。
なんだかさぁ、あなたしか頼れない……拾ってください……みたいに上目遣いで見て来る可愛い小動物をさぁ、そのままそこに捨てていけないじゃない……? うーん、これは……困ったな?
実際、ゼノン様は、本当にお気の毒な方ではあるんだよ。
見た目のよさの評判だけが独り歩きして、過剰な期待を寄せられる。その期待を裏切ってしまうと、自分が『加害者』みたいになってしまう。
見た目がキラキラ貴公子でも、中身は気が弱くて大人しくて、兄と父にひどく劣等感を持つどんよりした陰気な性格。
しかも口下手で、ほんの少ししゃべったたったの一言二言がやたらと拡大解釈されてしまう。
睨んできた、怒らせた……なんて悪い方に誤解されたり。逆に、都合よく解釈されて勝手に期待されて、後で裏切られたと誹りを受けたり……。
女性にもこれまでたくさんたくさん言い寄られて、これまで何度か家柄が釣り合う令嬢と具体的に婚約まで進むかということもあった。
だが、令嬢側の『なんか思ってたんと違った』で結局取りやめになることがもう何度も繰り返されていて……。
あまりに不器用で怒らせてしまったり、怖がらせて泣かせてしまったりもした。
その度に何度も彼の繊細な心は傷ついた。そのうち人付き合いがすごく苦手になった。特に女性が、本当に苦手になった。
自分が褒められるのは見た目のよさだけ。
優秀で頭がよくて、宰相まで上り詰めた父、そしてその能力を受け継いだ兄への劣等感もとても強かった。
尊敬しているのも本当だし、兄に可愛がられているのも理解している。ただ、兄と接する度にどうせこの人には何をしても適わないんだよな……という諦めにも似た感情が沸いてくる。
元宰相の公爵の息子、新進気鋭の文官の弟、その立場にいることが辛かった。
父や兄と近くで働きたくなくて、文官ではなくて騎士団の試験を受けた。幸運なことに、もしくは見た目がよくて身分も高いからなのか、騎士団の中で体力的に一番楽な儀礼式典部に配属された。
そうして彼は人付き合いも出世も恋愛や結婚も全てを諦めて、この無気力な性格になった……。
これが、私がご本人とお話をしたりニコラス様や他の使用人の皆さんから聞いた断片的な情報を元に推測した、ゼノン様にちゃんとした婚約者がいない理由。
……う~ん……。……やっぱりどう考えても、私がこの人の婚約者になるのは、無理では……?




