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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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543.不幸な授かりもの




 ――どうして、また踊らなければいけないの。


 婚約者であるセドリック・ロウルと見つめ合いながら、フェリシアは心の中で考える。

 淑女の微笑みもダンスも抜かりないが、心境としてはソファに座ってこめかみに手を添えたかった。


 ツイーディア王国の貴族は基本的に、一夜に同じ相手と二度は踊らない。

 それをしていいのは夫婦や婚約者、あるいは婚約確定レベルの恋人同士である。セドリックが続けたがったので、二人は今、二曲目を踊っていた。間違ってはいない。婚約者なのだから。


 ――でも。その()()はなかったわ。


 仲睦まじい事を周囲に印象付ける必要があるなら別だが、普段のセドリックの行動により、その認識は既に広まりつつある。

 ゆえに、一曲目を踊った後は互いに社交へ切り替え、縁や取引のある家の子息子女と踊るべきなのだ。自分達が踊らない時に、話したい相手がダンス中じゃないとも限らない。探し回って、割り込みや順番待ちを気にしながら喋るより断然いい。


 パーティーの時間は決まっているし、挨拶しておきたい相手も、一声だけでもかけてあげたい相手もいる。こちらに近付いて来る者達を見極める事もしなければならない。

 騒いでまで断るような事ではないが、それでも、一曲分の時間をもう一度お互いとのダンスで消費するのは、フェリシアには勿体ない事のように思えたのだ。


「ああ、楽しいな。ずっと君とこうしていたいくらいだ。」

「…ありがとうございます。セドリック様」

 頬を赤らめてはにかむ彼に対し、優しい婚約者で良かったと思う気持ちがないわけではない。慕ってくれて嬉しいという気持ちがないわけではない。

 貴族が結ぶ婚約の中では、自分は恵まれている。フェリシアはそれを理解していた。


 ――さすがに、三曲目は無いでしょう。


 そこまで同じ相手と、それも連続で踊るのは少々障りがある。

 今の私達はお互いに夢中で、貴方がたと社交をする気などありません――そうとられてもおかしくない。貴族社会においてあるまじき振る舞いだ。

 どれほど熱烈に愛し合っている夫婦でも、何度か踊りたいなら間を空けるものだ。その「間」では二人一緒にか、あるいはそれぞれで社交をする。


 ――…このダンスが早く終わってほしい、そう思ってしまう。


 婚約者として、ラファティ侯爵家の者として、それは怠惰な感覚なのではないか。

 何の問題もなく教養を身につけてきたフェリシアだが、婚約者との関係においてはまだ迷いがあった。婚約の先にある結婚という契約、男女としての関係、人としての信頼。

 個々のケースはそれぞれのものであり、フェリシアがどうすればセドリックと良い関係を築けるかなど、正解を知っている誰かも、やり方を説いた教本も存在しない。


 ――致命的な失敗をしてしまいそうで、「嫌」とは言えない。「怖い」と拒否できない……一体どうしたら、穏便に。


 セドリックがうっとりと自分を見てくるのも、組んだ手に込められた力が少し強いのも、背中に触れた手が、時折ドレスの上から肌をそっと撫でているような気がするのも。

 単体で考えれば、拒絶する程の事ではない。セドリックはきっと、フェリシアを大事にしているだけのつもりだ。

 なのに、少しずつ、少しずつ、嫌だった。怖かった。やめてほしかった。


 二曲目の終わりで互いに一礼し、フェリシアは密かに安堵の息を吐く。

 顔を上げると、さっと彼女の手を取ったセドリックが手の甲に唇を触れさせ、まるで冗談のように軽く笑いかけてきた。


「もう一曲続けてみる?」


 わかっている。冗談だ。

 ただ少し親しいだけの知り合いだったなら、くすりと笑って「ご冗談を」で終わっていた。

 婚約者である以上はきっと、彼なりの甘えた冗談であり、女性は恥じらいながら「もう」なんて言ってあげるところなのかもしれない。


 フェリシアは顔がひきつらなかった自分を褒めた。

 二曲くらいでくたびれるような教育は受けていないのに、緊張し過ぎたなんて事もないのに、どうしてか心が疲れていて。


 手の甲を拭いたい。

 そう思ってしまった自分に気付く。


 微笑んだように口元を固定したまま一秒、間が空いてしまう。

 セドリック様、とひとまず名を呼ぼうとした時だった。


「お遊びが過ぎるのではなくて?副会長。」


 穏やかに声をかけられ、二人がそちらを見る。

 コバルトグリーンの髪に茶色の瞳、フレームレスの眼鏡をかけた女子生徒。生徒会でフェリシアと共に会計職を務めている三年生、プリシラ・ミーハン侯爵令嬢だ。


 彼女をエスコートしている男を見て、セドリックの目元がぴくりと不快そうに動いた。

 互いに目を合わせたフェリシアとプリシラはそれを見ておらず、男――シミオン・ホーキンズ伯爵令息は、目撃したからといって何ら反応を示さない。

 プリシラの視線が自分に戻ると気付き、セドリックは笑みを浮かべた。


「…愛しさのあまり暴走するところでした。止めてくださりありがとうございます」

「ええ、そうね。それで?」

「一曲いかがでしょう。」

「よろしくてよ。」

 プリシラに微笑み返し、手を取って軽く一礼する。

 顔を上げる前、セドリックは横目でぎろりとシミオンを睨みつけた。向こうはこちらを見てもいなければ、フェリシアの事すら見ずに口を開く。


「フェリシア嬢、後で一曲頼む。」

「わかり……後で?」

「シャロン様と先に踊っておく。後が混みそうだ」

 返事も聞かずに歩き出したシミオンが向かう先、大体がもうパートナーを交替しているのに、まだホワイトと話しているシャロンの姿があった。「先生、そろそろ」と言い出す数秒前といったところか。

 周囲を所在なさげにうろついていた令息達が諦めるほど離すのが遅いが、シミオンが真っ直ぐ突っ込んでいったので、彼が淡々とダンスを申し入れるだろう。


 ――あの男は、まったく。


 面と向かって後回し宣言とは随分だが、長い付き合いあってこそだ。

 もちろん、その付き合いの事などセドリックもプリシラも知らないのだが。

 内心呆れ顔になりながらシミオンを見送ったフェリシアが空いた事に、遠巻きに数人の令息が気付いた。


 その誰より早く――自分に近付いてくる令嬢達には、礼儀的な会釈をして――、一人の男子生徒が彼女の前へ進み出た。

 さらりと揺れる紺色の髪、眼鏡の奥には水色の瞳。


 心が溶けるような安堵が広がるのを感じて、フェリシアは無意識に小さく息を吐き出した。

 サディアスが紳士的に手を差し出してくれる。


「フェリシア嬢。私と踊って頂けますか」

「…もちろんです。ニクソン様」


 その手が触れる瞬間を、セドリックは見ていなかった。

 彼は、分不相応にもシャロン・アーチャー公爵令嬢に声をかけるシミオンの背中を見ていた。


「ホーキンズ様は、相変わらず独特ね。」

「…そのようで。」

 明らかに邪魔をしに来たのだろうシミオン・ホーキンズは、セドリックが傍にいる今ではなく、後ほど彼が離れた隙を狙ってフェリシアと踊るつもりなのだ。

 ふっと笑う音が聞こえて、瞳をプリシラに向ける。何を笑ったのか。曲が始まった。


 ――…しまった。フェリシアは?誰と踊って…


「一つ忠告しておくけれど」

「何です?」

「私と踊る意味を理解しているのでしょうね、セドリック・ロウル。」

 プリシラとセドリックは同学年であり、どちらも生徒会に所属している。

 セドリックが副会長とはいえ、実質的に立場が上なのは侯爵令嬢であるプリシラだ。それも彼女は今宵、トラブル後の事とはいえ、第一王子ウィルフレッドの最初のパートナーに選ばれている。


 常盤(ときわ)色の瞳に、ようやく、プリシラの姿がきちんと映った。

 淑女の微笑みを浮かべてはいるが、目は笑っていない。


集中できない(無様を見せる)ようなら、彼女の相手として力不足です。」


 ――ふざけるな。俺はフェリシアの婚約者だ。


 すぐにそう答えたかったが、ぐっと飲み込んだ。

 プリシラが本気で排斥しようと思ったなら、ラファティ侯爵への直訴も根回しも行って、婚約を白紙に戻すくらいの事はできてしまう。

 フェリシアが納得していたとしても、プリシラが「無し」と思えば危うい。


 彼女がそう判断したという事実こそが、ラファティ侯爵の心証をかなり下げてしまうからだ。

 もし自身だけでは婚約を消すのに足りないと思えば、フェリシアの親友であるアーチャー公爵令嬢、果てはその繋がりから王族にまで声をかけかねない。


 ――フェリシアが変な相手と組まされていないか心配だが、プリシラ様にダンスの失敗や怠慢を見せてはどうなるか。


「…もちろん、わかっていますよ。誠心誠意、この曲のパートナーを務めさせて頂きます。」


 セドリックはにこりと笑いかけ、プリシラはダンスのステップに合わせて鷹揚に頷く。

 サディアスと踊るフェリシアがかなり離れた場所へ行ってしまった事など、今のセドリックには確かめられなかった。





「いっぱい人がいるねぇ。」

「うん、たくさん。」


 王族もいるような華々しいパーティーには珍しく、随分と背の低い参加者が二階にいる。


 ふわりとした赤紫色の短い髪に、同じ色の瞳。

 ユーリヤ商会が運営する雑貨店の看板店員、七歳と五歳の兄弟パットとポールだ。子供ながらきちんと仕立てられた燕尾服を着て、蝶ネクタイが曲がっていないか二人でちゃんと確かめ合い、この場に来ていた。


 二人並んで二階の手すりを掴み、一階で踊る人々を眺めている。

 ずっと見ていると目が回りそうだとぱちぱち瞬いて、ポールは兄を見やった。


「でんか、ずっとおどってるね。」

「ね。ご飯食べれるのかな」

 ぽそぽそと囁き合う二人の視線の先には、黒髪の第二王子がいる。

 いつも元気よく接客している二人だが、今日は大声を出してはいけないという事は理解していた。憧れの第二王子に駆け寄ってしまったり、気軽に話しかけたりしてはいけない事も。


「ノーラは?」

「あっち、すみっこで喋ってるみたい。」

「シミオン様、さそうのしっぱいしたのかな。」

「えー、あきらめるかなぁ。」

「パット君、ポール君。ご飯持ってきましたよォ~」

 料理を取り分けた皿とフォークを持ってきたのは、雑貨店の店主フェル・インスだ。

 こちらも着慣れない燕尾服だが、いつも通りサングラスをかけていて、特段緊張もせずへらりと笑う姿には余裕がある。目線が近付くようフェルが屈んで皿を渡してやると、パットは受け取りながら首を傾げた。


「フェルはおどんないの?」

「いやァ、私が混ざるのもおかしいでしょう。踊り方がわかりませんし。」

「そんなの、僕達もわかんないよ?ノーラはそれでいいって。」

「大人はそうもいかないんです。」

「ふぅん」

「あっ、落とさないように気を付けてくださいねェ」

 万一にも手すりの隙間から食べ物が落下し、とんでもない額の服や着ている本人を汚そうものなら恐ろしい事である。

 きちんと二階の床側で持つよう注意して、フェルはやれやれと姿勢を戻した。


 ――おや。あそこにいるのは……


 二階は、今踊る気がない者達が来る場所だ。

 その片隅に置かれたソファに、顔色の悪い女子生徒が座っている。白銀の長い髪、儚げな美貌は俯けて口元をハンカチで押さえていた。


 リラの街で過ごすうちに覚えた顔だ。すれ違っただけ、偶然目を留めただけ、それでも。

 フェルには彼女の頭の横に文字が見える。彼にだけは見えている。そんな言葉で書かれていたのは初めてだったから、彼女の事は印象に残って覚えていた。

 表情は変えずにすぐ目を離したが、心の中ではため息を吐く。


 ――可哀想に。


 見えているのはあくまで素質であり、本人が気付いたかまだ知らないか、使えるようになるかどうかはまったく別の話だ。

 魔力のある人々の中で、己の真価を知らずに生きて死ぬ者もさして珍しくはない。


 素晴らしいと持てはやされるスキルがある一方で、生涯使いこなせない難解なスキルや、まったく使えない不要なスキルというものも存在する。

 あの少女のそれは、いっそ()()と言えるほどの代物だ。


 選ぶ事はできず、天より授けられたもの。

 誰かにとっては有用かもしれないが、本人にとっては毒である。

 割り切れない限りは。


「……一生発動しなければ、いいですけどね。」


 小さな声は会場の賑わいに飲み込まれ、誰の耳にも届かなかった。




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