540.そんなわけがない
ロズリーヌ殿下が急に倒れて驚いたけれど、ウィルは流石の落ち着きようですんなり相手を選び、それぞれ位置についてダンスが始まった。
動き出しの時点でわかる、アベルのリードに身を任せていればいいと。
なんら無理がなく自然な足運び、感覚だけでついていける。ずっと何か言いたげな空気を感じていた私は、じゃあ話しましょうかとばかりに彼と目を合わせた。
予想通りの、ちょっぴり不機嫌そうな顔。つい笑ってしまいそうなのを堪える。
「…堪えきれてないぞ」
「まぁ、これは失礼を。ふふ」
「何も可笑しくないだろう。」
「貴方こそ、そんなに不満そうにする事ないでしょうに。ウィルは許したじゃない。」
ロズリーヌ殿下は時折、ああして倒れてしまう。
それ自体は皆わかっていた事だわ、まさか今日あの場でとは思わなかったけれど。
「そこだけの話じゃない。」
「でも仕方ないでしょう?あの時にはもう、私は貴方と踊る事が決まっていたし。そこで私を差し出すような真似はできなかったのだから。」
「わかってる。だから文句は言ってない」
「ええそうね、顔に出しているだけで。」
やり場のないもどかしさが眉間の皺に表れている。
ロズリーヌ殿下が倒れた瞬間、エスコートのためにまだ触れていたアベルの指先が、一瞬だけ動いた。貴方が咄嗟に迷い、でもすぐに「それはできない」と判断を下した事を、私は知っている。
ロズリーヌ殿下とではないなら、公爵令嬢である私と踊ってほしかったのでしょう。
でも既に貴方が選んでそれを受け入れた私を差し出す事は、ウィルに対しても私に対しても失礼で、どちらの顔にも泥を塗る行いだから。
「プリシラ様がすぐ見つかってよかったわ。あの方なら何も問題ないでしょう」
「……現状は確かに、問題ないんだろうが」
「何か思うところが?」
聞いてみると、アベルはどうしてか少し気遣わしげに私を見た。
……あまり見つめられては、ちょっとだけ、目をそらしてしまいたくなるわね。
「お前はいいのか?」
いい、とは?
回転がゆっくりになりそうな頭を動かして、考える。
何の話かしら。
ウィルの「友人」として、
「寂しくないのか、ということ?」
「…そんなところだ。」
駄目元だった答えが正解で、ついくすりと笑ってしまった。
「どうしてそんな心配をするの?大丈夫よ、ウィルのことはわかっているもの。」
最初に私を選ばないというだけで、友情の否定になるはずがない。
貴方ときたら、ウィルがかかわると妙に心配性になるのだから。
思えば貴方はゲームでも、「僕でいい?」と聞くような人だった。
さっきはそんな言い方をしなかったけれど、心境としては似たようなものなのかしら。
大丈夫。
その気持ちを込めて見つめると、ようやくアベルも少し表情を和らげた。
たったそれだけの事が嬉しくて、心が温かくなる。組んだ手に力をこめて。
「覚えているでしょう、私は貴方と踊りたかったの。」
「それは俺も同じだ。なにも、最初である必要はなかったが」
「噂を呼んでしまうものね。例の授賞式で既に広まっていたけれど。」
「もっと噂が落ち着くまでは控えたかった……とはいえ、今更だな。どうせなら楽しむか」
「ええ。そうしましょう」
去年は始まるまでにひどく緊張していたけれど、今回はそれが全くなかった。
公爵令嬢として衆目に晒される事への慣れと、今までしてきた努力への自信があり、それに相手が貴方だから。
『何も心配はいらないから、周りの事は気にするな。』
緊張していた私にそう言ってくれた、貴方だから。
曲のリズムに合わせて、導いてくれるままに身体を動かして。
「貴方だけを見ているわ。アベル」
「――ああ。俺だけ見てればいい。シャロン」
楽しい。
貴方も同じ気持ちでいてくれたらいいのだけど。
「…ダンスの間はな。」
「ふふっ。ええ、ダンスの間は。覚えていた?」
「覚えてる。後から公爵に注意された台詞だ」
「お父様から?」
言われてみれば確かにあの夜、お父様はアベルと話がしたいと言って別室に行っていた。
私が素直にやり取りを伝えてしまったばっかりに…。謝ろうかと思ったけれど、アベルは堪えきれなさそうに口角を上げる。あら、悪そうなお顔。
「くくっ、可笑しいだろう?君が勘違いすると言うんだ、俺にそれを言われたら。口説かれていると」
「まぁ。」
ぱちりと瞬いた私は、部屋を訪れたアベルが不思議な質問をしてきた事があったのを思い出した。
いつものように窓の額縁に腰掛けて、彼は平然と聞いたのだ。
『真面目に聞くんだけどさ。』
『なぁに?』
『君……僕に口説かれたと思った事ある?』
お父様に指摘されたとかで、何についてそんな誤解をされたのかしらと不思議だったけれど。
まさかそれが、緊張した私を気遣ってのあの台詞だったとは。
笑みを引っ込めたアベルはきっぱりと言い切る。
「君がそんな勘違いをするわけがない。」
「そうね。相手が貴方である以上、あれで勘違いする方が難しいかも…」
一年前の出来事とはいえ、お父様ったらなんにもわかってない。
アベル第二王子殿下が「見ていろ」と仰ったら、それはそのままの意味でしょうに――…アベルでなければ、お父様が言いたい事もわかるけれど。
そういうタイプじゃないでしょう、この人は。
私がどうという以前の問題で、少なくとも本心で女性を口説こうとした事なんて一度もなければ、きっと今後もないに違いない。
だからこそ私は、アベルが図書室でカレンに迫っているのを見た時、すごく驚いたのだ。
いつの間に、そんな熱量を向けるほど彼女に惹かれていたのかしらと思って…動揺した。
実際にはウィルとカレンが噂にならないよう、脅しに近い圧をかけていたそうで。
「貴方が、…口説くわけがないのにね。」
「ないだろうな。自分でまったく想像がつかない。何か捜査のための演技なら、話は別だが。」
わかってる。
だから私は、……気を付けている。
「…どうした?」
「何でもないわ」
ああほら。
ちゃんと笑顔を保っていたのに、ほんの少しの動揺で、貴方は気にかけてくれるから。
気付かれないようにするためには、私自身がそれを直視してはならない。
今はただ楽しめばいい。
大丈夫だから。
「貴方と踊れて嬉しいなと、その気持ちを噛み締めていたところ。」
「…ふっ、何だそれは。」
笑ってくれたアベルに、私はわざとらしく丁寧な笑い方をして。
「近付くほどに眩い星であらせられる、アベル殿下に選んで頂いたこと。身に余る光栄は、受け止めるにも時間がかかるものですわ。」
「謙虚な事だ。我ら双星が貴石を分け与える事を良しとした、唯一の華。身に余るどころか、君ほどの適任は他にいないというのに。」
「……ふふっ。ふふふ」
お互い様かもしれないけれど、よくスラスラと言葉が出てくるものだ。
本当なら仰々しく一礼してみせるのもよかったけれど、さすがにダンスの最中でそれはできない。
くすくす笑ってしまう私を、アベルは「仕方ない奴だ」とでも思っていそうで。薄く微笑んでくれた貴方の瞳を見る。
「シャロン。遊び過ぎるなよ」
「もちろん、わかっているわ。」
貴方は第二王子殿下で、私は公爵令嬢だもの。
幼い子供のように好き勝手にはしゃぐ事はできなくて、それでも、大切な友と二人でそっと笑い合うくらいは許されている。
もうじき曲の終わり。
時が惜しいけれど、触れた温もりが惜しいけれど、駄々をこねる事はしない。
今ここであっさり離れたところで、私達の心が離れてしまうわけではないから――それがわかっていても、「もう少しだけ」と思ってしまう。
貴方と踊るのは楽しくて、幸せだから。
それでも、美しく終わるためにも決して、名残惜しいようには見せない。
貴方も望んでいないから。
ただ、感謝を。
「私と踊ってくれてありがとう。アベル」
「こちらこそ。楽しかった」
「何よりだわ」
一言を返した瞬間、曲が終わる。
大きな拍手が響き渡る中、私は四方へ軽く手を振りながら舞台の傍へ戻った。
二曲目からは自由参加、見ているだけだった生徒達が各々パートナーを連れて進み出てくる。
笑顔のチェスターに見送られ、さぞ緊張しただろうカレンはデイジー様とレベッカの元へよろよろ歩いていって。
私が振り向いた先、ウィルが微笑んで手を差し出してくれた。
◇
少しだけ時は遡り、一曲目が始まってすぐ。
吹き抜けの二階の手すりに腕をついて、ヴァルターはぼうっとダンスホールを見下ろしていた。
一曲目、二曲目は基本的に在校生が踊るものであり、パートナーでもなければ他の客は二階へ上がっている事が多い。
そこには見に来ただけの貴族も、提供される食事目当ての者も、踊る気がない生徒も、様々な者がいた。
「オークス家の遊び癖はなんとかならんのか?あれの父親も、学生時代はふざけてばかりで――」
「そんな事よりアーチャー公爵令嬢のドレスよ。王妃殿下御用達のデザイナーの作品に違いないわ」
「第一王子殿下はさすがの落ち着きようだな。侯爵の娘と見事に息が合っている」
「あの白髪の娘は何なの…随分と奇抜だこと。平民を選ぶにしたって、それなりの格がいるのでは?」
「おい、今アベル殿下が普通に笑わなかったか?俺が見た幻覚だろうか。」
――幻覚じゃないな、俺も見た。
心の中で呟くヴァルターは、ふわりと微笑むシャロンを見つめている。
アベルが彼女を選び、彼女がそれに応えた瞬間から今までずっと、一切姿勢を変えていない。それほどの衝撃だった。
『この絵を買わせてほしいのだが、モチーフは何の物語の姫君だろうか?』
初めてシャロンの肖像画を見た時の事を、ヴァルターはもちろん今でも覚えている。
これほど愛らしい笑顔をできる女性などいないと叫んだものだ。
『お初にお目にかかります。アーチャー公爵が長女、シャロンと申します。』
初めてシャロンに会った数日前。
心臓を撃ち抜かれるような心地を味わいながらも、「焦がれていた笑顔とは何かが違う」、それがヴァルターの感想だった。
理由がわかった。
あの笑顔に焦がれ続けた、ヴァルターだからこそ。
自分が恋したシャロンの微笑みは、アベルに向けたものだったのだと。
真相を聞こうにもあの画家は此処にいないけれど、ヴァルターには確信があった。
なぜならこの数日、彼女は誰に対してもあの笑顔を向けていない。
ウィルフレッドにも、サディアスにも、チェスターにも、もちろん自分にも、ホワイトにも。いつだって彼女は素敵な笑顔だったが、あれは特別なものだ。
アベルを想うシャロンの微笑みに、ヴァルターは心を奪われたのだ。
「……はは」
周囲の声や音楽に紛れて掻き消される、乾いた笑い。
眉は自然と下がっていて、今は到底、心からの笑顔を浮かべる事などできはしない。
胸がずきりと痛む。シャロンの為人を知った今だからこそ、あの笑顔が自分に向けられる事はないとわかっていた。
――どうやら俺の恋は、最初から終わっていたらしいな。
胸の内が苦しくとも、ヴァルターはシャロンから目が離せない。
彼女が傍にいてくれる人生であったなら、どんなによかっただろうか。
――ああ、でも。
目に薄く涙の膜が張り、青い瞳に光が反射する。
――アベル殿下と共にいる君は、なんと美しく、幸福そうなことか。
自らの護衛にも誰にも気付かれないように、ヴァルターは身じろぎ一つせずにいた。
震えそうなほど心が熱くなる。
それは間違いなく、喜びだった。
――我が初恋の君へ。
届くはずもない、届けるつもりもない言葉を、胸の中でそっと紡ぐ。
――どうか君が、生涯幸せでありますように。




