第二話 世界の裏側と、少し面倒な話
ここは普段、人間が暮らしている世界とは別の世界。
Reverse World。
国や世界地図はほとんど同じだが、一つだけ大きく違うところがある。
本来日本があるはずの位置に、伝説の島――アトランティス帝国があるのだ。
そのアトランティス帝国首都特別区アルカディア、通称王都アルカディアの、とある施設。
広い平地を結界で覆い、仮想都市を作り出した訓練場では叫び声が響いていた。
「副隊長、もうここは抑えられません、後退しましょう!」
二十歳前後の男が、慌てたように声をかける。
だが、その相手は彼よりも若く見えた。十五、六歳。少年と呼んでもおかしくない年齢。
それでも、ここではその少年が副隊長だった。
「そうですね……ならこうしましょう」
副隊長こと神一郎は落ち着いた声で言った。
「部隊を二つに分け、俺を含むここにいる五人であの犯人の拠点を攻め、主犯を逮捕、拘束します。その他の者は出来るだけ速やかに応援を呼んできてください。いいですか?」
残っていた隊員たちが顔を見合わせる。
きつい作戦だ。神一郎自身も、それはわかっていた。
だが、それでも動かなければ前には進めない。
「では、いきますっ」
神一郎の指示で皆が一斉に動き出した。
障害物を巧みに避けながら、神一郎は前へ出る。
「しっかりついて来てくださいねっ!」
後ろを振り返りはしない。
振り返らなくてもわかる。ついて来るだけで精一杯だ。
神一郎の後ろに四人。皆、必死に食らいついている。だが目指すビルはまだ遠い。
バシュッ。
「くっ……」
一発の銃弾で、一番後ろの男が倒れた。
続いて前方からまた銃弾が飛ぶ。神一郎は剣で何発か弾き、そのまま高く飛翔した。残りの三人も続こうとするが、次々に撃ち落とされていく。
神一郎は空中で動きを止めた。
「残りは俺だけか……しょうがないかな……」
やっぱりダメか。
そう思いながら、地面に降りる。
「リンク解除。対テロリストトレーニングを終了」
神一郎がそう言うと、手にしていた剣がボールペンに戻り、周囲のビル群が一気に消えた。
荒れ果てた市街地は、綺麗に整備された平地へと変わる。
倒れていた隊員たちも、ようやく訓練終了だと理解したらしい。呻きながら起き上がってきた。
「各員、回復後、俺までレポートを提出してください」
神一郎が声をかけると、皆、辛そうにしながらも返事をした。
そのとき、携帯端末が鳴った。
ピピピッ、という無機質な着信音。
「はい、もしもし。三番隊副隊長の藤崎神一郎です」
通話に出る。
「今からですか? それなら十五分くらいで。わかりました。では、今から本部に向かいます」
通話を切る。
「……面倒臭いけど行くか」
ぽつりと呟いて、神一郎はその場をあとにした。
*
アトランティス軍本部三階。
そこにある「アトランティス軍騎士団長室」の前に、神一郎は立っていた。
ここに来るのは何度目だろうか。
アトランティス軍騎士団。
それはこの国で唯一警察権を持つ組織、アトランティス警察の中でも特に選ばれたエリート集団だ。
各都市に支部を持つアトランティス警察に対し、騎士団の支部は王都アルカディアにしかない。必要とあらば異世界へも他国へも赴くが、そうそう大事件が起きるわけではない。普段は要人警護や特殊任務を任されることが多い。
そんな騎士団三番隊の副隊長を、神一郎は任されていた。
年齢を考えれば異例だ。
だが、本人としては別に誇らしくも何ともなかった。
「はあ……」
小さくため息をつく。
深呼吸してから、ドアをノックした。
「失礼します。藤崎神一郎です」
「入りたまえ」
中から低い声が返ってくる。
神一郎はドアノブに手をかけた。
この先で何を言われるのかはまだ知らない。
だが、たぶんまた面倒な任務なのだろうという予感だけはあった。
そしてその予感は、きっと当たる。
そんな気しかしなかった。
ドアを開けると、いつも通りだった。
無駄に広い部屋。無駄に高そうな机。無駄に広いソファ。
そして、無駄に大きい男。
「待っていたよ」
団長――新谷遥斗が、いつもの調子で言った。
「さっき正面玄関から入るのが見えていたからね。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「……それ、毎回言ってますよね」
神一郎は軽く頭を下げながら言う。
「気のせいだろう」
「そういうことにしておきます」
適当に返して、ソファに座る。
こういうやり取りにも、もう慣れている。
「で?」
神一郎はすぐ本題に入った。
「今回は何の任務ですか」
「せっかちだな」
「いや、どうせ任務なんでしょ」
「まあそうなんだが」
団長は苦笑しながら、引き出しから一枚の書類を取り出した。
今時わざわざ紙に印刷をするなんて、というツッコミを入れたくなるような空気感を無視し、それをテーブルの上に置く。
「護衛任務だ」
「護衛……?」
神一郎は少しだけ眉をひそめる。
戦闘任務ならともかく、護衛はあまり得意じゃない。
相手の命を守るというのは、単純な戦闘よりずっと面倒だ。
団長室のデスクからホログラムが投影される。
今回の任務に関する資料だ。やはり紙に印刷する必要なんてなかったのだ。ただの趣味なのだろう。
「名前は赤坂奈々」
その名前を聞いた瞬間。
ほんのわずかに、記憶が引っかかった。
「人間界、日本。東京都。博文館学園高等部一年A組」
「……学生、ですか」
「そうだ」
団長はあっさり頷く。
神一郎は書類に目を落とした。
写真が載っている。
見覚えのある顔だった。
「……ああ」
思い出した。
「同じ小学校のやつだ」
「ほう」
団長が面白そうに目を細める。
「それは都合がいいな」
「いや、そうでもないと思いますけど、というか知っていたんでしょう?」
神一郎はため息をついた。しかし団長は知らんふりをする。
「で、なんでその子を護衛する必要があるんですか?」
そこが一番重要だ。
ただの学生なら、騎士団が出る理由はない。
団長の表情が、少しだけ変わる。
「彼女はな」
間を置いてから言った。
「微量だが、魔力を持っている」
「……は?」
思わず素で聞き返した。
「人間界の人間が、ですか?」
「そうだ」
「いやいやいや」
神一郎は首を振る。
「それありえないでしょ」
「普通はな」
団長はあっさりと言う。
「だが実際に確認されている」
神一郎は黙る。
それはつまり、“普通じゃない”ということだ。
「で、それだけならまだいいんだがな」
「まだあるんですか」
「ある」
即答だった。
「中国軍が動いている」
「……あー」
神一郎は天井を見上げた。
「面倒なやつですね」
「そうだな」
「完全に面倒なやつですね」
「否定はしない」
ため息が出る。
これは間違いなく面倒な任務だ。
「つまり」
神一郎は整理する。
「その子が狙われてる可能性があるから、護衛しろと」
「その通りだ」
「……はあ」
大きく息を吐く。
「政治がらみは嫌なんですが」
「日本は同盟国だ。仕方ない」
また大きなため息を吐く。
「で、どうやって護衛するんですか」
普通に考えれば、裏で警護をつけるなり、監視するなり、やり方はいくらでもある。
だが。
団長は少しだけ楽しそうに言った。
「お前も学生になれ」
「……は?」
「編入手続きは済ませてある」
「いやいやいやいや」
神一郎は思わず立ち上がりかけた。
「ちょっと待ってください」
「何だ」
「雑すぎません?」
「問題ない」
「問題しかないでしょ」
即答だった。
団長は気にした様子もなく続ける。
「同じクラスだ。隣の席にしてある」
「やりすぎでしょ」
「近い方が護衛しやすいだろう」
「そういう問題じゃないです」
神一郎は額を押さえた。
確かに合理的ではある。
だが。
「……まあ、いいですけど」
結局そうなる。
任務は任務だ。
「あと」
団長が思い出したように言う。
「もう一人、既に学園に送り込んである」
「……誰ですか」
「二番隊隊長」
その一言で、空気が変わった。
「中嶋椎菜。一等陸尉」
「……え?」
「ランクはSSだ」
神一郎は固まった。
「……ちょっと待ってください」
「何だ」
「SSって、あのSSですか」
「どのSSだ」
「上から二番目のやつです」
「そうだな」
「……マジですか」
思わず本音が漏れる。
十七歳でSS。
普通に考えておかしい。
「お前にとってもいい経験になるだろう」
「いや、経験っていうか」
神一郎は苦笑する。
「普通に怖いんですけど」
「そうか?」
「そうですよ」
団長は楽しそうに笑った。
絶対わかってて言ってる。
「で、その人と一緒に動くんですか?」
「当然だ」
「……ですよね」
まあ、そうなる。
それはいい。
問題は次だった。
「それと」
団長が何気なく言った。
「住む場所だが」
「はい」
「同じ部屋にしてある」
「は?」
今日二回目の「は?」だった。
「いやいやいや」
神一郎は完全に立ち上がった。
「それはさすがにおかしいでしょ」
「何がだ」
「いや全部」
「効率がいい」
「効率の問題じゃないです」
「あと予算」
神一郎は本気でため息をついた。
「誰が上司と同じ部屋に住みたがるんですか。使いっ走りになるやつですよ、これ」
「頑張れ」
「やっぱりか……」
もう何も言う気がしなくなった。
「三日後から人間界に移れ」
団長が締めるように言う。
「以上だ」
「……了解しました」
結局、それしか言えない。
敬礼して、部屋を出る。
ドアが閉まった瞬間。
「……面倒くさすぎる」
小さく呟いた。
⸻
そして現在。
午前の授業を終えた神一郎は、奈々とその友人、朝倉優子に連れられ食堂に来ていた。
弁当を持っていなかった為に助かるっちゃ助かるのだが。
「あんたの分も買ってきてあげるから、先に席を取っておいてよ、カレーでいいでしょ?」
とのこと。
だがここは食堂。
昼休みの時間帯は席が空いているはずもなく、あてもなくうろうろしていると。
「やあ、よければ相席はどうだい?藤崎神一郎君。いや、藤崎神一郎一等空尉」
声をかけられた。
⸻
振り向くと、一人の女性が座っていた。
長い髪。落ち着いた雰囲気。
ただ、それだけでわかる。
強い。
「……ああ」
神一郎は軽く息を吐いた。
「あなたが中嶋椎菜一等陸尉ですね。流石、SSランクともなると魔力を抑えるのが上手ですね」
「そうだ、だがキミもうまく抑えてるじゃないか。探すのに苦労したよ」
彼女は軽く笑った。
通常、魔力を持つ人間は常に魔力を放出し続けている。
こういった任務では居場所を悟られないよう、極力魔力の放出を抑えるのがセオリーだ。
やはり高位の騎士ともなると魔力の放出がほとんどない。
「よろしくな、藤崎一等空尉」
「……よろしくお願いします、神一郎でいいですよ」
「なら私も椎菜でいい」
軽い。
思っていたよりずっと。
だが、その奥にあるものは――
はっきりとわかる。
この人は強い。
しかも、かなり。
「それで」
椎菜が言う。
「任務の前に早速だが、私は家事ができない」
「……そういうことですか。だから同じ家
と言いかけたところで
「何か問題でも?」
遮られた。
「問題しかないです」
即答するしかない。
椎菜は少しだけ面白そうに笑う。
「まあいいじゃないか。効率的だ」
「団長と同じこと言ってますよ」
「そうか?」
「そうです」
ため息をつく。
けれど。
この人と組むなら――
たぶん、任務自体は問題ない。
問題なのは。
「……日常の方ですね」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもないです」
神一郎は軽く首を振った。
とりあえず。
任務は始まった。
そしてこれは――
間違いなく、面倒なやつだ。




