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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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535.言葉よりわかりやすい




 この時デュークが焦らなかったのは、理由がある。


 まず彼は、即座に思い至る事ができなかった。

 男である自分が、「意識のない貴族令嬢と個室で二人きり」という状況のまずさに。


 その状況から客観的に想定される幾つかの犯罪行為について、彼には、自身が今それをシャロンに行えるかもしれない、という発想すらなかった。


 ゆえに、ここで何も知らない他者が部屋の扉を開けた場合、どんな目で見られるかという予想をするにも時間がかかる。

 もちろん、何も知らないシャロンが眠りから覚めて、すぐ傍に自分がいたら驚きはするだろうが、犯罪者と誤解される可能性にまで、なかなか一瞬では思い至らない。


 眠るシャロンを見た彼の胸中は、それがシャロン・アーチャーである事の認識と、「なぜ彼女がここで寝ているのか」それだけだった。


 そしてもう一つ。


 目を開ける寸前、横向きに寝転んでいたシャロンが唇の前で人差し指を立てたのだ。

 彼女が何らかの思惑があってそうしていたのだと示され、そうして目が開いた。薄紫の瞳に驚きはなく、彼女は至極冷静にデュークを見上げた。


「――…大きな声を出さないでね。」


 デュークが頷いたのを見て、シャロンはゆっくりと身を起こし、大して乱れていない髪を細い指先でそっと梳く。

 ベッドの縁に腰掛けた彼女に対してデュークが取った行動は、そちらを向いたまま静かに床へ片膝をつく事だった。シャロンが少しだけ意外そうに瞬き、密やかに告げる。


「…ありがとう。端的に言うと、貴方を陥れようとした人がいるの。きっとすぐに来るから、一緒に迎えましょう。」


 デュークを誘導するように、シャロンは何もない壁際を見やった。

 彼女が軽く手振りすると、魔法で隠れていたらしい橙色の髪の侍女と、デュークもよく知る女性が現れる。


 腰まである緩くウェーブした白茶色の長髪、おっとりして見える垂れ目、きらりと光る茶色の瞳。頭に小さなシルクハットを載せた彼女は、《魔法学》中級および《護身術》教師ケイティ・エンジェルだ。

 驚いたデュークが目を見開くと、エンジェルは悪戯っぽい笑顔でウインクした。


「先生、こっちです!」

 廊下から急かすような声と複数の足音が聞こえてくる。

 シャロンに促され、デュークも立ち上がり扉の方へ向き直った。つい表情が険しくなるのは、声に聞き覚えがあったからだ。

 お世辞にもノックとは言えない、拳で乱暴に扉を叩く音がする。


「いるのはわかってるぞ、アルドリッジ!開けさせてもらう!大人しく――」

 中の返事も聞かずに飛び込んで来たのは、ジョエル・ニューランズ。

 剣闘大会の昼休憩で、取り巻きと共にデュークに難癖をつけていた伯爵令息だ。当時、あわや乱闘というところで止めに入ったのがシャロンである。


「し、ろ……」

 上がった口角を隠せない歪な顔で飛び込んできた彼はしかし、すぐに唖然として立ち止まった。計画通りなら、デュークが眠ったシャロンを襲おうとする、その現場に踏み込んだはずだ。

 しかしシャロンは起きているし、その髪や衣服に乱れはないし、偽の言付けで引き離したはずの侍女も、どうしてかエンジェルまでいる。


 パン、と。

 扇子を広げたシャロンが黙って口元を隠し、目を細めてジョエルを見やった。あからさまな【不快】のサイン。今ここにある事実だけを見れば、騒ぎ立てた上に返答も聞かずシャロンの控室に強引に踏み込んだ無礼者、という状況だ。ジョエルの頭から血の気が引いていく。

 後ろから悠々と入ってきた《国史》担当のラムリーが、部屋にいる面子を見て「ふむ」と片眉を上げた。


「ニューランズ。君の話では、アーチャー公爵令嬢の身が危ないという事だったが?」

「あ…それは、その。アルドリッジが……か、勝手に入るのを見たと、聞いて…」

 ジョエルの目が泳ぎ、廊下から部屋の中を覗く三人を見る。

 廊下から現れたダン・ラドフォードに促され、彼女達もまた部屋に入って壁際に並んだ。扉の前で「人の気配がする」と言っていた二人は気まずそうにジョエルから目をそらし、デュークを中庭から連れてきた令嬢は堂々としている。


「…お前達、まさか」

「あら~、当然の選択ではなくて?(*^-^)」

 こつりこつりと歩を進め、エンジェルは彼の視線から三人を庇うように立つ。

 ジョエルは今になってようやく、状況を理解した。被害者になるはずだったシャロンも、共犯のはずだった三人も、デュークを追い詰めるために自ら呼んだラムリーも。誰一人として、ここに彼の味方はいないのだ。

 エンジェルがじろりと彼を見据え、少し低まった声で告げる。


「貴方は紅茶に睡眠薬を入れるよう指示し、アーチャー公爵令嬢とアルドリッジ君の名誉を汚そうとした。( -_-)」

「違います!」

「まぁ~。何が違うのかしら?(' - ' )」

「そいつの本性を暴いてやりたかっただけなんです!このような下賤の者は星々の近くに居てはならないと……言葉よりわかりやすい方法で!だからこそ万一がないよう、間に合うようにすぐ突入しました!」

 憎悪のこもった目で指差され、デュークは眉根を寄せて口を開きかけた。

 しかし思いとどまり、ちらとシャロンを見る。こちらを見ていた彼女は小さく一度だけ首を横に振った。口を閉じ、デュークは黙ってジョエルを見返す。


「残念だけど。貴方の粗末な計画は、殿下達にもとっくに知られていたのよ~。(^-^)」

「……殿下達にも?」

「ええ、その通り。」

 扇子を半分だけ閉じて手首を下げ、シャロンが平静な声で言う。

 剣闘大会の時はまだ微笑みを見せてくれていた淑女が、今は一切の笑みも無かった。ジョエルの背中は冷や汗でぐっしょりと濡れている。


「慈悲深き第一王子殿下の忠告に従わず……剣闘大会での独断行動は、この私も一部始終を知る身です。殿()()()()()()とあの時言ったはずですよ。……青ざめていた貴方に、その意味が伝わっていないなんて思わなかったけれど。」

 意味が伝わらなかったのではない。

 ジョエルが理解していなかったのは、()()だ。ウィルフレッドの忠告も、シャロンの警告も、彼は軽視していた。意識的に軽んじるつもりはなしに、けれど、自身の破滅を想像したくないが故に。重度の注意ではなかろうと、思い込んだ。


 そんな事は容易に想像できているのに、シャロンは「意味が伝わっていない」と言った。


 意味が伝わっていたなら、ツイーディア王国において輝ける星である第一王子ウィルフレッドの言葉を。永きに(わた)り王家を支える五公爵家筆頭、アーチャー公爵令嬢たる自分の言葉を。

 軽んじるなどはまさに言語道断の行いであり、ツイーディア王国の貴族子息として失格である――意味が伝わらない程度の理解力しかない愚か者なら、仕方のない事かもしれないが。


 表向きは「伝わらないなんて予想外」と言っただけに聞こえても、中身は盛大な皮肉である。

 お嬢なりに呆れ果ててんだろーなとダンは思った。


「チェスター・オークス様の指揮のもと、貴方の動きは監視されていました。」

「はっ…!?か、監視……いつから、」

「答える義理はないけれど、他にも声を掛けていた事はわかっています。スペンサー伯爵令嬢とか、ね?」

 ジョエルは音が立つ程に奥歯を噛み締めた。

 泳がされていたのだ、ずっと。


 ――チェスター・オークスだと……よりによって、あのちゃらけた遊び人が!


「思いとどまって改心するなら、それで良かったのよ~。だからそのままにしていたわ、直前までね?(´・v・)」

「そこにいる方々は事前に、私や先生に自ら相談してくれました。当然の事です。貴方は計画を中止しなかった」

「…これから、自分がどうなるかはわかるかね。」

 エンジェルの、シャロンの、そしてラムリーの言葉に、ジョエルはふらりと一歩後ずさった。

 顔は蒼白で、目の前が真っ暗になるような心地だ。父や兄からさんざん届いたジョエルを窘める手紙や、ウィルフレッドに呼び出された時の事、コロシアムの裏で対峙したシャロンの眼差し、ダリアの馬鹿にするような笑い方、デュークに対する怒りがぐるぐると頭の中で回っている。


「はぁ…はあ……」

 このままではまずいのだ。しかし、どうすればいいか何も思いつかない。

 緊張のあまり呼吸は浅くなり、血走った目が泳いで、捉えたのはデュークの姿だった。


 ――お前さえいなければ。孤児の分際で殿下達に近付かなければ、忠告をさっさと聞いて引っ込んでいれば、大人しく言う事を聞いていれば、身の程を弁えていれば、こんな事には。こんな事には!


「ふざけるなよ……全部お前が、お前があぁあああ!!!」

「拘束して。」

「――御意。」

 シャロンの言葉を正しく、自分への命令だと理解して。

 デューク・アルドリッジは剣を抜く事もなく、掴みかかってきたジョエルをあっさりその場に組み伏せた。ジョエルは何が起きたか理解できていない顔で呆然としてしている。


 ――姫様に言われなきゃ、一発お見舞いしてやってただろうが……。


 冤罪にかけられるところだったとはいえ、腹立たしいとはいえ、掴みかかられたとはいえ。

 ラムリーとエンジェルの目の前で暴行を働けば、デュークも反省文くらいは書かねばならない。彼は剣闘大会で学年三位の強者であり、殴らずに止める事ができるのだから。

 扇子を閉じ、シャロンがラムリーとエンジェルに微笑みかける。


「先生がた、後はお任せしてよろしいでしょうか。」

「ああ。ここからの手筈は朝の時点で決まっている。……やめておけば良かったものを。まったく」

「さ、行きましょうね~。女の子に睡眠薬なんて、最低最悪のクズがする事ですよ~(#^-^)」

 放心状態のジョエルをラムリーが引っ立て、にこやかなエンジェルが後に続いた。

 彼らが廊下に出て行くのを見送って、シャロンは生徒達に目を向ける。


「貴女達も、ご協力ありがとう。後日何かお礼の品を贈るわ。」

「い、いえ!とんでもないです。先生に伝えたのは、当たり前の事で…!」

「むしろ助けて頂きましたわ。あの男、我が家との取引を潰すと言って、以前から無茶を…。」

「僕はほとんど何もしてないので、お気になさらず!」

 ぺこぺこ頭を下げたり、丁寧に淑女の礼をしたりして、三人も退室した。遠ざかっていく足音を聞きながら、メリルは部屋の扉を閉じて振り返る。


 シャロンはわざわざ立ち上がり、デュークに向き直っていた。




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