533.宵を待つ人
かつて古の大国が滅び、道標を失った人々は大地を巡って争った。
国が任命した領主はその多くが立場を追われ、領地という括りは意味を無くす。
領主が殺された土地、領民一丸となって守り続ける土地。王になろうと目論む者、貴方が王になるべきと説く者。
国の中枢にいた者達はいまや屍、先を照らし導けるだけの権威と名を持つ者は絶えていた。
混乱に乗じて悪事を働く者、混乱を鎮めようと立ち上がる者。失ってばかりだと嘆く者、奪われるより奪ってやると怒る者、ただ逃げ惑い怯える者。
無法地帯これ幸い、誰でもいいから害してやりたいと思う者。
法が無くとも正義あり、弱きを助け守っていこうと集う者。
「――そんな動乱の世で、彼らは旅をしていました。」
教会の講壇で本を広げ、フランシス・グレンは話を続ける。
神父服に身を包み、片手には金属製の長い杖。長い髪はブロンドベージュで、両耳には金のピアスが揺れていた。
彼は穏やかな微笑みを浮かべ、菫色の瞳で集まった人々を見回す。
「しかし六騎士と二人の女神は、必ずしも常に八人で行動していたわけではありません。後にツイーディア王国となる広大な土地ですからね。無論、建国後に領土となった場所もありますが…分かれて動く方がよい時もあったのでしょう。今回紹介する逸話もまた、全員が登場するわけではない。」
そう語るグレンの声に、ヴァルターは耳を傾けていた。
入口から講壇へ真っすぐに続く通路の左右には、三人掛けの長椅子がずらりと並んでおり、王弟という身分を隠した彼も、他の一般客と同じように席に着いている。
隣の護衛も興味深く傾聴しているが、ヴァルターの後列に座るセシリアは「飴みたいでおいしそうだ」と考えながらステンドグラスを見ていた。
「二人の女神と六騎士がかかわる逸話を、彼らにまつわる伝説を――神話と呼称する。今や魔法大国として名を馳せるツイーディア、その始まりにあった出来事の欠片を、また一つ。ご紹介させて頂きます」
薄く微笑むグレンの後方には女神像があり、顔立ちの整った司祭と厳かな教会の礼拝堂という状況が、彼の美貌に神聖さをも加えている。
客にはうっとり聞き入る女性も多く、頬に手をあて悩ましいため息を吐く者もいた。それらが一切目に入っていないかのように、ヴァルターは真剣な表情でグレンを見ている。
神話の題名を告げるため、グレンは口を開いた。
「《宵待ち人》」
それは、とある夕暮れ時のこと。
暗くなっていく森の中、我ら一行は寝泊まりできる場所を探していた。
獣道を辿るも木々は鬱蒼と生い茂り、倒れた大木にでも座って休もうという意見も出たが、結局は、今しばらくは拓けた場所を探す事になって歩みを再開する。
『妙だ』
そう言ったのはレイモンドだった。
彼の双眸は進行方向とは異なる場所を見つめ、しかし私には木々しか見えない。グレゴリーやアンジェリカと顔を見合わせるも、結局は三人揃ってレイモンドへ視線を戻した。
既にその方向へ歩き出してしまった彼を、我らは追いかける事になる。
一体何が妙なのだろう?
私は心弾む心地だったが、
『コーネリアス。進路を変える者は、その必要性を仲間に説くべきだと思わないか。』
生真面目なアンジェリカはそのような事を言って、グレゴリーから宥められていた。
草を掻き分け木の根を跳び越え、レイモンドの背中を追いかけていると、なるほどそれは確かに、妙だった。
明るかったのだ、まるで昼間のように。
我らが探していた拓けた場所、人が住んでいるだろう小さな家に畑、洗濯物が干されている傍には井戸もある。
春の陽光の如き光に満ちた空間が、そこにあった。
しかし今は日暮れだ。もうじきに、夜なのだ。まったく妙な話だが、その辺りへ入る前は暗くなった空も見えていた。入ったら、これがどうした事か、空まで明るい。
まるで夢の出来事のようで、私はつい何か声を漏らしたのを覚えている。
『誰か、いないだろうか。』
グレゴリーが家の戸を叩いた。
レイモンドは勝手に歩き回り、私は目を走らせるのに忙しく、後ろにいたアンジェリカがどうしていたか知らないが、とにかく、グレゴリーが戸を叩いた。
出てきたのは、胸にペンダントを下げた若い女性であった――と言っても、もちろん、当時の私よりは年上である。
彼女はなんと、この明るい土地で一人きり、しばらく暮らしているという。
『ずうっと明るいものだから、あれから何日経ったのだか、今が昼夜どちらなのだか、わからないのです。』
来客は久しかったようで、我らは途中で狩った獣や採取した果実と引き換えに、彼女の手料理を頂く事となった。
温和で優しく、笑うと頬にえくぼを作る。こうして笑って暮らしている者は少ないもので、話題として触れる事こそ無かったが、生来、まったく善なる男であるから、グレゴリーは嬉しそうにしていた。
しかしどうにも、現実というものは明るくない。
「あれから」とは何かとレイモンドが問うた。外の光に心当たりはあるのかとアンジェリカが問うた。私も疑問ではあった、昼夜どちらか知りたいなら範囲外に出ればよろしい。なぜなのかと。
『森の北側に野盗がいるようで』
彼女は語り始めた。
どうやらこの家には元々、夫と二人で暮らしていたらしい。
時折近くの村からやってくる商人が、野盗の存在を教えてくれた。森の奥に拠点を作ってしまったから、既に被害を受けている村では、勇士を集めて追い出す予定なのだと。
どうか協力してほしいと言われ、体格が良く腕っぷしも強かった夫は頷いた。
『日が暮れる頃には戻ってくる。もしかしたら、少し長引くかもしれないが』
出発の朝、そう言って。
それ以来ずっと、彼女にとって世界は明るいままなのだ。危ないので家の周囲より先には出ないようにという、夫の言いつけを守っている。
『私は、日が暮れるのを待っています。彼が戻ってくるはずだから』
ここで私が口を噤んでいられたのは、何でも思うまま正直に話すものではないと叱られていたからだ。それがなければすぐさま、「そんなの、もう死んでいるだろう」と言っていた。
聞かずともわかる、夫に依頼をもちかけた商人すらここには来ていない。
恐らく村の勇士達は返り討ちに遭っている。
『野盗がまだいるのかどうか、様子を確かめよう』
我ら四人の考えは一致して、一晩の宿を頂いた。
無論、四人分の寝台などあるはずもないので、布を敷いた床に寝転び、各々、上着か何かを頭にかぶるなどして暗くした。部屋の明かりをすべて落としても、やはり夜より明るいのだ。
翌日、野盗が拠点を構えたという方向を探索する。
彼女を案内に連れて行く事もできただろうが、それを提案する者はいなかった。
『そうだろうな』
呟いたのはレイモンドだったか、グレゴリーだったか。
辿り着いた先で見たのは、既に骨となった遺体だ。二十以上はあっただろうか、野盗にせよ村人にせよ、生き残りの姿はない。誰かが弔ってやった様子もない。
「ここで何があった」と、アンジェリカが問いかける。
小さな家に住む女性から話を聞いてきたのだと、彼女は夫の帰りを待っていると、語る。
ついそちらを見る私と違い、グレゴリーは全体を見渡せる位置から祈りを捧げていた。レイモンドは遺体を調べて回っている。
『相討ちだったようだ。』
やがてアンジェリカはそう言った。
賊を全滅させられたのは、商人が連れてきた助っ人の男が、うんと頑張ってくれたお陰なのだそうだ。あの女性の夫は、一人でも取り逃がせば妻が危ないと必死だったのだろう。恐らくは。
村へ寄ってみると、どうも、誰も帰って来ないから討たれてしまったと思い、怯えながらそのまま暮らしていたようだった。
弔いの手伝いをすると約束して、我らは彼女が待つ家へ向かう。
『明るさの理由は、私にはわからない。』
そう言うアンジェリカは暗い顔をしていた。
帰らない夫の顛末はわかったが、そう、あの夢のような光は謎のままだ。レイモンドは「わかるだろう」と言った。グレゴリーに対して。
『そうだな、きっと。』
我らが辿り着く頃には日は暮れ始めていたが、彼女は変わらず光の中にあった。
夫が帰らないと聞いて笑顔が消える。説明を終えた時、そこに涙はなかった。薄々わかっていたと彼女は言った。
『この不思議な光は、私を悲しませないために夫が起こした、奇跡だったのかもしれません』
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。ここにその真相を語れる者はいなかった。
明るい空を見上げ、彼女は「もういいのよ」と誰かに語りかける。空は変わらない。
『もし奇跡を終わらせられるとしたら、貴女はそれを望むだろうか?』
グレゴリーの問いかけに少しだけ黙し、返ってきた答えは「はい」だった。
このままでは夫が家に帰れないような気がすると、彼女は言った。
光の中に炎が浮かぶ。
四つ、四つ、計八つだ。グレゴリーが手にした剣の先で導かれるように一つの円となり、高く上がったそれの内側に炎が模様のように現れた。絵画のようなそれは、我らには意味がわからない。
理解しているのはグレゴリーだけだろう。
彼が剣を動かす度に模様は動き、あるいは消える。やがて彼が剣先を下へ向けると、炎は風にでも吹かれたように消えてしまった。周囲を照らしていた光と共に。
日暮れの空は紺と橙が滲んでいる。
遠い夕陽に照らされた雲は赤みを帯びていた。空をじっと見つめる彼女の目が、ゆらりと光る。レイモンドが唐突に片手を突き出し、彼女に何かを渡した。
細い鎖の音がして、彼女はその胸に下げているのと揃いのペンダントを手にしている。
涙が零れ落ちた。
ようやく、と。絞り出すような声で。
『お帰りなさい』
泣き崩れてしまった彼女は、我らに「ありがとう」と言った。
村人達が野盗に挑むより前にここへ辿り着いていたら、我らが間に合っていたら。そう言って責められる事もあるが、彼女は感謝を述べてくれたのだ。
約束通り埋葬を手伝って、我らは村を後にした。
「《宵待ち人》を含む幾つかの神話が記された手記は、六騎士の一人であるコーネリアス・マリガン様本人の物だという説もあれば、その子孫あるいは友人が、本人から聞いた話を書いたのだという説もあります。」
開いていた本を閉じ、グレンは落ち着いた声で語りかける。
席に座った人々の中には、興味津々な様子で彼を見ている者もいれば、話の間にすっかり眠りこけてしまった者もいる。胡散臭いと顔に書いた者もいて、陶酔したように目を細めて聞き入る者もいた。
「神話学は奥深い。残された文献が本物かどうか?正当性を考えるのもいいでしょう。もし居合わせたのが貴方がたなら、女性の話を聞いてからどこまで行動しましたか。遺体を前にしたアンジェリカ様は誰に語りかけたのか。グレゴリー様は炎で何をしたのか――…知りたいと思ったなら、探求を始めてみてください。」
まずは、本屋で神話学入門を買うところから。
そう言って、グレンは話を締めくくった。




