時空の三連星 第1章 第2話
《時空の三連星》
第二話
「黄昏の橋、背中の約束」
西の空が燃えるような茜色に染まり、川面がその光を照り返してきらきらと輝いている。
両側に整然と歩道が設けられた大きな橋の上を、穏やかで爽やかな風が吹き抜けていく。
川の上だからだろうか、その風はどこか涼しげで
一日の終わりの気怠さを優しく撫で上げていくようだった。
川岸の土手に目をやると、名も知らない小さな花たちが
そのそよ風に身を委ねるようにそっと漂っている。
「うっう〜、試験期間、明日も有るんだよね……。
部活の方がまだマシ。頭重〜」
隣を歩く親友のミサキが、教科書の詰まった重いスクールバッグを揺らしながら
大げさに溜息をついた。
下校時刻の橋の上は、同じように解放感と疲労感を滲ませた生徒たちが行き交っている。
「分かるけど、後少しよ、頑張ろうミサキ」
ハルは三編みを揺らしながら、快活な笑みを浮かべて励ました。
「ハルはいいよ、学年トップだし」
「何言ってんのよ。私だってそれなりに努力してるんだから」
そんな他愛のない会話を交わし、笑い合っていた。
ハルは、自分が全教科学年トップという驚異的な実績を維持し続けている本当の理由を
誰にも話したことはない。
時折、耳元で聞こえる懐かしくも切ない《囁き》と
誰かが自分を見守っているような気配。
それに突き動かされるように、彼女は自らを学問の鍛錬へと追い込んできたのだ。
その時、前方の歩道から、一人の大人の男が歩いてくるのが見えた。
すれ違いざま、ハルの身体に文字通り「電流」が走った。
男の名は、駿。
ただの通りすがりの大人のはずだった。
しかし、彼が纏う空気はあまりにも異質で、圧倒的だ。
30歳という若さでありながら、世界のすべてを見通すかのような鋭い洞察力を秘めた佇まい、鍛え上げられた強靭な身体の線、そして孤高ゆえの、恐ろしいほどの魅力。
(あ、……えっ)
すれ違うその一瞬、ハルの胸の奥が狂おしいほどに締め付けられた。それは、まだ中学生である少女の心では到底耐え切る事、抗える事の、出来ない
身悶えさせるほどの存在感だった。
魂の奥底で眠っていたシズの記憶が、濁流となってハルの精神を侵食していく。
知っている、この背中を、この歩き方を、私はずっと探していた。
私の命を救ってくれた、私の唯一の光。
駿は何気なく、特に気に留める様子もなく、ハルの横を通り過ぎていく。
その距離は、わずか5・6歩、遠ざかっていく。
このままでは、また行ってしまう。
また何も言えずに、時空の彼方へ消えてしまう……。
ハルの胸を、強烈な飢餓感と執念が突き動かした。
もはや、理屈も恥じらいも、すべてが吹き飛んでいた。
耐え切れなくなったハルは、駿の背中に向かって
張り裂けんばかりの言葉を投げかけていた。
「わたし、ああ言う人《好き》!」
その快活で、しかし魂の底から絞り出されたような確信に満ちた叫びは
夕暮れの橋の上に響き渡った。
驚いて振り返る駿。
その瞳に、ハルは真っ直ぐに視線をぶつけた。
彼女の表情には
「わたしは、そうだよ(私はあなたを見つけたよ)」
という、すべてを納得したような深い喜びと確信が満ち溢れていた。
「えっ......! ちょ、ちょっとハル!? 急に何言ってんのよぉ!?」
隣のミサキが、顔を真っ赤にして狼狽し、恥ずかしそうにハルの袖を引っ張る。
しかし、ハルの目は駿の姿だけを捉えていた。
駿の背中に、暖かな何かが確かに刻み込まれた。
それは、時空を超えて彼を追い続ける一人の女性の、純粋無垢な愛の告白だった。
その後、ハルの耳元をずっと支配していたあの「不思議な気配」は
嘘のように綺麗に消え去った。
気配は消えたのではない。
ハルという存在の中に完全に同化し、彼女の魂を真に『覚醒』させたのだ。
(待っていて、駿。私はもっと強く、もっと賢くなる。あなたの隣に並び立つために)
のちに、人間精神洞察分野の研究で博士号を取得することになる天才少女の瞳には、夕陽よりも熱い、生涯消えることのない信念の炎が灯っていた。




