534.奪う覚悟
北校舎四階――応接室。
幾つかの面談を終えたジークハルトは、ルトガーと共に昼食をとっていた。中庭から適当に買ってきた大皿を幾つか並べ、各々好きな料理を自分の皿に移している。
テーブルマナーもそこそこにソースを絡めた肉を頬張り、長い指がフォークの先端をジャック達に向けた。
「貴様らも食って構わんが、どうする?」
「ンッフフ。頂きたいのは山々ですが、こちらの方に叱られてしまいますので。」
「有難いお誘いではありますが、任務中ですから。」
ジャックが真面目にそう返すと、ジークハルトは「そうか」とだけ言って食事に戻る。
何がなんでも食べさせる必要もなし、相手が辞退するならそれ以上はどうでもよいことだ。咀嚼していたものをごくりと飲み込んで、欠伸をかみ殺した。
ノックの音がして誰かと思えば、やってきたのはウィルフレッドだ。
ジークハルトが用を終えてそのまま昼食中と報告を受けたらしい。共に入ってきたサディアスが、昼食らしき包みを持っている。
「せっかくだ、一緒にいいかな。夜会まではいないんだろう?」
「構わんが、なんだ。夜まで居てほしいのか?」
「いや?申し訳ないけれど。良くも悪くも色んな人間が一堂に会するからね。」
貴方の顔立ちをよく覚えている者がいるかもしれない。
そう言いながら、ウィルフレッドはジークハルトの対面に座った。
ロイが魔法を使って防音を施し、四人の会話が聞こえないようにする。
サディアスが包みを広げると、ジークハルトは丁度良いとばかり大皿の物も食べるよう勧めた。
「いいのか?ありがとう。」
「あいつらは食わんと言うのでな。」
「ふふ、仕事中だからな。」
今日ジークハルトが会った相手など、幾らかたわいもない話をしながら、時折カトラリーが小さく鳴る。
ある程度食べたところで、ウィルフレッドが言った。
「…ジーク。貴方がいずれ皇帝になるのは揺るぎないのだろうけど、派閥の割合としてはまだ向こうの方が大きいのか。」
「そりゃあな。意外か?」
「意外だ。年齢の事を差し引いても、貴方ほどの求心力なら八割がたの支持を得ていても驚かない。」
「求心力か。ふはっ、それによって力が上がるなら話は別だがな。」
アクレイギア帝国において。
たとえ圧倒的な人望を集めていようとも、力が無ければ全ては無意味。
その名のもとに集まった者達に力が無ければ、居ない事と同じなのだ。
現皇帝に身を引かせる――すなわち、敗走させること。
あるいは、殺すこと。
それが皇帝になる条件である。
何人の部下に慕われ、どれだけの民に支持されていようと関係ない。
「支持が何割だろうと、皇帝さえ討てば即位に文句は言われん。」
「…皇帝になる以上は、いずれ貴方自身も討たれるのか。」
「さァ?どうだろうな。」
逃げるか、殺されるか、殺し続けるか。
敗走しない限りは、寿命で死んだ者はいない。先に殺されるから。
敗走しない限りは、病で死んだ者もいない。病床で殺されるから。
しかしながら。帝国の頂点に立った男の敗走たるや、なんと惨めなことか!
取り繕うのが上手かっただけの臆病者、誇りを忘れた者、戦いもしない小心者。
平民にすら馬鹿にされ下に見られ、罵られ、後ろ指を差されてもおかしくない行いなのだ。
老いた身では若者に勝てないと察していようとも、誹謗を受けてなお命を選ぶ者は少ない。
床材や壁紙や調度品が幾度すげ変わろうと、城の玉座や寝室で数多の血が流れてきたのは事実である。
ジークハルトが自らの未来をどう見ているのか、ウィルフレッドにはまだ到底、読み切れなかった。
「お前はどうなんだ、ウィルフレッド。」
ついと白い瞳を向けられ、ウィルフレッドはその視線を受け止める。
わかっているのか、そう問うたジークハルトは薄く笑みを浮かべていた。
「お前が王になるという事は、アベルが王になる未来をお前が奪うという事だ。」
「そうだな。」
つい息を呑みそうになって、サディアスは密かにそれを堪える。
ジークハルトの言い方も随分であったし、ウィルフレッドが即答した事も意外だった。動揺を表に出さないよう気を付けながら、冷静に食べ進めているふりをする。
「即位した後、子が育たない内に俺の身に何かあった場合は別だけれど。」
「奪う覚悟があると思っていいんだな。」
「ああ。アベルなら素晴らしい王になれるだろうけど、俺も俺のやり方で、誰に恥じる事もない王になる。……それはきっと、あいつに無理矢理やらせるよりは、良い施政者になると思うんだ。」
「くく……あァ、そうだろうな。」
わかっているならいいと、ジークハルトは再び食事に戻る。
ウィルフレッドの顔には気まずさも不安も恐れもなく、落ち着いていた。
――かつての不安定さが、嘘のようだ。
会話に耳を傾けながら、サディアスは頭の片隅で考える。
ウィルフレッドが抱えていた自信の無さ、無力感、劣等感、羨望、嫉妬…まるでそんなものは無かったかのように。アベルとはずっと仲の良い兄弟であったかのように。
言ってしまえば、ウィルフレッドの前にあった大きな壁はそれだけだったのだろう。
アベルとの関係が改善されてしまえば、彼は精神的にも――弟と幼馴染の事を抜けば――落ち着きある、優秀な王子だった。
――……私は、向き合えるのだろうか。期待しない方がいいと、わかっていて。
処刑される母親のこと。
王都にいる義弟のこと。
考えたところで、上手い対応も思い付きはしない。
――それに……彼のことはもう、解決しようがないものだ。
食事が終わって立ち上がると、ロイも防音の魔法を解いた。
廊下へ出る途中、部屋の壁にかけてあった鏡が目に入る。紺色の髪に水色の瞳の、黒縁眼鏡をかけた男子生徒がサディアスを見ていた。
「ではな、ウィルフレッド。次がいつになるかは知らんが。」
「ああ、ジーク。貴方なら大丈夫なのだろうけど、達者で。」
鋭い歯を見せてにやりと笑い、アクレイギアの皇子は補佐官と共に去っていく。
ジャックとロイも一礼してその後に続いた。廊下で二人だけになり、ウィルフレッドが一つ息を吐く。
「やはり、俺達が他にも来賓を抱えてる事くらいはわかってたみたいだな。」
「そうですね。誰とまでは思い至ってないでしょうが…」
「誰でも気にしてないんだろうとも思うよ。彼は彼で忙しい、全部構っていたら戻りが遅くなる。」
廊下の窓から見た空は、夕陽の色が混ざり始めていた。
夜会まであと数時間。
『奪う覚悟があると思っていいんだな。』
『ああ。』
「……ウィルフレッド様」
「うん?」
――先程の会話は、私に聞かせてよかったのですか。
疑問は心の中にあり、声となって発せられる事はない。
ウィルフレッドの青い瞳を見据えて数秒、サディアスは目を伏せ緩く首を振った。
「…いえ。何でもありません」
聞くまでもない。
この王子はとっくに知っているのだ、そんな事でサディアスが敵に回る事はないと。
かつてのサディアスなら、舐められていると感じたかもしれない。
あるいは、この王子はわかっていないのだと、愚かな事だと心の中で嘲ったかもしれない。
「大丈夫だ、サディアス。」
微笑むウィルフレッドに、「なぜそう言えるのだろう」と考えた。サディアスが何を考え何を悩んでいるかなど、わかっていないくせに。
わかっていない事を自覚していて、なお、わけも聞かずに「大丈夫」と言っているのだ。気休めの言葉を、敵対していない証に。
「まずは今宵、女神祭を無事に終えよう。」
「……はい。」
年頃の子息子女が集まってのパーティーだ。
王城ほどではないにせよ、様々な思惑が渦巻く場になるのは確かである。歩き出したウィルフレッドに合わせ、サディアスも足を踏み出した。
◇
不揃いに切られた茶髪、百七十センチを越える背丈も相まって威圧感のある三白眼。
巡回係の仕事を終えたデューク・アルドリッジは、中庭のベンチに腰掛けて串焼き肉に噛みついていた。
夜会での警備の仕事が始まる前に食事を終え、汗を流し、支給された警備服に着替えておかなければならないのだ。
「剣闘大会見てました」だの、「お仕事が終わったなら一緒に回りませんか」だのと寄ってくる女子もいたが、時間もなければ付き合う義理もない。
首を傾げて断ること数回、ようやく話しかけられなくなり、落ち着いて食べ終える事ができた。
――誰か、近付いてくるな。
デュークがそちらに目を向けると、それは見覚えのない貴族令嬢だった。
既に夜会の準備を済ませたのだろう、胸元を大胆に露出したドレスに宝石のついたネックレスをしている。その上からコートを着てはいたが、胸の脂肪が邪魔なのか前を留めていない。
目が合うと、彼女は小走りになってデュークの前までやってきた。
彼が座っているからか、幼い子と目線を合わせるように腰を曲げる。豊かな胸が強調され、通りすがりの男達がちらりと彼女の方を見やった。
「あの…デューク・アルドリッジ様ですよね。」
「おん。貴族ん人に様あんて付けあえるおんじゃえいが。」
「巡回中ではないのにすみません、助けてくださいませんか?」
「ああ?」
何かあったのかとつい眉を顰めたデュークに、彼女は小さく息を呑む。
しかし持ち直したようで、長い睫毛を震わせながら唇を開いた。
「その……私、しつこい男性に付きまとわれていて。夜会の控室に行きたいのですが、待ち伏せをされているのではと恐ろしいんです。昨日や一昨日は、私が行く先で待ち伏せていて…」
「あんで先生に言わえんだ。」
「言えば逆上するかもと恐ろしくて……ひっく、お願いします。部屋を確認するまでで、ううっ……それだけでいいんです!」
名前も知らない誰かは目に涙を浮かべてしゃくりあげる。
デュークは巡回係が来ていないかと見回したが、ちょうど移動中なのか人混みに紛れてか、確認できない。
――…まあいい。本当に厄介な男なら捕まえる。仮に嘘なら、その時はその時だ。
先を歩いてほしいと言われ、デュークは彼女が言うままに北校舎へ向かった。
貴族の中には会場近くに控室をとる者もいる、というのはデュークも知っている話だ。静かな廊下に着いてみれば、一つの部屋の前に別の貴族令嬢と、背が低く頼りなさそうな貴族令息らしき生徒がいる。
二人はこちらを見て「待ってた」とばかり手招きし、囁いた。
「人の気配がするんだ、やっぱりあいつ来てるかも…!」
「ひっ…!な、なんてこと……お願いします、アルドリッジ様。」
「…わあった。あんたがらはこおで待っどけ」
腰に携えた剣の柄に手を触れ、抜かずに済ませたいと考えながら、デュークは静かに扉を開ける。
広い部屋には、誰もいないように見えた。
しかしまだ、いないと断定する事はできない。ソファの裏か、ベッドの天蓋の裏、ベッドやテーブルの下か。
静かに中へ入ると、背後でそっと扉が閉められた。別にいい、怖いのだろうと考える。
視線を走らせながら歩を進め、ベッドの方から呼吸音がすると気付いた。
ある程度の距離を保ちながらも、そこが見えるように移動する。天蓋の向こう、布団の上で横になった誰かの制服が見えて、瞬いた。薄紫色の髪。
シャロン・アーチャー公爵令嬢が眠っている。
本物か幻覚かと戸惑ったデュークは、つい一メートルほど手前まで近付いてしまった。
本物に見える。
「………、んん?」
首を傾げて唸ったところで、シャロンが目を開けた。




