536.その道を選ぶなら、きっと
「デューク。貴方に何も言わず、勝手に進めてしまってごめんなさい。」
シャロンが頭を下げると、ダンとメリルもそれに倣った。
ジョエルを現行犯で飛ばすためとはいえ、全ては彼に黙って行われたのだ。
「ん……いえ。」
デュークは顔を背けて片手で口元を覆い、がち、がちと左右で歯を噛み合わせる。
軽く頭を振り、「失礼」と姿勢を正した。
「…私に言っていれば、どっかでボロが出たでしょう。姫様の判断は正しかったと思います。頭ぁ下げてもらう程の事じゃありません。」
「ありがとう。貴方の対応も見事だったわ」
「…恐れ入ります。」
デュークの本性を見るという点においてのみ、ジョエルの計画は成功していたと言える。
先程デュークは、誰に命じられるでもなくシャロンに跪いた。
ただの学友に向ける仕草ではなく、公爵家に怯えてそうしたわけでもない。今もまた、ほんの少し躊躇いながらも、怯えはせずに進言する。
「ただ……囮役なら、クレヴァリーにでも化けさせりゃあよかったのではとも思いますが。」
「ふふ、そうね。ただ彼は今別の仕事をしているし……一度割り込んだ身として、私がこの目で見届けたかったというのもあって。」
それはジョエル・ニューランズに限った話ではない。
デューク・アルドリッジという逸材が、この場において何を選びどう振舞うかも見てみたかったのだ。
デュークをよく知らないメリルは、眠るふりをしたシャロンに彼が手を伸ばすのではとハラハラしていたし、シャロンは「起こそうとして肩を揺すったりはするかも?」と思っていた。
それが、どうか。
彼は距離を置いて立ち止まり、今はシャロンの策の中なのだと気付いてからはすぐ膝をつき、指示に従う姿勢を見せた。
突然の状況に対する冷静さ、そして目上の者に対する礼節。
ウィルフレッドやアベルのために動ける人材に求められるのは、剣術や格闘の腕だけではない。知識や発想力だけではない。家の爵位や仕草の優美さでもない。
――この方はきっと、素晴らしい騎士になる。
髪は整えればいい、発音は練習すればいい、仕草は覚えればいい。
勤勉なデュークなら、そう遠く険しい道でもないだろう。シャロンが過保護に守ってやる必要もない。ただ、意識改革するなら早い内から。
その手助けをほんの少しだけしてやれば、後は自身で進んでいけるはずだ。
彼が、騎士の道を選ぶのならば。
「ん……?」
シャロンが自分を見つめて微笑むので、デュークは瞬いた。遠い、自分とは生きる世界が違う人が、何を考えてそんな目で見るのだろうと。
ただ不思議な事に、相手の考えがわからないというのに、彼の心は凪いでいた。
柔らかい眼差しを向けられていると、畏れ多くも、まるで温かな信頼を寄せられたように感じる。
だからだろう、穏やかな気持ちでいられるのは。
シャロン・アーチャーに認められる事は、デュークには、とても善い事のように思えたのだ。
「貴方の敬意に恥じないよう、私も襟を正さなくてはね。」
さらりと告げられた、何の思惑もないのだろう素直な一言さえも。「そんな事を言ってくれるのか」という驚きがあった。喜びがあった。感動があった。
そんな貴女だから膝をついたのだという思いがあった。
けれどデュークには、それをどんな言葉で言えばいいのか、伝えていいことなのか、そもそも今は言っていい状況なのか、判断がつかない。
数秒困った挙句に彼の口から出たのは、「勿体ないお言葉です」という無難なものだった。
適当に言ったわけではなく、これもまた本心だ。デュークが抱いた敬意でシャロンに襟を正させるなど、果たしてそれだけの価値があるかと首を傾げたかったから。
「そちらも支度があるでしょう?時間を取らせてしまったけれど、間に合うかしら。」
「充分です。姫様もご準備があるでしょうから、私ぁここで失礼致します。」
「ええ。」
一礼して立ち去ろうとしたデュークはしかし、シャロンがまた口を開くのを見て踏み止まる。
公爵令嬢は穏やかに微笑んでいた。
「またその内、貴方と話す機会を頂いてもいい?」
「……?私でよければ…お望みなら、いつでも。」
「ありがとう。では、また会場でね。」
「はい。」
警備として立つ一生徒と、誰からも注目を浴びるだろう華だ。
ダンスホールで言葉を交わす事はないのだろうが、形式的に返事をしてデュークは退室した。
ひとまずこれでジョエルの件は終わったと、シャロンがため息を吐く。
「お疲れ様でした、シャロン様。」
「んじゃ、人払いはもういいって伝えてくる。お嬢は支度始めとけよ、時間かかんだから。」
「そうね、急ぎましょう。……あちらも上手くいった頃かしら。」
張り切り出したメリルに背中を押されながら、シャロンはぽつりと呟いた。
王家至上主義とは対極のものとして、「王家を打ち倒すべき」と考える派閥がいる。
生まれ持った絶対的な権力に嫉妬し、あるいは今の境遇を受け入れられず星のせいにして、彼らは漠然と「レヴァイン家を消せば好転する」と信じているのだ。
代わりに誰をツイーディアの頂点に立たせるか、それすら曖昧なままで。
たとえば、昨年末に王妃セリーナを陥れようとしたハワード・ポズウェル男爵一派。
たとえば、入学初日に教師陣が護衛する王子達の馬車を襲った者達。
「――いや、いや。」
ご冗談でしょと言わんばかりに、チェスター・オークスは苦笑いを浮かべている。
緩くウェーブした赤茶色の長髪は飾りっけなく後ろでまとめ上げ、頬についた返り血を手の甲で拭いながら。
今日はもうイベントがなく、客も職員も残らず出て行ったはずのコロシアム――その建物内での出来事だ。
壁や床には血が飛び散っていて、大人数用の広い控室の中にも廊下にもレヴァイン家排除を掲げていた者達が転がり、騎士が一人一人縄をかけている。
学園の夜会。外部の人間が入りやすく、かつ王子達が必ず人前に出るイベント。
それを絶好の暗殺の機会と考えた彼らは、最終的な打ち合わせのために集まった今、ここで――壊滅していた。
口角を上げたチェスターはからりと笑ってみせているようでいて、隠しきれない不快感が眉の角度に表れている。
「考え無しが過ぎるでしょ!万が一にも星々が消えたとして、仇討ちに燃える五公爵家と騎士団をどうやって相手する気だったの。殺し切れるとでも?それか、逃げ切れるとでも?馬鹿だね~☆」
「あまり煽るな、チェスター。こいつらの馬鹿がうつる。」
肌に刃を滑らせるように冷たく、リビー・エッカートが言い捨てた。
長い黒髪を低い位置で一つに結び、前髪は金色のヘアピンで留めている。鼻から下を黒布で覆い隠した彼女は、第二王子アベルの護衛騎士である。
手近に転がっていた一人を後ろ手にさせて、リビーは慣れた手つきで縄をかけ始めた。
剣についた血を振り飛ばして鞘に納め、チェスターが苦笑する。
「リビーさんの言い方も中々じゃない?」
「口より手を動かせ。実戦を経験したいと言ったのはお前だろう?倒すまでが仕事というわけでは――」
「首尾はどうかな。」
「万事恙なく。我が君」
拘束途中の男をチェスターの方へ突き飛ばし、リビーは可及的速やかに主君のもとへ馳せ参じた。
慌てたチェスターが「うわっ!」とか何とか言う声が聞こえた気もするが、どうにかするだろうから構う事はない。
「制圧は完了しております。人数と顔ぶれも事前情報の通りで相違ありません。」
「そう」
「失礼します…」
アベルの後ろから疲労の滲む声がして、くたびれた様子のネイト・エンジェルが入ってきた。
後ろでまとめた白茶色の髪は編み込みが緩んで乱れ、衣服はあちこちが切り裂かれ、返り血なのかネイトのものかわからない赤い染みも多い。
「殿下……おおむね、片付いたという認識でよろしいでしょうか?」
「そうだね、君は下がっていいよ。……チェスター、リビー。」
それぞれの名を呼ばれ、二人が姿勢を正す。
アベルは笑う事もなく一言だけを告げた。
「よくやった。」
「はっ。」
「…はい!」
リビーは即座に、軽く目を瞠ったチェスターは一拍遅れて返事をする。
一つ頷いたアベルに、外の警戒から戻ったのだろうイングリスが声をかけてきた。彼と話すために廊下へ出るアベルにリビーがついていき、ネイトと共に部屋に残ったチェスターは手の甲を口元にかざす。
「うわ、やば……顔にやけそう。」
「にやけてますよ。」
「だよね?はー痺れた。ほんと、これ。これなんだよ、ネイト君。アベル様に仕える醍醐味」
ネイトは特段、否定も肯定もしなかった。
チェスターは同意や共感を求めたわけではなく、「これだから自分はあの方に仕えるのだ」と己の声を漏らしただけに過ぎないからだ。現に、彼はこちらを見てもいない。
第二王子派――否、第二王子に心酔する者達は、大体こうだ。
あの星に認められる事を至上の喜びとしている。
学園に来て接触する機会が増えるまでは、ネイトはチェスターに対してそんな印象を抱いてはいなかった。
茶会で見かけると常に令嬢に囲まれて笑っている、気さくで明るい公爵令息。第二王子の従者といっても、共に行動しているところなどロクに見ない。
ただ命じられたまま従者という立ち位置にいるだけで、第二王子個人に対して特別忠誠を誓っているわけではない。そう思っていた。
「平静を装えるようにならないとな……俺みたいのがいちいち喜んでたら格好つかないし、使えない。」
チェスターは、自分がどう見られやすい人間なのかをよく理解している。
危険な第二王子の傍でもへらへら笑っていて、「まぁまぁ」と彼を宥め、ある程度までは間を取り持ってくれそうな存在。
今はまだ、その位置であるべきなのだ。忠誠と実力を掲げて立つにはまだ少し、足りない。
「中途半端が一番よくないですからね。」
「言うねー、ネイト君。そっちも釣り役お疲れ様。君は先に労ってもらったんでしょ?」
「ええ。一言だけですけど」
「その様子じゃ、だいぶ相手したんだ。」
「そりゃ、こうもなりますよ。向こうからすればわたしは裏切り者ですし、殿下に切りかかるよりずっと気楽でしょう。」
敵をおびき出して一網打尽にした今回の任務において、ネイト・エンジェルは裏切り者を演じていた。
第一王子ウィルフレッドの傍にいるのは、弱みを探ったり予定を把握するため。学園教師の母をも裏切って、レヴァイン家を潰すために暗躍している子爵令息――そんな人間だ。
しかし実際には、こういった厄介事を企む者達をあぶり出すための嘘だった。
――剣闘大会でもそうだったけど……アベル様、ネイト君に実戦経験積ませたいんだろうな。
「許可も出たし、下がりますね。お疲れ様です、チェスター様。」
「うん、お疲れ~☆」
「はぁ……母上にバレない内に支度しないと…」
更衣室へ駆けていくネイトを見送り、捕らえた者達はそのまま騎士に引き渡す。
手鏡を見て頬についていた返り血を拭い取り、チェスターはちょうどイングリスと話し終えたらしいアベルと合流した。
「後は任せて行くぞ、チェスター。僕達も身支度の時間だ」
「はい、アベル様。必要な物は全て用意してあります」
まるで何もなかったように、チェスターはにこりと笑う。
まるで何もなかったように、アベルは涼やかな顔で歩き出した。
そう、騒ぎなど何も起きていない。
シャロンの控室でも、コロシアムでも、学園内のどこにおいても。
空に橙色が滲み始めた夕暮れ時。
平和で楽しい女神祭は、ゆっくりと終わりに近付いている。




