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記憶が一日しか持たない俺が、それを演技だと思われて同接十万の配信者になっている件  作者: 吉良カンタ


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第1話 昨日の俺が知らない女子と話していた

 目が覚めて、まず天井を見る。

 何の変哲もない白い天井だ。見覚えがあるかと言われれば、ある。毎朝見ている気がする。ただ、それが昨日も見た天井なのかと言われると、正直よく分からない。なにしろ、昨日という概念自体が俺にはほとんど存在しない。ゆっくり視線を下ろす。枕元の壁に、一枚の紙が貼ってある。手書きで、大きめの字でこう書いてある。


【おはよう。お前は早瀬忘はやせのぞむ。十七歳。高校二年生。今いるのは自分の部屋。一人暮らし。まずスマホを開け。朝の手順は冷蔵庫の扉にある】


 自分の字だ。

 昨日の俺が、今日の俺に向けて書いたんだろう。あるいは一昨日の俺か、先週の俺か。どうせ忘れているから、誰が書いたかは大差ない。

 ともかく、俺の名前は早瀬忘。今日も、そういうことにしておく。

 枕元のスマホを取る。ロック画面には何通かの通知が並んでいる。一番上に、自分で設定したリマインダーが出ていた。


【朝イチでアーカイブを見ろ。全部見なくていい。最後の三十分だけでいい】


 律儀な男だ、昨日の俺は。布団の中でスマホを横向きにして、配信サイトを開く。ブックマークの最上段に、自分のチャンネルがある。チャンネル名は『Lethe -レーテ-』。これも、俺の名前だ。配信者としての。意味はあんまりよく分かっていない。昔の自分が決めたらしい。

 最新のアーカイブをタップする。昨日の夜の配信だ。サムネイルに写っているのは、顔出ししていない俺の手元と、ゲーム画面と、画面の端に表示された『雑談/初見プレイ』の文字。再生時間、三時間四十二分。最後の三十分に飛ばす。イヤホンをして、画面の中の自分が何を喋っているのか、耳を傾ける。


『──いや、だからさ、俺、今日さ、マジで初めてだったんだって。このゲーム』


 画面の中の俺が言う。声は、たぶん俺の声だ。自分の声を録音で聞くのって変な感じがするって人がいるけど、俺の場合はもっと変だ。昨日の自分が言ったことを、今日の自分が初めて聞いているんだから。


『分かる分かる、毎回初見なんだもんな、視聴者から見ればw』『ロープレうますぎだろお前』『Letheの記憶喪失キャラ、一年やってもブレないの逆にすごい』


 右側に流れるコメント欄を目で追う。なるほど。昨日の俺は、いつも通り人気があったらしい。 俺は、記憶喪失キャラとして配信をしている。ことになっている。

 視聴者はみんな、俺が「記憶が一日しか持たない男」という設定でロールプレイをしていると思っている。そういう演技をする配信者だと思っている。だから、俺がどれだけ「昨日のこと覚えてないんだよねー」と言っても、「今日も絶好調で忘れてるなw」と笑ってくれる。

 しかし、まあ、実際のところ、俺は本当に昨日のことを覚えていない。こういうのを、世の中では「逆行性健忘」と呼ぶらしい。医者がそう言っていた気がする。あるいは、昨日の俺の配信でそう言っていたのかもしれない。どっちだったか、忘れた。俺の記憶は、一日でリセットされる。正確には、深く眠ると消える。医者が言うには、脳の記憶定着の仕組みが、俺の場合だけ逆回転しているらしい。仮眠くらいじゃ消えない。だから俺は、電車でうとうとするくらいなら許されている。でも、夜、ベッドに入って、ちゃんと眠ってしまったら、もうダメだ。

 だから俺にとって、昨日の自分と今日の自分は、ほぼ他人だ。顔も名前も同じ他人。ただ、他人の中では一番信用できる他人ではある。なにしろ、昨日の俺は今日の俺のために、わざわざメモを残してくれる。そのメモの最大の貯蔵庫が、このアーカイブだ。 俺の昨日は、ここにしかない。


『あー、そういえば今日さ』


 画面の中の俺が、不意に話題を変えた。コメント欄が『お、雑談タイム』と反応する。


『学校でさ、なんか、ずっと見られてた気がするんだよね』


 俺は、布団の中でわずかに身を起こす。学校で、見られていた。昨日の自分の話を他人事として聞いているのに、なぜか心臓の位置が少しだけ落ち着かなくなる。


『誰に?』『女の子?』『それなんていう恋愛漫画の主人公』


 コメントが流れる。画面の中の俺は、少しだけ笑って、こう続けた。


『さあ? まあ、クラスの女子だとは思うんだけど。顔覚えてないから、明日会っても分かんないだろうな』

『お前の記憶喪失設定、こういうときに便利だよなw』『便利じゃねえ切ないわ』『ガチでクラスの女子誰か覚えてないの?草』『草じゃねえ泣けるわ』


 画面の中の俺が、ははっ、と笑って、


『まあ、そんな感じだからさ。もし今日の配信見てる同級生いたらさ、話しかけてくれよ。俺、明日には忘れてるから安心して話しかけていいぞ』


 軽い口調だった。視聴者は『それが売りだよなw』『Letheのこういうとこ好き』と盛り上がっていた。俺は、布団の中でスマホの画面を見つめたまま、少しだけ沈黙する。昨日の俺は、クラスの女子に見られていた。それが誰かは分からない。そもそも俺は、クラスメイトの顔と名前の対応表をちゃんと作っていない。作ろうとしたことはある気がするけど、人数が多すぎて途中で諦めた形跡が、昔のメモ帳に残っている。だから、今日学校に行っても、誰が俺を見ていた子なのかは、分からないだろう。分からないまま、今日も学校に行く。いつも通りだ。

 アーカイブを閉じて、布団から出る。飲み物でもないかと冷蔵庫を覗きに行くと、その扉に、手順書が貼ってある。


【一、顔を洗う。 二、冷蔵庫の中のおにぎりを食べる(今日の分は「火」のラベル)。 三、制服に着替える。制服はクローゼットの一番右。 四、駅までの道は玄関のドアの裏のメモを見ろ。五、電車は各駅停車で六駅。降りる駅は「南陽」。覚えなくていい。ホームのベンチに次のメモがある】


 律儀だ、本当に。ラベル通りにおにぎりを食べて、制服に着替える。鏡の中の自分は、特に可もなく不可もない顔をしている。寝癖を直す。ネクタイの結び方は、洗面台の横に写真付きで貼ってある。五回目でうまくいった。毎朝五回やってる気がするけど、毎朝五回目でうまくいくなら、まあ、それでいい。

 玄関のドアの裏に、駅までの地図。家を出る。空は晴れていた。昨日も晴れていたかどうかは、覚えていない。

 電車の中で、俺はスマホの『クラスメイトメモ』を開く。これは顔写真なしの、名前と特徴だけのメモだ。写真を撮るのはさすがに気が引けたらしい、昨日までの俺は。


【前の席:男子、坊主、野球部っぽい、名前たぶん田中】

【右斜め前:女子、ショートカット、いつも本読んでる】

【廊下側:男子、俺によく話しかけてくる、うざいけど悪いやつじゃない、名前「相馬」】


 情報量が、少ない。というか、クラスの三分の一も把握していない。昨日までの俺、もうちょっと頑張れ。今まではかなり丁寧だったのに、と思うが、頑張った結果がこれなら仕方ない。俺は人付き合いを諦めている男だ。毎朝他人の顔と名前を新規で覚え直す人生なんて、誰だって諦める。 スクロールする。リストの一番下に、昨日の日付で、一行だけ新しいメモが追加されていた。


【女子、名前不明、今日ずっとこっち見てた気がする。明日確認する】


 昨日の俺からの、申し送り事項だった。俺は、少しだけ息を吐く。

 【明日確認する】と書いて、その『明日』にあたる今日、俺は何もかも忘れている。確認すると書いた本人がいなくなっている。俺の人生はだいたいこういう構造だ。申し送りだけが積み重なって、それを受け取るはずの俺は毎朝新品で産まれてくる。でもまあ、昨日の俺がわざわざ書き残したということは、何かしら気になったんだろう。それくらいのことは、分かる。

 電車が『南陽』に着く。ホームのベンチには新しいメモは無かった。最近はここにメモを残す必要が無くなったらしい。たぶん、駅から学校までの道は身体が覚えている。身体の記憶は、なぜか残るらしい。ありがたい。

 学校までの道を、俺は歩く。途中ですれ違う生徒たちは、俺に挨拶してこない。俺も挨拶しない。学校で誰とも話さない、というのは、俺の中の不文律だ。というか、戦略だ。話しかければ、明日には忘れている。忘れたくないのに忘れてしまう。それで相手を傷つけるくらいなら、最初から話さない方がいい。そう決めたのは、いつかの俺だった。その判断を、今日の俺も継いでいる。 継がされている、と言うべきか。

 校門をくぐり、下駄箱で靴を履き替える。下駄箱には自分の名前のシールが貼ってある。『早瀬忘』。自分の名前を文字で見るたび、少しだけ、面白い気分になる。忘れる、と書いて、のぞむ。のぞむ、は望む、とも読める。忘れることを望んだわけじゃないのに、俺は毎日綺麗に忘れていく。親のセンスが悪いのか、良いのか、俺にはよく分からない。親の顔も、今朝は思い出せていない。

 階段を上がる。二年三組。教室の前で一度立ち止まって、ドアの取っ手にかけた手のひらで深呼吸をする。毎朝、ここで少しだけ覚悟が要る。今日の教室には、昨日の俺が知っていた人間がいる。俺は、その人たちを知らない。でも、その人たちは俺を知っている。昨日話しかけられていたなら、今日も話しかけられるかもしれない。その時俺は、うまく躱さなければならない。昨日の俺のふりをして、何事もないような顔をしなければならない。これが、俺の一日の始まり方だ。ドアを開ける。

 教室の中は、いつも通りの朝の喧騒だった、たぶん。比較対象がないから「いつも通り」なんて本当は言えないけど、印象として、そういう感じがした。自分の席がどこか、一瞬だけ分からなくなる。スマホの教室マップを開こうとして、そのタイミングで、廊下側の一番後ろの席から手を上げている男子が目に入った。親しげに俺に向かって軽く顎を引いている。たしか、メモによれば、相馬という男子だったはずだ。俺によく話しかけてくる、うざいけど悪いやつじゃない男子。ということは、俺の席はあの辺りだ。俺は相馬に軽く手を上げ返して、彼の一つ前の席、廊下側の前から四番目に座る。合っていたらしい。相馬は何も言わずに、自分のスマホに視線を戻した。この距離感、助かる。朝から長話されたら俺の処理能力を超える。鞄を机にかけ、座る。息を吐く。

 とりあえず、今日も、教室に辿り着いた。それだけで、俺の朝はだいたい勝ちだ。

 ふと、視線を感じた。まっすぐな視線だった。隠そうとしていないというか、むしろこっちに向けて発射されているというか、そういう種類の視線だった。俺は、少しだけ首を傾げてから、顔を上げる。視線の先は、窓際の前から三列目くらいの女子の席だった。

 目が合う。

 合った、と思った瞬間、その女子は、はっ、という顔をして、慌てたように視線を黒板のほうに戻した。戻し方がぎこちなかった。あまりにぎこちなかったので、見ていないふりをしているのが一発で分かった。俺は、その子の横顔を、ほんの二秒ほど、眺める。肩の下まである髪を一つに緩くまとめていて、耳が少しだけ赤かった。赤いのは、朝の冷え込みのせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。顔には、見覚えが、ない。少なくとも今朝の俺の中には、この子の情報は入っていない。でも。昨日の俺は、こう言っていた。

 ──学校でさ、なんか、ずっと見られてた気がするんだよね。

 ああ、と俺は胸の中で短く呟く。この子、かもしれないな。俺はスマホを開き、『クラスメイトメモ』の一番下、昨日の俺が書き残した一行を見る。


【女子、名前不明、今日ずっとこっち見てた気がする。明日確認する】


 その下に、新しく一行、書き加える。今日の俺から、明日の俺への、申し送りだ。


【窓際、前から三列目、髪を一つに結んでる女子。たぶん、この子】


 書き終えて、スマホを伏せる。その女子の方を、もう一度だけ見ようかと思って、やめた。やめたのに、視界の端で、彼女がもう一度だけこっちを見たのが、分かった。今日、何か起こるかもしれないな、と俺は思った。もしかしたら、起こって、そして、俺は明日には、それを忘れているのかもしれない。いつも通りだ。それでも、なんだか、今日の始まり方は、いつもよりほんの少しだけ、明るい方向に傾いている気がした。気がしただけだ。比較対象がないから、本当は、そんなこと、分からないのだけれど。


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