542.小突いてやりたい
リリーホワイト子爵、ルーク・マリガン。
マリガン公爵家の次男であり、王妃セリーナの異母弟、ウィルフレッドやアベルにとっては叔父にあたる男だ。
日頃は黒のハイネックにズボン、前を留めていない白衣に革靴といったシンプルな装いで、目立つ点と言えばガラスが赤いゴーグルをつけている事と、黒髪が右の前側と左の後ろ側だけまばらに白くなっている事。
背丈は百九十センチ近く、その身体は《薬学》《植物学》の教師でありながら剣闘大会で審判を務める程に鍛えられていた。
「ホワイト先生が舞踏会に来るなんて、もしかしなくても初めてじゃないか…?」
「わたくし夏頃に、今年はぜひいらしてくださいとお願いしていたの。まさか叶えてくださるなんて!」
「王妃殿下の生家のお方だ。殿下達がいる以上は、来ざるを得なかったのでは?」
「いや、それなら最初から来るだろう?二曲目の途中とは…」
「先生のお顔をじっくり見られるなんて!誰かオペラグラスを持ってない?」
普段の装いが華美とは程遠く、いつもは見えにくい目元も露わになっているからこそ、見る者に与える衝撃が大きいようだった。
黒地の燕尾服は金糸の刺繍を施し、翻って見えた裏地は赤。
胸ポケットには金と青の薔薇の花飾り。暗緑色のベストのボタンは黒く、夜を思わせる濃紺のネクタイに、シルバーの細いタイチェーンが光っている。
入って早々生徒に囲まれて瞬くホワイトを眺めながら、デイジーがぽそりと言う。
「ああして着飾っておられると、さすがに先生の生まれを実感するわね。胸元の薔薇、国王陛下と王妃殿下の色よ。」
「だろーな。金だの青だのは、親父から耳が馬鹿んなるくらい聞いたぜ。」
「あの子達、皆先生と踊りたいのかな?」
「無理でしょう。普段来ないのだから、最低限で済ませるに決まっているわ。そして先生と家格や性格が合っていて、無難な相手というと……一人だけよね。」
カレンがデイジーの視線を辿ると、ダンスを踊る多くのペアの中、シャロンの姿が見える。
ホワイトの弟子であり公爵令嬢。
「先生とシャロン…様、かぁ。きっとすごく絵になるね。」
「踊るのは中々大変だと思うけれどね。先生は身長が高いから……それより貴女達。私三曲目からは踊るけど、どうするの?」
デイジーの言葉に、レベッカもカレンも疑問符を浮かべた。
男爵令嬢である彼女と違って、自分達はダンスの義務などない。
「向こうに飯置いてあるだろ?あたしは食いに行くけど。」
「私、もうちょっとここで見てようかなって。」
「そう。決めてるならいいけど……カレン。私シャロン様に頼まれて、レオにダンスの練習をさせたのよ。」
「えっ?」
「それなりに様にはなったと思うけど。」
デイジーが何を言いたいかは、カレンには聞き返さずともわかっていた。
ホワイトに見惚れていた時と違い、頬がぽぽっと赤くなっていく。横でにやにやしていたレベッカは、デイジーの瞳が急に自分へ向いてびくっとした。
「レベッカ。貴女も《礼儀作法》は受けてるのだから、一回くらいこういう場で踊っておきなさい。」
「はあ?別にいらねーだろ、」
「殿下とは無理かもしれないけど」
「ふざけんな無理どころか絶対に嫌だ何があってもありえない!あ・た・し・が!嫌だ!!」
「ええ、だからバージル君でも誘ってみたら?付き合ってくれると思うわよ。」
「はっ、はあ?だから、別にあたしが踊るとかいらないって…もういいだろ、行くからな!」
二曲目がもう終わる。
腹減ってんだから、とぶつくさ言いながら、レベッカは人々の向こうへ消えてしまった。
一つため息をついたデイジーは、最初に踊る約束をしていた相手を遠目に見つけてそちらを向く。ターラント男爵家と付き合いのある家の令息だ。貴族令嬢として、務めは果たさなければならない。
「私も行くわ。じゃあね、カレン。」
「あっ、うん。ありがとう、デイジーさん。」
ぱたぱたと手を振って、カレンはダンスホールの中心に目を戻した。
曲が終わり、ウィルフレッドとシャロンが微笑み合って一言交わしている。
周囲でダンスを終えたペアの男性達は、すぐ女性を送らずにちらちらとシャロンを気にしているようだった。パートナーに気付かれて機嫌を損ねている者もいれば、男女ともにシャロンとウィルフレッドを気にかけているペアもいる。
ウィルフレッドがシャロンを送っていく方へふらふら近付いていく生徒の、多いこと。
こつりと、靴音が鳴る。
堂々と、そして真っ直ぐ自分達の前へ進み出たホワイトを見上げ、ウィルフレッドが苦笑した。
「こんばんは、ホワイト先生。もう数歩あちらでお待ち頂いてもよかったのですが。」
「そういうものか。悪かった」
「いえ。…シャロン、大丈夫かな?」
「ええ。ありがとう」
片手でドレスの裾をつまみ、シャロンはエスコートしてくれたウィルフレッドに小さく淑女の礼をする。
重なっていた手が離れると、ホワイトが右手を差し出した。
「今からで合っているな。」
「はい、先生。時間通りです」
にこりと微笑んで左手を重ね、シャロンは師と共に改めてダンスへ向かう。彼女目当てに寄ってきていた男性陣は、ホワイトが出てきた瞬間に既に散っていた。
揃って歩く師弟の姿を、人々は目で追っている。
「アーチャー公爵令嬢くらいの落ち着きがあると、年齢差もあまり気にならないね。」
「もし殿下達と婚約しないようなら、あのまま子爵に嫁ぐ事もありえるか?さすがに伯爵あたりに格を上げるだろうが、れっきとしたマリガン家の血筋だからな。」
「公爵家なのに薬師に弟子入りなんて、ふふ。シャロン様は個性的なお方よねぇ。お遊びが過ぎなければいいけれど。」
「あら、子爵がロベリア王と付き合いがあるのをご存じでないの?遊んでばかりなのは貴女ではなくて。」
「ホワイト先生のダンスなんてまず見られませんからね、今のうちに焼き付けておきましょうよ。ああ素敵!」
――確かに、こうしてみるとすごくお似合い。
二階席で待機していた卒業生や家族なども下りてきたようだ。
より賑わうダンスホールの会話が、途切れ途切れにカレンの耳に入ってくる。緩やかに始まった三曲目の音に合わせ、絵になる二人が踊っていた。
――そもそも、シャロンは綺麗でかわいいし、先生も綺麗でかっこいいから、「お似合い」に見えるのは当たり前なのかも……なんて、勝手に考えるのも失礼かな。ウィルフレッド様と踊るところも綺麗だったし。
ちらと他のペアに視線を走らせると、ウィルフレッドは剣闘大会で授賞式に上がっていた四年生の優勝者と、サディアスは同級生のキャサリン・マグレガーと踊っている。
チェスターは貴族令嬢らしき女子生徒をくるくる回していて、アベルはすんとした真顔で水色の髪の令嬢と踊っていた。確か彼女も剣闘大会で認められた祝福の乙女で、二年生だったはずだ。
それぞれそつなくダンスをこなしているけれど、「お似合い」という雰囲気ではない。
シャロンとホワイトには明確に個人的な、師弟としての絆があるせいか。そう見えるのはやはり、シャロンの微笑みに温かさがあるからだろう。
――…私とチェスターさんが踊ってるところって、レオも見てたのかな……。
そう考えたところで、ふと目を留めたペアにカレンは思わずぽかんと口を開けた。
ダンが踊っている。相手は明らかに二十歳は超えているだろう大人の女性で、どこか呆れ顔でダンに何か言っている様子だ。あまり目立つつもりはなかったのだろう控えめなドレスを着ている。
――えええー!ダンさんこういうとこで踊るんだ!絶対に嫌がると思ってた!あの人は誰だろう……
誰かに話したい気になったが、デイジーは踊っているし、レベッカは食べ物にありついているところだろう。
もどかしい気持ちで二人を見ていると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「カレン」
「わぁっ!」
完全に油断していたカレンは小さく悲鳴を上げて振り返り、目を丸くする。
そこにいたのは、明らかに慣れない黒の燕尾服に身を包んだレオだった。いつものバンダナはつけておらず少し大人っぽく見えるが、驚いた表情はいつもの彼だ。どうやら息苦しかったらしく、ネクタイは既に緩んでいる。
「お、おぉ…悪い、そんなに驚くとは。」
「どっ、なっ……なに、その格好。」
「学園の貸し出しだよ。そっちもだろ?」
「う…うん。」
周りに人が多いせいか、レオはカレンのすぐ傍に立っていた。
十センチ近い身長差をいつも以上に感じてしまい、カレンは視線を彷徨わせる。ちらりと見上げれば、レオはダンスしている面々を見て苦い顔で「うわすげ~…」と呟いていた。
まったく、カレンとの近さに照れる様子がない。
――…小突いてやりたくなっちゃう。今はしないけど。
「わ、ダンまで踊ってんじゃん。」
「あっ、そう。そうなの!レオ、あの人誰か知ってる?」
「え?誰って、メリルさんだろ……ああそうか、ちゃんと会った事ねぇか。」
「メリルさん……あぁ、あのメリルさんだ!」
一度は首を傾げたものの、カレンは納得してぽんと両手のひらを合わせた。
その名前については幾度か聞いた事があったのだ。
『お嬢の専属侍女だ。肘癖が悪い』
ダンからは、そんな風に。
『シャロンとこの若い侍女?さんも――…まぁ、何人か師匠を見てたし。メリルさんはそうでもなかったけど』
『そうなんだ……メリルさんは確か、シャロンの専属なんだっけ。』
『おう。シャロンとやる時は絶対一緒に庭に来てた。』
レオからも、そんな話を聞いた事があった。
なるほどシャロン専属の侍女なら、専属の従者であるダンと親しいのは当然の事だ。
「ありがとレオ、謎が解け…」
「ああ駄目、もっと見える位置に行かなくちゃ!どいてくださいな!」
「わっ!」
「おっと」
後ろから押されたカレンが体勢を崩し、レオが難なく抱き留める。
肩を支えて姿勢を戻してやると、カレンはサッと顔を背けた。そっちに何があるかと見やれば、シャロンとホワイトのペアがいる。
「大丈夫か?」
「うん…」
「危ねーよな、こんだけ人いて……あ、そうだ。俺さ、」
「あのね、レオ」
「ん?」
楽しそうに踊るシャロンから目を離し、レオはカレンを見下ろした。
なぜか、頬が赤らみ瞳が潤んでいる。人が多くて暑いのだろうか。
「助かったけど……あんまり簡単に、女の子の肩を抱いたりしちゃ、駄目だと思う。」
「は……か、かたをだく!?や、俺は別に…!」
「私以外の人にはっ!……し、しないでほしい…かな。」
「へ?」
頬の熱がじわじわ広がるのを感じて、カレンはこくりと唾を飲み込んだ。
面倒くさいと思われただろうか、何言ってんだこいつと思われただろうか。言わなければよかったかもしれない、そんな気持ちで、ちらと見上げてみる。
レオはなぜか、考え込むように片眉を上げて視線をよそへやっていた。
「……レオ?」
「や…確かに、カレンじゃなかったら、今みたいな感じにはしなかったかもなーって。」
「え」
「あ、シャロン……そうだ!あのさ、ダンスの相手頼んでいいか?俺この後テストされるんだよ。」
「えと、意味…どういう、意味の」
「特訓はしたんだけど、この服は今日が初めてだろ?何か動きにくいし…一回か二回、付き合ってくれねぇか?」
そんな事を言って、レオは緊張感も照れた様子もなく自分の手を差し出してくる。
琥珀色の瞳に自分の白が映り込んでいるのを見て、カレンの心臓はとくとくと鳴っていた。ぎこちない動きで、その手のひらに触れる。
「…いいけど、あの。」
「まじか!ありがとな、カレン!」
「う……うん…」
チェスターと踊る事になった時以上に、緊張しているかもしれない。
お手本でも見てるかと視線をダンス中の人々へ向けたレオの横で、どうにかこの曲が終わるまでに心臓が落ち着きますようにと、カレンはそう願ってやまなかった。




