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記憶が一日しか持たない俺が、それを演技だと思われて同接十万の配信者になっている件  作者: 吉良カンタ


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第2話 推しは教室の隅にいた

 推しが出来たのは、たぶん去年の秋頃だった。いや、嘘とかじゃない、本当にたぶんなんだ。

 というのも、推しができるときって、不思議と正確な日付が記録されない。気がついたら毎日その人の配信を見ていて、気がついたらアーカイブを遡って最初から全部見ていて、気がついたら「この人がいない世界はもう考えられないな」になっている。 配信者「Lethe」は、そうやって私の生活の中心に滑り込んできた。

 最初は、弟の世話に疲れた夜だったと思う。 中学生の弟は私のことを姉というより母親の補欠扱いしていて、親が遅く帰ってくる日はだいたい私がご飯を作って風呂を沸かして洗濯物を畳む。別に嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、その夜たまたま、全部が一斉に面倒くさくなった瞬間があった。リビングのソファに倒れ込んで、意味もなくスマホを開いて、なんとなく配信サイトを下にスクロールして。 そのとき、サムネイルが目に入ったのだ。


【Lethe / 雑談 / 初見プレイ】


 顔出しなしの配信者で、アイコンは白い三日月みたいなやつだった。何も期待せずにタップして、私はそのまま三時間配信を見た。何が良かったのか、今でもうまく説明できない。ただ、彼の話し方が、すごく、すごく、静かだったのだ。ゲームの画面に向かって、誰かに向かって、でも誰にも押し付けずに、ぽつぽつと喋る。視聴者のコメントを拾う時も、拾わない時も、急がない。盛り上げようとしない。でも、気がつくと画面に集中している。気がつくと、彼の次の一言を待っている。そして、彼は時々、こういうことを言うのだ。


『あのさ、言うの何回目か分かんないんだけど、俺、昨日のこと覚えてないんだよね』


 軽く、まるで「今日の昼に何食ったか覚えてない」くらいのテンションで。コメント欄は『出たLetheの記憶喪失設定w』『ロープレ始まったな』で盛り上がっている。彼はそれに笑って、 『あー、設定って思われてるの、便利でいいわー』と返す。

 なんだろう、その、笑い方が。軽いはずなのに、なんで、こんなに、胸にひっかかるんだろう、って。私はその夜、彼の過去のアーカイブをソファの上で夜中の三時まで遡って見た。次の日の弟の朝ごはんを何にするかを忘れて朝一で買い出しに走る羽目になった。それが始まりだった。

 ──そこから半年。私は「あかり」という名前で、毎配信、コメント欄に居座っている。スパチャは送らない。お金を送ってしまうと、なんだか、私の言葉よりお金の方が届いてしまう気がして、それは嫌だった。届けたいのは言葉なのだ。『Letheくん今日も面白いです』『その選択肢でそれは鬼畜すぎますよ』  『初見プレイ三回目ですね、知ってますからね!』そういう、どうでもいいことを、毎晩送る。Letheは時々「あかりさんいつもありがとねー」と名前を呼んでくれる。その度に私は、ソファでばたばた暴れる。弟に「うるさい」と怒られる。でもやめない。推しに名前を呼ばれた夜は、地球が三回転したって私はばたばたする。

 それが、私の、ここまでの、普通の日々だった。

 異変があったのは、昨日の、昼休みのことだ。

 私の席は窓際の前から三列目で、お昼はだいたい、同じクラスの友達と机をくっつけて食べる。昨日は友達が保健委員の仕事で抜けていたから、私は一人で、お弁当を広げて、いつも通りスマホでLetheのアーカイブを流しながら食べていた。イヤホンは片耳だけ。音は最小。口の中でから揚げを噛みながら、画面の中のLetheが、ぽつぽつと喋っている。


『──あーそれでさ、昨日の配信でさ、やっぱ俺、同じこと二回言ってたらしいんだよね。視聴者に指摘された。へへ、まあ、記憶喪失だから仕方ないよね』

『設定守りすぎw』


 そんな、いつもの会話が、耳の中で流れていた。私は何気なく、顔を上げた。教室の反対側、廊下側の前から四番目の席に、目がいった。そこには、いつも静かに座っている男子がいる。早瀬忘くん。クラスの、ほとんど誰とも話さない人。先生に当てられても最低限だけ答えて座る人。休み時間はスマホを見ているか、ぼんやり窓の外を見ているか、たまに教科書みたいなものを読んでいるか。悪目立ちもしない代わりに、友達も、私の知る限り、一人か二人いるかいないか、みたいな人。その早瀬くんが、ちょうど、スマホを見ていた。

 そして、首を少しだけ傾げていた。

 私は、咀嚼を止めた。なぜなら、私のイヤホンの中で、ちょうどその瞬間、Letheが、いつもの仕草を声にしていたからだ。


『あーなんかそれ、なんだっけな。ちょっと、考えるね』


 Letheが画面の中で少し首を傾げる時、彼は必ずこう言う。私は半年見ているから、知っている。たぶん本人も気づいていない、考える時の癖だ。そして、同じ瞬間、教室の反対側で早瀬くんが、同じ角度に首を傾げていた。私は、そこで、動きを止めた。から揚げを口に入れたまま、動けなくなった。心臓が、変な音を立てた。

 落ち着け、と自分に言った。人間、首を傾げるなんてことは、誰でもやる。そんなのは偶然だ。世界には八十億人の人間がいて、一人が首を傾げたくらいで推しの正体を突き止めたみたいな顔をするな、日下部陽葵くさかべひまり。そう思ったのに、手は勝手に動いていた。私はイヤホンをもう片方も耳に突っ込み、スマホの画面でアーカイブの音量を少しだけ上げた。早瀬くんの方に、さりげなく視線を送り続けた。アーカイブのLetheは、雑談を続けていた。


『──今日の昼はさ、まあ、別にどうでもいいんだけど、コンビニのおにぎり、ラベル貼って分けて食べてるんだよね、曜日で』


 ふざけた口調だった。コメントが『それも設定?』『几帳面かよw』と盛り上がる。私は早瀬くんの机を見た。早瀬くんの机の上には、コンビニのおにぎりが置いてあった。そのおにぎりに、小さく、何かのシールが貼ってあった。遠いから字は読めなかった。でも、何かが、書いてあった。私は、から揚げを、ようやく呑み込んだ。飲み込んでから、何故だか分からないけど、泣きそうになった。違う、違う違う、陽葵、落ち着け、これはただの、偶然の、ただの、ただのだって、ただの、ただの──

 ──ただの、偶然、だって、おかしくないですか。

 私は、その日の午後の授業を、ほとんど、聞いていなかった。

 家に帰ってからの私は、狂った。自室のベッドに腹ばいになって、スマホでLetheのアーカイブを、片っ端から見返し始めた。過去のコメントで、Letheが言っていた「日常の細かい話」を、全部洗い直した。

 『俺さ、電車は各駅でしか乗らないんだよね。急行乗ると降りる駅間違えるから』

 早瀬くんが何線通学か、私は知らない。でも朝、改札で見かける時、いつも各駅停車から降りてくる。そういえば、急行の時間にはいない。

 『玄関のドアの裏に、地図貼ってあるの。俺の家、俺のために』

  ──誰のために貼るの? それは。

 『ネクタイ、毎朝結び直すのに、五回くらいかかるんだよね』

 早瀬くんの席は、私の席から斜めに見える。彼は毎朝、少し、ネクタイのねじれを気にしていた。今まで、気にしたことがなかった癖に、私は昨日の夜、それを、思い出していた。

 そんなの、いくらでも、こじつけられる。分かっている。分かっているのに、一つ一つ検証していくと、全部、全部、合ってしまうのだ。最後に私は、Letheが半年前、配信を始めて間もない頃に、ぽつりと言った一言の、アーカイブに辿り着いた。


『俺、なんで配信始めたかって言うとさ。まあ、自分を、どっかに、保存しときたかったからなんだよね』


 そのとき、コメント欄は『重いw』『急にエモいこと言うなw』で盛り上がっていて、Letheもすぐに『あ、ごめん、なんか変なこと言った、次のゲームやろう』と流していた。流されていたのだ、あの時、たぶん、全員に。私だけじゃなくて、視聴者の全員に。でも私は、今、その言葉をもう一度聞いて、凍っていた。

 自分を、保存しときたかった。

 どっかに。

 私は、スマホを胸に抱えて、ベッドの上で、丸くなった。推しが、教室の隅にいる。もし、私の、この、とんでもない勘違いじゃなければ。もし、もしも、これが本当だとしたら。推しは、演技なんか、していないのかもしれない。本当に、毎日、忘れているのかもしれない。推しの、「俺は記憶が一日しか持たないんだよね」は、ロールプレイじゃなくて、ただの、日常報告だったのかもしれない。笑って言っていた、あの、軽い声は。笑うしかないから、笑っていた、のかもしれない。

 私は、その夜、眠れなかった。眠れないまま、朝になった。

 ──そして、今、私は、教室の、自分の席で、彼の方を、見ている。

 早瀬くんは、さっき教室に入ってきて、廊下側の相馬くんに軽く手を上げ返して、自分の席に座った。  迷わずに座ったように見えた。でも、一瞬、ほんの一瞬、彼の視線が、自分の席を探したように泳いだのを、私は見逃さなかった。毎朝、彼は、席を、探しているのかもしれない。そんな馬鹿な、って、昨日までの私は、笑ったと思う。でも、今日の私は、笑えない。私はじっと、彼を見る。確かめたいのか、確かめたくないのか、自分でも分からないまま、私は彼の横顔を見続ける。視線に気づいたのだろう、彼は、少しだけ、首を傾げてから、顔を上げた。

 目が合った。その瞬間、私の全身から血の気が引いて、次の瞬間、今度は全身に血が逆流した。二秒くらいの間に、私の循環器系は一生分の仕事をした。私は慌てて、視線を黒板の方に戻した。戻し方が、下手だった。自分でも分かるくらい下手だった。もう、見ていないふりなんて、できていない。誰が見てもバレる逸らし方だった。

 耳が、熱い。熱すぎて、耳が、存在している。普段、耳って、こんなに存在してましたっけ?  やっちゃった、と思った。推しに、バレた、と思った。──いや、違う。早瀬くんに、バレた、のだ。私が、彼のことを、じっと見ていたことが。彼は、私が誰かなんて、覚えていないかもしれないのに。私だけが、彼のことを、知っていて。私だけが、一方的に、あの配信の声と、あの静けさと、あの、自分を保存したいと言った、半年前の一言を、全部、ひとりで、抱えていて。

 私は、教科書を開くふりをして、机の下でこっそりスマホを握った。 配信サイトのアプリを開いて、Letheのチャンネルを表示した。昨夜のアーカイブのサムネイルが、一番上に並んでいる。そのサムネイルの中の彼は、もちろん、顔を出していない。んとは全部私の勘。だけど、だけどだけど、私には、もう、分かっている。画面の中の、声の主が、今、私の、ほんの数メートル先に、座っている。毎朝、自分の席を、探しているかもしれない人として。毎晩、自分を、どこかに、保存しようとしている人として。

 視界の端で、私は、もう一度だけ、彼を見た。一瞬だけ、本当に一瞬だけ、彼は、こっちを、見ていた気がした。気のせいかもしれないけど。──気のせい、じゃ、ないと、いいな。そんな勝手なことを、私は、思った。

 一限目のチャイムが鳴った。担任が入ってくる。みんなが席に着く。私は、ノートを開いて、ペンを握って、何も書かないまま、ペン先を、紙の上で、ぐるぐる、回していた。どうしよう、と思っていた。  明日の私、どうしよう。だって私、たぶん、この人のこと、今までの「推し」とは違う好き方で、好きになってしまう、気がする。もしかしたら、もう、なってるかもしれない。好きになっても、彼は、私のこと、毎朝、忘れるのかもしれないのに。


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