第8話:私たちって、どういう関係?
実験結果が出揃った。
だが、そのデータは決して理想的なものとは言えなかった。最大の問題は、彼女たちに複雑な指揮命令を下せないことだ。
「右手を上げろ」と命令すれば、彼女たちは三から五秒ほど経ってから、のろのろと亀のような遅さで右腕を上げる。
「服を脱いで、後ろに投げ捨てろ」と命令すれば、彼女たちは腰のあたりを手探りしたまま、その場でフリーズしてしまった。
どうやら上着の裾を探しているようだが、彼女たちが今着ているのは統一されたデザインの白いワンピースだ。
本来なら上半身の布地を掴み、首から引き抜くように脱ぐべきなのだが、そうした効率的な動きをする者は一人もいなかった。
視界には他の個体の服装や、自分自身の格好が映っているはずなのに、それを利用した論理的な判断ができていない。
この事実は、彼女たちが脳で考えて身体を動かしているのではなく、単なる肉体的な反射運動だけで作動していることを十分に証明していた。
「彼女たち……どうしてこんな風に?」
タン・ピンは眉をひそめ、無意識のうちに拳を固く握り締めた。
自分も実験のプロセスに参加するとタノシに伝えてはいたが、最高指揮権までは与えられていなかった。
彼にできるのは、実験が行われた「後の結果」に干渉することだけで、実験そのものの起動を阻止する権限はない。
これぞまさしく上位者が下位者に対して施す【制約】であり、不信の具体的な現れだった。
――つまらない慈悲で、偉大な計画を台無しにするな。
相手は口にこそ出さなかったが、タン・ピンはその強烈な意志を肌で感じ取っていた。
「彼女たちの魂は、タノシ様が召し上がりました。肉体が残されているのは、異世界人と地球人の肉体構造に一定の差異があるためです。タノシ様が『何かに使えるかもしれない』とお考えになり、保存されました」
モニカの声には一切の抑揚がなく、まるで他人事を淡々と報告しているかのようだった。
「でも、あの城で戦っていた時は、多くの武術の達人でも不可能な動きをしていたじゃないか」
タン・ピンははっきりと記憶していた。あの時、石像のように静かに佇み、次の瞬間には豹のようにしなやかに躍動した、あの七人の華麗な英姿を。
たった一閃の剣閃で、重武装した兵士五人を瞬時に切り刻んだ。あれはまさに殺戮のワルツであり、戦場のヴァルキリーそのものだった。
「それは彼女たちが外骨骼を着用しており、すべての動作を私がコントロールしていたからです。彼女たちは単なる『器』に過ぎません」
「なるほど、道理であの時の動きが人体力学を完全に無視していたわけだ……」
目の前に並ぶ「ゾンビ軍団」を見渡しながら、タン・ピンはもう一つの疑問を口にした。
「……それにしても、なぜ全員が女性なんだ? 兵士として選ぶなら、肉体的な強度や素質を考えても、成人男性を選ぶべきだろう?」
よく観察してみると、これらの死体にはある共通点があった。――全員が、美しいのだ。
推定年齢は十八歳から三十歳の間。左右対称の整った顔立ち、肌は滑らかで弾力があり、くすみやシワ一つない。四肢も五体満足だ。
さすがにタノシやモニカには及ばないものの、人間の社会に放り込めば、誰もが間違いなく美女と呼ばれるレベルだった。
「それについては私からは言えません。ですが、理由はあなたにも想像がつくはずです」
「……そうか。そういうことか」
血気盛んな若い男と、意のままに操れる美女人形たち。そこから導き出される理由は、たった一つしかなかった。
これら人造人間は、ハニートラップの誘餌であると同時に、自分を縛り付けるための重要な【人質】なのだ。
『お前には綺麗な玩具をあげる。だから余計な邪念は捨てて大人しくしていなさい。もし一線を越えるような真似をすれば、この子たちがどうなるか、分かっているわね?』
タノシの意図は、おそらくそういうことなのだろう……。
深い沈黙と思考の末、タン・ピンはついに顔を上げた。
「モニカ、彼女たちの意識を取り戻す方法はあるか?」
仮に肉体を「パソコン」とするなら、脳は「ハードディスク」であり、魂は「OS」だ。
現在のOSは書き換えられてしまったが、ハードディスクの中身はまだ残っている。もし内部のデータを活性化させることができれば、それは一種の【復活】と呼べるのではないか。
そうだ……この人たちはまだ救える!
まだ、希望は潰えていない!
「厳密に言えば、彼女たちはすでに死亡しています。今あなたが見ているのは、心臓が動いているだけの死体です。タノシ様が神力の供給を止めれば、その瞬間に腐敗が始まります」
「本当に、何一つ方法はないのか?」
タン・ピンは諦めずに食い下がった。
その執拗さに、モニカは内心で頭を痛めた。タノシ様が懸念していた事態が、とうとう現実になってしまったのだと。
しかし……。
これは彼女にとって、またとない【好機】でもあった!
もしタン・ピンの裏工作がタノシの意志と決定的に背反すれば、遅かれ早かれ二人は決裂する。そうなれば、自分こそが名実ともに組織のナンバー2、かつてメフィストフェレス様の傍らにいたあの頃のように、絶対的な地位に君臨できる。
しばらくの演算の後、ドローン形態でタン・ピンの周囲を浮遊していたモニカが、ようやく重い口を開いた。
「実は、方法が一つだけあります。ですが、あまりに割に合わないため、推奨はしません」
「まずはそれを言ってくれ。判断するのは僕だ!」
「あなたは『悪人』になりますよ? 手が汚れる前なら、今からでも引き返せます」
「そんなもの、とっくに悪人に成り下がっているさ。だが、それと目の前の人間を救うかどうかは別の話だ!」
「……分かりました。では、よく聞いてください――」
*
パタパタパタ!
廊下に騒がしい足音が響き渡る。
「はあ、はあ……なんとか、間に合った!」
タン・ピンは足を止め、激しく肩で息をした。
神殿の入り口には、すでに旅立ちの支度を整えた三人の姿があった。
主神であるタノシ、白い仮面を被った謎の人物、そしてモニカのアンドロイド分身。
認めざるを得ないのは、ブラウアー帝国を蹂躙した六カ国連合軍の戦力はまさに桁違いだったということだ。わずか千人余りの【貢献(生贄)】によって、タノシはあの幼いロリ形態を完全に脱却していた。
現在の彼女は、さながら大学生活を控えた高校生のような風貌をしていた。
まだほんのりと幼さを残す顔立ちと、栄養が行き届きすぎた豊満な肉体。それはまさに、天使と悪魔が融合したかのような暴力的な魅力を放っている。
ただ一瞥しただけで、タン・ピンの理性が激しく揺さぶられるほどだった。
「忠僕!」
自分が飼っている小犬がわざわざ見送りに駆けつけてくれたのを見て、タノシはひまわりが咲いたような満面の笑みを浮かべた。
彼女はいきなりタン・ピンに抱きつくと、彼の顔を自身の深い谷間へと容赦なく埋め込み、これでもかと擦りつけた。
「いい子でお留守番しているのよ? 私が帰ってきたら、もっとエッチで、色んなことをしてあげるから」
「お、ふ、ふが、息ができない……っ!」
一悶着の末、タン・ピンはようやくその甘美な揺り籠から這い出た。
彼は女神の、あの妖艶なアメジスト色の双眸を見つめ、真剣な面持ちで告げた。
「タノシ様!」
「ん?」
「以前、僕が望むものは何でもくれるとおっしゃいましたよね。それなら……僕に『側室』を囲うことを許していただけませんか? あの、解凍された人造人間たちを、僕の――!」
白く、ネギの根のように繊細な指先が、タン・ピンの唇をそっと押し包み、その言葉を遮った。
タノシはタン・ピンを見つめ、どこか意味深な、薄ら寒い笑みを浮かべた。
彼女は愛おしそうに彼の頬を撫でながら、低く囁くように問いかけた。
「――私たちって、どういう関係かしら?」
タン・ピンは、その場で凍りついた。
その言葉には、妙な既視感があった。
彼は記憶の海を必死に手探りした。このセリフ、一体どこで聞いたのだったか――。
突如として、湯評の脳裏を激しい頭痛が襲い、胸の奥が締め付けられるような苦しさに襲われた。
「――ッ!?」
苦しい……。
かつて、僕にこれと全く同じ質問をした者がいたような気がする。
……誰だ!?
ぼやけた影のような顔が脳裏に浮かぶ。その姿をはっきりと形作ることはできなかったが、その瞳だけは鮮明に覚えていた。期待に満ちあふれ、そして――徐々に光を失っていった、あの双眸。
僕の軽率な一言が、彼女を深く失望させてしまったのだ。
彼女は……一体、誰なんだ?
クソッ、思い出せない……!
その時、雪のように白い触手が、そっと彼の額に這い上がってきた。
エメラルドグリーンの光が弾けると、タン・ピンを苛んでいた激痛は嘘のように消え去り、同時に脳裏のボヤけた顔も、タノシの容顔へと上書きされていく。
銀髪の女神はタン・ピンの顔を両手で包み込んだ。その神罰的なまでに美しい容姿が男の瞳孔を支配し、他の不純物が入り込む隙間など微塵も残さない。
「あの女たちのことは、好きに遊んで構わないわ」
「誤解です! 僕はただ……」
命を救うためとはいえ、タノシの心を傷つけたくはなかった。タン・ピンは即座に弁明しようとしたが、またしてもタノシの指先によって言葉を遮られた。
「だけど……その代わり、この問題をよく考えておきなさい。私が帰ってきたら、あなたの答えを聞かせて」
タノシはそっと手を離し、彼に背を向けた。
「これでも私は女の子よ。誰かに大切にされたいし、甘やかされたい。だから……あなたの本心が知りたいの」
「私には数千年の寿命があるけれど、もう待つのは退屈だわ。次に会う時、あなたの答えを聞かせてね」
言い終えるや否や、彼女の身体はゆっくりと浮き上がり、他の二人とともに大空へと舞い上がった。
タン・ピンは地上に取り残され、ただ呆然と彼女たちを見上げるしかなかった。
三人の影はみるみるうちに小さくなり、やがて白い雲の彼方へと消え去った。
*
「連れていってあげるのかと思ったよ」
隣から青嵐の声が響いた。
タノシはフンと鼻を鳴らす。
「何よ? あなたがアイツと二人きりになるチャンスを作ってあげればよかった?」
「まさか。あなたも一緒にいるじゃない」
「フン、私をバカにしないで!」
「ふふっ」
短い応酬はそこで終わった。
青嵐は顔の仮面を外すと、どこか懐かしむように呟いた。
「……私も昔、彼に同じ質問をしたよ」
「……」
「彼はまだ若すぎる。色んなことが見えていない。でも大丈夫、私たちが彼を見守っていけばいい。彼がいつか、逆に私たちを護ってくれるその日まで」
タノシは、自分の右手が何者かに握られたのを感じた。
皮膚を通じて伝わってくる熾烈なまでの熱量が、やがて彼女の心臓を温めていく。
やはり、どれほどの時が流れようとも、決して変わらないものがあるのだ。
「……さあね! もしかしたら五百年後には私に新しい男ができていて、アイツのことなんて綺麗さっぱり忘れてるかもしれないわよ!」
「はいはい。ツンデレな御主人様」
「フンッ!」
*
所変わって、タン・ピンは大型の観光バスを運転し、ブラウアーの城へと向かっていた。
今日はジェナたちと、物資の買い出しに同行する約束をしていたのだ。
彼が城の門前にバスを乗り付けた瞬間、その場にいた全員が我が目を疑った。
「タ、タン・ピン様っ、これは一体何なのですか!?」
ジェナは驚きのあまり、言葉を詰まらせていた。
「これは観光バス、車のデカい奴さ」
タノシが不在となった今、タン・ピンはこの国の権力の頂点に君臨していた。
この機会を利用して、彼はモニカから大量の機密ファイルを要求した。資料の多くは黒塗りで検閲されていたが、それでもかなりの情報を掴むことに成功した。
魔狼族とヘリオスは長期にわたり【新手市 (しんしゅし )】に駐留し、侵入者の捕獲と物資の捜索を担当している。
食料、日用品、ガソリン、家電製品、建物……。この島に不足している物資はすべて魔法陣を通じて転送されており、このバスもその一つだった。
さらに、ブラウアー城からタノシ神殿へと続くアスファルトの道路は、モニカが昨夜のうちに突貫工事で舗装を済ませていたため、こうして車を走らせることができたのだ。
「カンコウバス? クルマ……?」
説明を聞いても、ジェナはますます狐につままれたような顔になるだけだった。
「ちょっと待ち乗さい! 二人とも距離が近すぎます!」
我が娘が男と距離を縮めているのを目撃し、血相を変えたルナリアが二人の間に割って入った。文字通り「安全地帯」を作り出そうと必死だ。
「あー……」
面倒な女が来ちゃったな……。
ルナリアがジェナの母親であることは理解しているが、いささか過保護が過ぎる。これでは僕の計画(ハニートラップの進行)に支障が出るではないか。
幸いにも、そこへエルースが救いの手を差し伸べた。
「ルナリア、いい加減にしなさい! まだ出発もしていないのよ!」
「でも……!」
「『でも』じゃないわ!」
エルースはルナリアの反論を無視し、彼女の手を引いて無理やり隊列の最後尾へと連行していった。
「それでは、皆さん乗車してください。どうぞ!」
全員の乗車を確認すると、タン・ピンはエンジンを始動させ、超大型ディスカウントストア【TOSTTO】へと車を走らせた。
道中、バスの中のブラウアーの女性陣の口が休まることはなかった。カラオケボックスよりも騒がしい有様だ。
「嘘、この椅子、信じられないくらい柔らかいわ!」
「このガラス、おかしいわよ! 教会のステンドグラスとは全然違う。まるで空気がそのまま固まったみたいに透明だわ!」
「ねえ、なんか肌寒くない? まるで冬が来たみたい……」
「頭の上のあの穴よ! あそこから冷たい風が吹き出しているわ!」
助手席に座るジェナもまた、興奮を抑えきれない様子で次々と質問を投げかけてくる。
「タン・ピン様、この乗り物は馬車とは根本的に違いますね! まさか、この鉄の塊の底に馬が隠されているわけではないのでしょう?」
「何ですか? ガソリンで動く? ……それは、オリーブオイルのようなものですか?」
「足元の板を踏むだけで前に進み、この円盤を回すだけで方向が変わるなんて、一体どういう原理なのですか?」
ジェナはタン・ピンが落とそうとしているお目当ての女の子だ。これらのお喋りな質問に対しても、彼は可能な限り知る限りの知識で丁寧に答えてあげた。
やがて【TOSTTO】に到着すると、目の前に現れた巨大で真っ白な建造物を前に、一同は再び目を丸くした。
「これはお城……? どうしてこんなに四角いのですか? 塔楼すら見当たりませんが」
「何かの間違いじゃないの? 私たちは商店に行くと言っていたはずよ」
「まさか、私たち、拉致されたんじゃ……!?」
群衆の間に不穏な噂が広がり始めたのを察知し、タン・ピンは慌てて前に出た。
「違います! ここが本当に商店なんです。ただ、皆さんの知っている店より少しばかり規模が大きいだけですよ!」
しかし、どれほど説明しても、彼女たちの瞳には依然として不信の色が濃厚だった。
中には、警戒のあまり腰の剣の柄に手をかける者まで現れる始末だ。
その時、全く予想もしなかった人物が、彼のこの窮地を救うことになる――。
「さあ、早く中へ案内しておくれ、タン・ピン先生。私はとても楽しみにしているんだからねぇ」
白髪交じりの老婦人――キャサリンは、意味深な薄笑いを浮かべながらタン・ピンを見つめた。
だが、タン・ピンの勘が告げていた。もしこの中に本当に伏兵が潜んでいたとしたら、このクソババアはもっと狂喜乱舞するに違いない、と。
「キャサリン様! 彼の言葉が真実かどうかも分からぬのです、ここはやはり……」
黒髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ、銀色の甲冑を纏った女性が、慌ててキャサリンの前に立ちはだかり身を挺して護ろうとする。
しかし、当の主君はその忠義をあっさりと踏みにじった。
「黙りおくれ!」
キャサリンの一喝が響き渡る。
その場にいた全員が、条件反射のように口を噤んだ。
「お見苦しいところを見せたねぇ、タン・ピン先生。この子は私の部下でね、コブラ騎士団の団長を務めているカテリーナ・イヴァノフというんだ。ほらカテリーナ、タン・ピン先生にご挨拶しなさい」
「は、はじめまして……っ!」
カテリーナはガチガチに強張った声でそう言うと、ぎこちなく右手を差し出してきた。
タン・ピンもまた、その手を握り返す。
「お近づきになれて光栄です」
握った彼女の手のひらは、どこか硬く、女の子らしい柔らかさなど微塵も感じられなかった。
これまでの人生のすべてを、軍隊という泥臭い世界に捧げてきた証拠だろう。
部下がタン・ピンと無事に(?)挨拶を交わしたのを見て、キャサリンは満足そうに深く頷いた。
「若い者同士、大いに交流を深めるといいさ。遠慮することはないよ! ああ、すまないねぇ、タン・ピン先生。この子はね、私と一緒に戦場を長く駆け抜けてきたせいで、今年で三十四歳になるってのに未だに生娘でねぇ。騎士団の後輩たちからも、よくからかわれているんだよ!」
「キャサリン様ぁぁぁーーーーっ!!!」
まさか自身の最高機密(黒歴史)を初対面の男の前で暴露されるとは思っていなかったのだろう。いくら氷山美人の異名を持つカテリーナとて、茹で上がったタコのように顔を真っ赤に染め上げた。
「……なるほど。前向きに善処させていただきます」
タン・ピンは内心で盛大にずっこけながらも、大人の社交辞令として極めて礼儀正しく返答した。
その瞬間、カテリーナとルナリアの二人から、同時に突き刺すような殺気混じりの睨みを食らう羽目になったのだが。
それにしても、高齢者が初対面の相手に孫娘(あるいは部下)を無理やり売り込んでくるムーブって、本当に実在するんだな……。ドラマの中だけの話かと思っていたよ。
「ゴホンッ! と、とにかく、中へ入りましょう。こちらへどうぞ!」
*
タン・ピンは臨時のツアーガイドとなり、一同を引き連れて広大な店内を歩き始めた。
「ここ【TOSTTO】は、大型会員制倉庫型ショップ……まあ、日本でいう量販店のような場所です。ここの商品は『大容量』であることで有名でして、例えばこのクリーム味のポップコーン。これ一袋でなんと七百グラムもあります。普通の家族が総出で数日かけてようやく食べきれる量ですね」
タン・ピンは棚からポップコーンの袋を一つ手に取ると、バリッと豪快に開封して一同に差し出した。
真っ先に動いたのはジェナだった。彼女は恐る恐るポップコーンを一つ指でつまみ、口に放り込んで、カリリと音を立てる。
次の瞬間、彼女の双眸からまばゆいばかりの黄金の光が放たれた。
「……甘いっ! すごく甘いです!」
興奮した様子で、彼女はすぐさま二つ目、三つ目を掴み、目にも留まらぬ速さで口へと運んでいく。
「お母様! これ、本当に美味しいですわ! 早く食べてみてください!」
ジェナがぶんぶんと手を振って催促すると、ルナリアも釣られるようにして一つ口に含んだ。
「……美味しい! なんて上品な甘さなの!」
母娘が示し合わせたように次々と袋の中に手を伸ばす様子を見て、周囲の女性陣は一斉にごくりと生唾を飲み込んだ。
タン・ピンはそれを見逃さず、今度はチョコレート味のポップコーンを手に取り、同じように開封して差し出した。
「こちらはチョコレート味です。よろしければ、皆さんもどうぞ!」
その言葉が終わるか否かのうちに、女たちが一斉に群がった。
「本当に、なんて甘くて濃厚なのかしら……!」
エルースが驚愕の表情を浮かべる。
「噛むとサクサクと心地よい音がするのに、口の中で程よく溶けていく……信じられない。一体どんな魔法を使えばこんな菓子が作れるの!?」
氷山美人だったはずのカテリーナは、もはや理性を失ったかのように一掴み分のポップコーンを強引に口へ押し込んでいた。
一方で、キャサリンだけは最初の一つを口にした後、それ以上手を伸ばそうとはしなかった。
彼女ほどの年齢になると、糖分の塊のような甘味にはそれほど惹かれないのだ。
彼女は棚からまだ未開封のポップコーンの袋を一つ取り出すと、その外側のプラスチック製パッケージの質感を指先で確かめ、それから再び視線を広大な棚へと巡らせた。
右を見ても左を見ても、整然と並ぶ棚、棚、棚。そのすべてを埋め尽くすように、見たこともない商品が整然と陳列されている。その種類は数千、数万に及ぶだろう。あまりの物量と、それらを包む未知の技術(工業製品)の輝きに、老練な最高権力者である彼女ですら、一瞬だけ目眩を覚えるほどだった。
「タン・ピン先生、この店は本当に大したものだねぇ! 広いだけでなく、商品が何から何まで揃っている。プスベルで最高級とされる大商店ですら、この店の前ではゴミ屑で埋め尽くされたただの丸太小屋に見えてしまうよ!」
キャサリンはまるで初めて都会の街並みを目にした田舎の子供のように、きょろきょろと辺りを見回し、目に入るものすべてに驚嘆の声を上げていた。
(ここを丸ごと分捕る(ぶんどる)としたら、一体どれほどの時間がかかるかねぇ……。どうやら今回の私たちは、とんでもないお宝を掘り当てちまったようだ!)
「まあ、何と言っても国際的なチェーン展開をしている大企業ですからね。壮観に思えるのも当然ですよ」
タン・ピンは苦笑しながら答えた。
「コクサイ……チェーン? ウンエイ?」
キャサリンは目立たないようにジェナへ視線を送ると、ジェナは即座に小さく頷いた。
彼女はしなやかな動作でタン・ピンの腕に己の腕を絡め、甘ったるい声で問いかける。
「タン・ピン様、その『コクサイチェーン』とはどういう意味ですの? それに『キギョウ』とは一体何のことかしら?」
豊満な胸の柔らかさが男の腕に押し付けられ、タン・ピンは思わず全身をビクリと震わせた。
「ええと、企業っていうのは『会社』のことです。路地裏の露店も会社みたいなものですし、王都で大きな商店を営むのも会社です。そして国際チェーンというのは、その企業が複数の国にまたがって分店を出せるほど、めちゃくちゃ金持ちだって意味ですよ」
「つまり……これほどまでに巨大な商店が、他の国々でもそれぞれ同様に動いているという意味ですの!?」
これほどの規模の店が世界各地に存在するという事実に、ジェナは一時的に自分の声量を制御できなくなっていた。
しかし、タン・ピンは首を横に振り、さらに言葉を続けた。
「いや、一国に一店舗どころじゃないですよ。僕の知る限り、エリンデ国内だけでもすでに十店舗は展開しています。世界中の【TOSTTO】を全部合わせれば、だいたい九百店舗くらいはあるんじゃないですかね?」
「きゅ、九百店舗ぉっ!?!?」
ジェナが驚愕のあまり素っ頓狂な悲鳴を上げた。
すかさず、横からルナリアがタン・ピンを鋭く睨みつける。
「いい加減な大嘘を吐くのはお止めなさい! 中央諸国の大商会がすべて連合したところで、これほど巨大な建造物を九百もお抱えになれるはずがありませんわ!」
「いや、本当にあるんですよ……」
「ならば、あなた方の国王は一体どれほどの富を有しているというの!?」
「あー……厳格に言えば、これは国王の所有物じゃないんです」
「「「???」」」
タン・ピンを除く、その場にいた全員の頭上に巨大な疑問符が浮かび上がった。
「これは『民営企業』、つまり一般の民衆が自分たちで立ち上げた会社なんです。政府(国家)は株も持っていませんし、経営の決定権もありません」
「ミン……何ですって?」
ルナリアは驚きのあまりその場に硬直してしまい、他の者たちも同様だった。
言葉の一つ一つは理解できる。しかし、それらが繋がると、脳が意味を拒絶した。
これほどの富を持ち、各国の領土に店を構えるほどの商会を、なぜ王宮が管理・統轄していないのだ?
そんなもの、国家にとって危険極まりない存在ではないか!?
キャサリンは長い沈黙の後、低く掠れた声で問うた。
「つまり……王室の許しがなくとも、商人風情がこれほど巨大な産業を築き上げられる、ということかねぇ?」
「ええ、まあ、そんなところです」
タン・ピンはさも当然のように言った。
しかし、キャサリンはそれきり言葉を失ってしまった。
彼女はただ、天を仰ぐようにして、視線の先すら見えないほど長く続く商品棚を見つめていた。
(もし、この世界の商人たちが本当に王権に依存していないのだとしたら……)
だとすれば、この世界の「国家」という概念そのものが、自分たちの知るものとは根本から異なっているに違いない。
その時、キャサリンは突然、真剣な面持ちで切り出した。
「タン・ピン先生、一つ不躾な質問を許しておくれ。お前さんはこの国において、どのような地位に就いているのだい? 家族の者たちはそれぞれどのような爵位を? ……それと、私たちをタノシ様に引き合わせてはもらえないだろうかねぇ?」
「え、ええっと……」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、タン・ピンは完全に戸惑ってしまった。
なんで急にそんな面接みたいなことを言い出すんだ?
正月に久しぶりに会った親戚の集まりじゃあるまいし……。
「僕は、その……」
「この男が貴族の生まれなわけがないでしょう!」
背後からトゲのある刺々しい声が響いた。
ルナリアはタン・ピンの鼻先を指差し、侮蔑に満ちた表情で言い放つ。
「どれほど華麗な衣を纏おうとも、骨の髄に染み付いた下賤さは変えられませんわ!」
「平民はどこまでいっても平民です! 私の娘を、このような素性の知れない男に嫁がせるわけには絶対にいきませんからね!!」




