時空の三連星 第1章 第11話
第十一話
:共鳴の前哨戦
【前編:魔女王の歩法】
初夏の陽光が降り注ぐ大学のキャンパス。
いつも通りの喧騒の中に、そこだけぽっかりと「異界」が生じたかのような錯覚を
サキとマイは覚えていた。
「ねえ、シズ……? 本当に、シズだよね?」
カフェテラスの席で、サキが恐る恐る声をかける。
目の前に座る親友は、確かに数日前まで一緒に笑い合っていたシズだった。
しかし、今の彼女から放たれる圧倒的な磁力に、周囲の学生たちの視線が文字通り釘付けになっている。
シズの肌は陶器のように透き通り、その佇まいには
すべてを優しく見守るような大人の知性と、深い寛容さが満ちていた。
「ふふ、そんなに怯えなくて大丈夫よ、サキ、マイ」
シズは穏やかに微笑み、二人を安心させるように、そっと温かい紅茶を口に運んだ。
その所作には一切の無駄がなく、流れるような美しさがある。
「少しだけ、物事の仕組みが前よりクリアに見えるようになったの。世界がとても愛おしく感じられて……だから、安心して。私はどこにも行かないわ」
その声はどこまでも優しく、深く響く。だが、マイは息をのんだ。
幼少期に新体操を習っていたマイの野生が、本能的に察知してしまったのだ。シズの今の滑らかな手の動きが、極限まで鍛え上げられたアスリートの、それも一撃で人の急所を断つような完璧な「武術の理」に裏打ちされていることに。
シズの背後に、一瞬、鋭い眼光を放ちながら地を這うように身を低くする、小柄な超人アスリートの影――アオイの残像が重なった。
「シズ、あんた……綺麗だけど、なんだか凄すぎて
ちょっと遠い人になっちゃいそうだよ……」
サキが寂しそうに呟くと、シズはサキの手を優しく包み込んだ。
その包容力は、まるで傷ついた者をすべて赦す聖母のようでもあり、同時に、すべてを従える若き魔女王のようでもあった。
「ありがとう、心配してくれて。でも、私にはね、どうしても確かめに行かなければいけない、大切な約束があるの」
シズがそう言った瞬間、彼女の内側――精神の深淵で、二つの可憐な少女の声が鈴の音のように響き渡った。
『……本当に、本当にあの人に会えるんですね、シズお姉ちゃん!』
中学生のハルの声だった。
驚異的な知性を持ちながらも、今は憧れの存在を前にした子供のように、声を弾ませて少し興奮している。
『私の計算、絶対に間違ってないよね? 会ったら……私の書いた論文、ちゃんと読んでもらえるかな。あ、でも、ちょっと緊張してきたかも……!』
『いいなぁ、ハルもシズも』
続いて響いたのは、高校生のアオイの、羨望の入り混じった少し拗ねたような声だ。
『シズはそんなに小さい頃からあの人に会えてたなんて、ズルいって言ったら怒られちゃうけど……。でも、やっぱりめちゃくちゃカッコいいよね。早くこの目で近くで見たいな。私の作った新しい武技、あの人に通用すると思う?』
二人の歳相応な、瑞々しくも純粋な想いが、シズの胸を温かく満たしていく。
シズは心の中で、二人の少女の思念を優しく抱きしめるように語りかけた。
(ええ。二人とも、落ち着いて、あなたたちの駿さんへの想いも、焦がれるほどの情念も、全部私がこの身体で抱えていくわ。だから、今はその知恵と力を、少しだけ私に貸してね)
時空間を超え、シズの両脇に膝を突き、恭しく付き従うアオイとハルの霊的思念体。
周囲の困惑と畏怖を置き去りにしたまま、すべてを統合した魔女王の、ただ真っ直ぐに愛を確かめ合うための歩みは、もう誰にも止められなかった。
【後編:絶対観測領域の王】
――カラン、と琥珀色の液体の中で丸い氷が揺れた。
同刻。夜の帳が下りた高層ビルの屋上。
御子柴 駿は、手元でバーボンのグラスを遊ばせながら、肌を撫でる生暖かいそよ風に身を任せていた。
その佇まいは、完全な無防備。
だが、彼を中心とした半径約200km、そして遥か上空の成層圏に至るまでの全空間は、残さず彼の「脳内」へと同期されていた。
大気の微細な振動、地表を這う生命の鼓動。
すべてが彼の全方位感知領域に引っかかり、寸分の狂いもなく処理されていく。
そして今。彼の完璧な「神の目」のレーダーが、はるか遠方から真っ直ぐに向かってくる、異質な三位一体の波動を捉えていた。
ハルの冷徹な知性、アオイの驚異的な武技。それらを側近として従え、確固たる歩みを進める、覚醒したシズの気配を。
「……ほう」
駿はグラスに視線を落としたまま、薄く、獰猛な笑みを唇に浮かべた。
脳内の冷徹な演算が、一瞬で二人の戦力差を弾き出す。
いくら時空を超えて二つの天才的な思念を統合したとはいえ、今のシズがこの領域に踏み込むのは、あまりにも分が悪い。
だが、駿の胸の奥では、猛烈な「歓喜」が静かに炸裂していた。
「時空を超えて、俺を追ってきたか……」
実際の対面はまだ先だ。
しかし、200kmの距離を隔ててなお伝わってくる彼女たちの熱量に
駿の魂が歓喜に震える。
あの時、ただベッドの上で怯えていた小さな幼子が、自分に並び立つために己のすべてを使い果たし、ここまで喰らいついてこようとしている。
これは、避けることのできない闘いだ。
生存を賭けた殺し合いではない。互いが対等であると認め合い、お互いの存在を根底から凌駕し合い、そして――本当に、魂の底から愛し合うために必要な、前哨戦の幕開け。
「いいだろう。いつでも来い、シズ」
駿はバーボンを口に含み、夜風の向こう、彼女がいる方角を静かに見つめた。
妥協は一切しない
徹底的に、容赦なく、その肉体と魂が本物であるかどうかを
この絶対領域の中で見極めてやる。
王の待つ檻へと、魔女王の足音が、刻一刻と近づいていた。




