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Tanosi牧場共和国  作者: 雪谷惑星
第2巻:白鱗の王姫
30/35

第3話:神々の戦い(かみがみのたたかい)

辺りには煙が立ち込め、樹木の根は黒焦げの炭と化していた。

ここは煉獄だ。

生命の気配はない。

「カハッ……ゲホッ、ゲホッ!」

いや……。

たった一つの、例外がいた。

勝者だ。


「なんとか……生き……延びたぞ……!」


湯評タン・ピンは四つん這いになり、激しく喘いだ。

顔は土埃にまみれ、衣服はボロ布のように裂け、その姿は浮浪者さながらだ。

何より凄惨なのは、肌のあちこちに刻まれた黒い火傷の痕だった。

並の人間なら、とうの昔に何度も死んでいるはずの重傷。

だが、神に愛された彼が、そう簡単にくたばることはない。


左手の『青木の腕輪』が淡く輝き、一日一度の治癒術を起動させる。

やがて傷口が塞がって瘡蓋かさぶたとなり、それが剥がれ落ちると、下から新しい皮膚が再生した。


「さっきの、あれは……」

ようやく正気を取り戻した湯評は、背筋が凍るような思いだった。

斬撃と彗星が衝突し、大爆発を引き起こした瞬間、彼の背中の白い触手が動いたのだ。

主の命令を待たず、触手は湯評をまゆのように包み込み、黄金の爆炎から彼を護り抜いた。

ほんの一分足らずの出来事だったが、そのおかげで彼は今、ここに立っている。


一方、円球の怪物は運がなかった。木っ端微塵に砕け散り、残骸すら残っていない。


「危なかった……ん? なんだ、これ?」

足元に何かが踏まれているのに気づき、拾い上げた。

それは、一枚の「紙」だった。

一般的なコピー用紙とは違い、ある程度の厚みと柔らかさがあり、色はわずかに茶がかっている。

紙というよりは、羊皮紙スクロールに近い。

驚くべきことに、あれほどの土埃と泥の中にあったというのに、その紙には一点の汚れもなく、新品のような美しさを保っていた。


(……何かが書いてあるのか?)

紙には、未知の文字が金色のインクで綴られていた。

湯評には読めない。だが文字に触れると、微かな温もりが指先に伝わってきた。

円球の怪物を倒した際に出現した「ドロップアイテム」かもしれない。ひとまずタノシに見せることにしよう。


湯評は紙を『水神の印』の空間へと収納し、心の中でタノシを呼んだ。

(タノシ様、そちらの状況はどうですか!? 今すぐ助けに行きます!)


あちらも、もう終わっているはずだ。

一夜にして数百万の人口を消し去り、無人島を作り替えるほどの強大な力を持つ彼女だ。

この世に、彼女に成し得ぬことなどないのだから。


「――っ!」


突如、脳を焼くような激痛が走り、スライドショーのような断片的な映像が眼前に展開された。

それは……タノシの姿だった。


「タノ……っ!」


湯評が声を上げようとした瞬間、彼の心臓を凍りつかせる光景が飛び込んできた。


無所不能、天下無敵の女神が――今、地に膝を突いていた。

遥か上空には、十二個の金属球が静かに浮遊している。

風の音もなく、物音ひとつしない静寂の中にあるのは――『鎖』。

腕ほどもある太い鎖が球体から伸び、彼女の両腕、両肩、そして背骨にまで深く食い込んでいる。

彼女は、吊るし上げられていた。


「……っ」


銀色の長髪は垂れ下がり、かつての輝きを失っている。

泥にまみれ、血がこびりついている。

ポタッ、ポタッ。

彼女の指先から、蔚藍あおい血が滴り落ちる。

一滴、また一滴。

それは足元に、粘り気のある、ひどく臭う水溜りを作っていた。


「タノシ……様……?」

湯評の声が震える。

理解できなかった。

手を振るだけで島を改造するほどの存在。

彼にとって「絶対」に等しい神。

それがなぜ――こんな姿を晒しているのか。


「……下僕……」


彼女が顔を上げた。

その表情には、いつもの余裕も戯れもない。

あるのは、ただ青白い衰弱のみ。


「逃げなさい……あの、城へ……早く……っ」

「何を言ってるんだよ!!」

湯評は猛然と一歩踏み出した。

「今すぐ助けに行く! 待ってて――」


「バカ者がッ!!!」


叫びが空気を引き裂いた。湯評の体が硬直する。


「……私が、どうして負けたと思っているの……」

途切れ途切れの声が、異常なほど鮮明に響く。

「そして……貴方がどうして勝てたのか……」


「……っ」


一瞬。

湯評の脳内で、バラバラだったパズルが繋がった。

爆発的な力。

怪物を両断した、あの斬撃。

そして……。

目の前で朽ちていく、彼女の体。


「まさか……」

湯評は、自分の勝利が何によってあがなわれたのかを、ようやく悟った。


「行きなさい……!」


鎖が再び締め上げられる。

彼女の骨が、軋むような悲鳴を上げた。


「……もう、これ以上……私の足を引っ張らないで……っ」


「……っ!」


その言葉は、どんな物理的な攻撃よりも重く湯評タン・ピンに突き刺さった。

足が動かない。

駆け寄って彼女を救いたい。

だが――。

自分が行けば、彼女をより早く死に追いやるだけだ。


「くそっ……!」


湯評は歯を食いしばる。爪が手のひらに深く食い込み、血が滲んだ。

彼は、震える足で一歩後退した。


「……ご武運を!」


消え入りそうなほど低い声で告げると、次の瞬間――。

湯評は背を向け、駆け出した。

一度も振り返ることはない。

身を護る最低限の『水母神行クラゲ・ステップ』を除き、残りの全エネルギーをタノシへと返還した。


(間に合ってくれ……負けるな……タノシ様!)


湯評は祈るように、ただ城へと向かって速度を上げた。


---


湯評が遠ざかるのを見て、伯尼達斯ボニタスは心の底から安堵した。

彼は救出すべき重要人質だ。できることなら手荒な真似はしたくなかった。

今回の極秘任務は、邪神の情報の収集と殲滅、そして何よりも「人質の安全な救出」にある。そのためなら、自分たちが全滅しても構わないという覚悟だった。


レーダーによれば、人質は戦場から遠ざかり、城へと近づいている。ボニタスは肩の荷が下りるのを感じた。

あとは……この邪神を仕留め、人質を島から連れ出せば、任務は完璧に終わる。


(……だが、妙に静かすぎないか?)


つい先ほどまで、卡里塔斯カリタス佛提圖多フォルティチュードが「邪神が弱すぎる」「こんな任務にこれほどの人数は不要だ」とあざ笑っていたはずだ。

それが今、不気味なほどの静寂に包まれている。


ボニタスが振り返ると、仲間たちは空中で静止していた。まるで目に見えない巨大な氷塊に閉じ込められたかのように、指一本動かしていない。


「カリタス! フォルティチュード! おい、どうした!? 目を覚ませ!」


いくら呼びかけても、応答はない。

時間はその一秒に永遠に固定され、ボニタスを除いて、自由に行動できる生命体はこの場に存在しなかった。

いや――。

彼を除いて、もう一人。


ボニタスは弾かれたように、階下の邪神へと視線を戻した。

よかった。彼女は依然として鎖に繋がれ、無残な姿で項垂うなだれている。


「……ふぅ、危なかった。まだ拘束は解けていないか」


仲間たちが未知の異常事態に陥り、意思疎通ができなくなったのは痛手だが、解決策はあるはずだ。

もしこの『クトゥルフ』を逃せば、次いつ出会えるか分からない。この島の結界は極めて厄介だ。仲間の半分以上が接触した瞬間に幻術に嵌まり、気づけば結界の外へ弾き飛ばされていた。


十数日に及ぶ苦闘の末、ある仲間が妙案を思いついた。

クジラの体内に潜むことで術式の探知を欺き、結界を通り抜けた瞬間に体内から脱出する。そうしてようやく、この島への上陸を果たしたのだ。

ついでに城の住人たちを解放して混乱を巻き起こし、救出の隙を作った。

これほどの苦労を重ね、任務の99%を終えたのだ。ここで自分たちのミスで台無しにすれば、主神しゅしん様に合わせる顔がない。


とにかく、カリタスたちの状況は不明だが、動けるのは自分だけだ。この邪神を処刑することが最優先事項――。


ボニタスが覚悟を決めたその時、地獄の底から響くような声が耳を打った。


「私を探してるの? イケメンさん♪」


振り返った瞬間、ボニタスの目に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべた少女の顔だった。

この世で最も、その瞬間に見たくなかったかお

――少なくとも、彼女を縛るものが何一つない状態では。


**パシッ!**


タノシは片手だけで、彼の体をがっしりと固定した。

ボニタスがどれほど死に物狂いで抗い、体内の神力を極限まで振り絞っても、彼女の指一本分すら動かすことはできなかった。


「つ~かま~まえた♪」


ヤンデレのような笑みを浮かべ、狂気を孕んだ紫の双眸が至近距離で見つめてくる。

ボニタスの脳裏には、ただ一つの確信が浮かんでいた。

(……終わった)


視界の端で、ボニタスは確かに見た。

鎖に繋がれた「誰か」が今もそこにいることを。あの邪神はそこにいたはずだ。

だとしたら……目の前にいる、この少女は一体!?


「深淵邪法――『触手魔体しょくしゅまたい』」


「この技は身代わりを作り出し、因果律に干渉する兵器すら完璧に回避するの。貴方たちの星の神族じゃ、見たこともないでしょうね!」


タノシは誇らしげに言い放った。


「そんなに急いで帰りたがらないでよ、ミスター・バブルス。……二人きりになりたくて、私、彼氏に嘘までついちゃったんだから。少しは感謝の印を見せてくれてもいいんじゃない?」


タノシは唇を尖らせ、いじけたような仕草を見せる。

すべては計画通り。通話にノイズを混ぜたのも、絶望的な幻像を見せたのも、すべては湯評を騙し、戦場から遠ざけるための芝居。

今、彼女は心置きなく、目の前の獲物を玩弄がんろうできるのだ。


ボニタスは、目の前の現実が信じられなかった。

彼女の指が深く肉体に突き刺さり、邪悪なエネルギーが奔流となって流れ込み、その体を侵食していく。

だが、その痛みですら、驚愕を打ち消すことはできない。


ありえない。不可能なはずだ。

あの鎖は太陽真金ソーラー・トゥルーゴールドで作られ、聖水に十年浸され、出発前には邪龍ファヴニールの鱗でテストまで行ったのだ。

たった一撃で、闇のエネルギーに満ちた鱗を貫いた。

仲間のクレイメンティア(Clementia)は冗談めかしてこう言った。「この布陣なら、相手がルシファーでもその場で墜ちるわ!」と。


それがどうだ。

なぜ、こんなことが起こる。

彼女は、傷一つ負っていないではないか――。


「貴女……どうやって……逃げ出した……?」


「第一声がそれかしら? はぁ……無作法なのは、どの星のオスも共通の悩み事みたいね♪」


タノシはそう言うと、掌にわずかに力を込めた。


**パキパキッ!**


金属球の表面に、瞬時に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。


「ぎゃあああああああ!」


苦悶の叫びを上げる伯尼達斯ボニタスを見つめ、タノシは左手で口元を覆いながら、楽しそうに追い打ちをかける。


「あらら、そんなに痛いの? お姉さんが力を抜いて、一息つかせてあげようか? ――なーんて、夢でも見てなさい!!!」


タノシはさらに力を強めた。


「が、あああああああああッ!!!」


「さっきから何度も言ったはずよ。『やめて、痛い、嫌だ』って。それなのに貴方たちクズ共は、耳を貸しもしないで、我先にとナイフで私を切り刻んだじゃない!」


タノシは強引に腕を振り抜き、ボニタスの右側の機械腕を根元から引きちぎった。


「あああああッ!! ぎゃあああああ!!」


悲鳴が雲を突き抜ける。

だが、その場に彼を憐れむ者はいない。待っているのはただ、底なしの地獄のみ。


「ん? 何かしら、これ」


神力を金属球に流し込んだタノシは、その中枢に一つの「術式」が隠されていることに気づいた。

彼女の力が核に近づこうとすると、術式から神聖なエネルギーが放たれ、外来の邪悪な力を浄化しようと抵抗を始める。


「神聖なるホーリー・ライト……フン、反吐が出るわ」


その術式の詳細までは不明だが、念のため消し去るに越したことはない。

タノシは神力の出力を一気に引き上げた。この金属球をまるごと自分の傀儡くぐつに変えるつもりだった。


だが、予想に反して、そのエネルギーはタノシの圧力を跳ね返し、踏みつけられるほどに輝きを増していく。

神聖なる力が無限に湧き出し、機体内の節々を駆け巡り始めた。


「あああッ! 脳が、体が……ッ!!」


二つの相反するエネルギーが激突し、ボニタスは発狂寸前の苦痛にのたうち回る。

邪悪な力に対抗するため、神聖エネルギーは体内の全ノードを強引に貫通させ、完全な直列回路を形成した。それと同時に、金属球の外見が変貌していく。


巨大な球体は急速に収縮し、一体の「人型」を形作った。

古典的な様式の純白の長袍ローブを纏い、胸元には黄金の十字紋章クロスが刻まれている。

四肢は金属球と同じ色の純銀の軽鎧に包まれていた。

しかし、何よりも目を引くのは、その背に生えた一対の翼。この世のものとは思えないほど、白く、無垢な輝き。

それは純潔の象徴。主神より授かりし福音を世界の果てまで届けるための、使徒の証。


翼人族よくじんぞく?」


タノシが意外そうに目を細める。

彼女の故郷にも翼人族はいたが、目の前の個体とは特徴が異なる。

故郷の種族は腕と翼が一体化しており、より鳥に近い特徴を持ち、風魔法を操ることに長けていた。

だが、この運の悪い男は、まるで人間に翼を継ぎ足し、光魔法を詰め込んだ「継ぎ接ぎ(パッチワーク)」のようだ。


「……ま、いいわ。私には関係ないことだし、さっさと用件を済ませましょ」


「放せ……っ! 私を……放せ……!」


首を掴まれながらも、ボニタスは屈服の色を見せない。


「そんなに怖い顔しないでよ。ほら、私たち同じ『神族』じゃない。生まれた星は違っても、本質的には同じ種族。仲良くお友達になりましょうよ♪」


タノシは聖母のような微笑みを浮かべた。

首を絞める力が一秒ごとに強まっていなければ、ボニタスも騙されていたかもしれない。


おぞましい化け物め……! 我らと自分を同列に語るな!」


ボニタスの目には、はっきりと見えていた。

彼女の背負うあまりにも巨大な因果の糸、そして実体化せんばかりに濃密な「死者の怨念レイス・オーラ」。

それは数多の生命を屠ってきた証であり、世界が発する警告標識。

一国の独裁者や、セレブの皮を被った殺人鬼であっても、その怨念は赤い霧程度に過ぎない。

だが、目の前の妖艶な美女は違う。彼女の怨念は鮮血のように赤黒く、巨大な滝のように荒れ狂っている。

その手に落ちた命は、千万とはいかずとも、百万は下らないだろう。


(初心者の街で起きた惨劇は、間違いなくこいつの仕業だ)

(危険すぎる……逃げろ! 早く逃げろッ!!)


脳が必死に逃走信号を発するが、もはや抗う術はない。

自分も、仲間たちも、ここで朽ち果てるのだという予感。

それでも、彼はただでは死なないと決めていた。

激痛に耐え、血を吐きながら言葉を絞り出す。


「正義は……決して邪悪に屈しない……っ!」

「我ら全員がここで倒れようとも……いつか、我らの意志を継ぐ『勇者』が現れる……」

「その時こそが……貴様の終焉だ……はははは!」


ボニタスは哄笑した。

最期の瞬間に慷慨こうがいとして死を受け入れ、邪神の心に一本の棘を刺そうと試みる。


「……ねえ、貴方。どこかの神族の一員なんでしょ? 教えて。仲間はどこにいるの? 本拠地は? 主神は誰? そいつの真名と弱点は?」


「……」


ボニタスは無視を決め込み、なおも逃れようともがく。

任務は失敗した。これ以上の情報漏洩は許されない。

一刻も早くこの島を離れなければ。最悪、この死体すら相手に渡してはならない!


「ふふ、まだ足掻くつもり? 無駄よ」

「神術――精神支配マインド・コントロール


だが、放たれた光はボニタスに触れた瞬間、音もなく霧散した。


「神術――海妖のセイレーン・ソング


結果は同じ。タノシは不快そうに眉を寄せた。

(この忌々しい神聖力が、私の神術をすべて浄化しちゃうのね……)

(……別の方法で吐かせるしかないわね)


「言いたくないならいいわ。嫌がることを無理強いするほど、お姉さんは悪趣味じゃないもの」


(嘘をつけッ!!!!!)

もし視線で人を殺せるなら、タノシは今頃千の穴が空いていただろう。


「そうだわ! ただのお伽話を聞くだけなら、構わないでしょう?」


タノシは何かを思いついたように、指をパチンと鳴らした。


「ふん……」

ボニタスは抵抗を止めない。奇妙な遊びに付き合っている暇はないのだ。


「私ね、この星の最果てにある氷雪の大地で、偶然『ある遺體したい』を見つけたの」


タノシがそう口にした瞬間、ボニタスの動きが止まった。

それは逃走を諦めたからではなく、情報の流出を防ごうとする本能的な硬直だった。


今の彼の体には邪神の力が入り込んでいる。わずかな感情の揺れすら、相手に事の真偽を悟らせる手がかりになりかねない。

だが、タノシはそんな彼の警戒など気にも留めない様子で、独り言のように話を続けた。


「彼はタイヤの中に封印されていたわ。ひどい死に様だった……。記憶を読み取ってみたら、彼もまた外の世界から来た存在だったのよ」

「私とは違って、空間の裂け目に迷い込んだわけじゃない。彼の旅の終着点は、最初からこの『地球』だったの」


「…………」


伯尼達斯ボニタスは、精巧に作られた人形のように無表情を貫いた。

いかなる感情の機微も、その表面には現れない。

しかし、タノシは内心で冷笑を浮かべていた。これこそが「語るに落ちる」というやつだ。

抑圧すればするほど、そこには隠すべき「真実」があることを証明している。

(……なんて分かりやすい嘘発見器かしら)


「彼は遥か彼方の星系を越えてやってきた。目的はただ一つ……」


「――っ!」


突如、ボニタスが死に物狂いで暴れ出した。

もはや待ってはいられない。一刻も早くここを離れなければならない。一秒の猶予もなかった。


「もう! 大人が話してる時は静かに聞きなさいって、パパとママに教わらなかったの? 少しは大人しくしてなさいよ!」


タノシは掌をさらに締め上げ、彼の喉を握り潰した。

どうせ人間ではないのだ、この程度の損傷で死ぬことはない。

それに、彼女が必要なのは彼の「鼓動」だけだ。喉のような器官など、今の対話には余分だった。


「来たのは彼一人じゃなかったみたい。数は多いわよ、気が遠くなるほどにね。空を埋め尽くしてしまうほどの大軍勢」

「ねえ、奇妙だと思わない? 私がこの星に降り立った時、現地の神霊が一人も見当たらなかったの。どの海にも、どの大陸にもね。……これ、偶然だと思う?」


「!!!!!」


ボニタスは狂ったように身をよじった。

仲間の死体も、任務の失敗も、もはやどうでもいい。

あるじに、この事実を伝えなければならない。

だが、タノシの饒舌じょうぜつは止まらない。


「この星の神話はとても興味深いわ。ネットで見たけれど、とにかく戦争が多いのね……」


そこで一度、タノシはボニタスを真っ向から見据えた。


「ラグナロク、ティタノマキア、高天原たかまがはらの動乱、封神演義……。似たような戦役が、両手じゃ数えきれないほどあるわ」

「もちろん、人間同士が争うのは日常茶飯事だし、その背後にいる神々なら尚更なおさらだと思っていた。……でもね」

「ある言葉を聴いちゃったのよ。『メフィスト』という名の神の遺体からね」


「!!!!!!」


ボニタスは自決を試みた。

情報漏洩を防ぐために体内に埋め込まれた自爆プログラム。

だが、彼は驚愕した。それすらも、発動させることができない!


「厳密に言えば、それらはすべて『同一の戦争』だったのよ。時代も場所も、戦っている面々もバラバラ。けれど、それらはすべて一つの出来事を指し示している」


「だから、最後に一つだけ聞いてあげる……」


「貴方は知っているかしら? 『神の戦い(ゴッド・ウォー)』とは何なのかを」


タノシが微笑む。

それは、猛毒を孕んだケシの花のように、美しくも残酷な笑みだった。

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