時空の三連星 第1章 第12話
第十二話
:臨界のカウントダウン
【前編:檻の門を叩く者】
御子柴駿が潜む高層ビルの真下。
夜の帳が完全に下りたストリートに、シズは静かに足を踏み入れた。
見上げるほどの巨塔から放たれる、目に見えない圧倒的な圧力。
それは駿を中心とした「絶対観測領域」の濃密な結界そのものだった。
常人であれば息苦しさすら覚えるその空間で、シズはただ、優雅に髪をかき揚げ
知性と寛容さに満ちた大人の微笑みを浮かべていた。
「素晴らしいわ……。」
「まるで世界そのものが、彼を傷つけないように息を潜めているみたい」
シズの落ち着いた声に、彼女の内側で寄り添う二人の少女が
それぞれの感情を弾けさせる。
『凄いです……! シズお姉ちゃん、ここ、空気の振動も、ビルの構造体の歪みすらも、全部あの人の思考回路と同期しています!』
中学生のハルが、その驚異的な頭脳で領域の仕組みを瞬時に解析し、声を上ずらせていた。
『私の知るどんな数式でも追いつかない……! 面白い、面白すぎます! 駿さんって、本当に人間なんですか? 私、もっと近くで、あの人の脳の構造を覗いてみたい……!』
天才特有の、純粋で瑞々しい知的興奮。シズはハルのその興奮を「可愛い妹」を愛でるように、優しく受け止める。
『うわぁ……本当に、この上にあの人がいるんだ』
続いて響いたのは、高校生のアオイの、息をのむような羨望の声だった。
『シズお姉ちゃんがずっと夢に見て、私がその祈りに引っ張られて鍛え続けてきた、本物の「最強」……。ねえ、私の心臓、破裂しそうなくらいバクバク言ってるんだけど
上に聞こえちゃってないかな? ちょっと恥ずかしいかも……。
でも、私の体、闘いたくてウズウズしてる!』
焦がれ続けた英雄への憧れと、超人アスリートとしての純粋な武者震い。
シズは内なる二人へ、すべてを包み込むような、深く優しい声音で語りかけた。
(大丈夫よ、ハル。あなたのその知性なら、駿さんもきっと喜んで紐解いてくれるわ
アオイ、あなたの可愛い心音も、その研ぎ澄まされた身体も、彼はもう全部お見通しよ。……さあ、行きましょう。私たちの、命を懸けた「愛の答え合わせ」に)
シズは迷いのない足取りで、ビルの自動扉をくぐり、最上階へと向かう直通エレベーターに乗り込んだ。
上昇を始める筐体の中で、シズの背後には、付き従う側近のようにアオイとハルの影が妖艶に、そして確固たる意志を持って揺らめいていた。
【後編:絶対領域の臨界点】
――カツン。
高層ビルの屋上。駿の手元で、バーボンのグラスが静かにテーブルへと置かれた。
実際の対面は、まだ数分先。
屋上へと続く重い鉄の扉は、いまだ固く閉ざされたままだ。
だが、駿の半径200kmを網羅する「神の目」は、すでに自分の真下、エレベーターの箱の中で急速に接近してくる「三位一体の熱量」を、網膜に映るかのように完璧に捉えていた。
「ふっ……。ハルに、アオイか。背後の幻影まで、随分とにぎやかだな」
駿は夜風に吹かれながら、誰もいない空間に向けて、静かに独りごちた。
まだ直接その姿を見てはいない。
言葉も交わしていない。
しかし、200km先から縮まり続け、ついに臨界点へと達しようとしている彼女たちの気配が、駿の五感を心地よく刺激する。
脳内の冷徹な解析装置は、シズの身体に宿るハルの「智」と、アオイの「武」のデータを刻一刻と更新していく。
歳相応の瑞々しさを残しながらも、時空を超えて極限まで磨き上げられたその刃。
「中学生の知略に、高校生の武技、そしてそれらを統べるあの時の少女の執念……。分が悪いと知りながら、よくぞここまで仕上げて戻ってきた」
駿の唇が、ゆっくりと歓喜の形に歪んでいく。
慢心などではない。
すべてを把握した上で、彼はこの後に訪れる「闘争」の瞬間を、心から祝福していた。
チン、という静かな電子音が、最上階への到着を告げる。
エレベーターを降りたシズの、確固たる、しかしどこか優雅で寛容な足音が、屋上へと続く廊下を一歩ずつ踏みしめてくる。
まだ見ぬその少女たちの、夜な夜な自分を想って身を焦がし、翌朝の血を吐くような修行で手に入れたであろう、その魂の重み。
駿はゆっくりと立ち上がり、屋上の扉へと身体を向けた。
ネクタイをわずかに緩め、王としての絶対的な威風を纏って、その瞬間を待つ。
「さあ、お前の、お前たちのすべてを――俺の目の前で、容赦なく暴いてみせろ」
ギィ……と、重い鉄の扉が微かな音を立てて動き出す。
遮るもののなくなった空間に、ついに魔女王の、そして二人の少女の気配が、王の視界へと流れ込もうとしていた。




