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理想の夫は嘘をつく  作者: 熊猫ぱんだ


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26/31

家族

「警察には?」

美咲は首を振る。

「……妹だから」

その答えに、蒼真は少し目を閉じた。

否定はしない。

でも、納得もしていない顔だった。


沈黙。

しばらくして、美咲がぽつりと言う。

「なんでこんなことになったんだろ」

蒼真は答えない。

代わりに、美咲の前へ温かいコーヒーを置いた。

美咲はカップを見つめたまま呟く。


「私、ずっと“家族だから”って思ってた」

「莉奈のことも」

「悠真のことも」

「許さなきゃって」

声が少し掠れる。

「でも、もう無理かもしれない」


その言葉に、蒼真は静かに美咲を見る。

責めない。

誘導しない。

ただ待つ。


美咲はゆっくり顔を上げた。

「……蒼真さん」

「はい」

「前に言ってたよね」

“何もしなかったら、自分が悪かったって思い込みそうだった”

蒼真の言葉。

美咲は静かに続ける。

「今、少し分かる」


胸の奥が痛い。

ずっと、自分の傷を後回しにしてきた。

悠真にも。

莉奈にも。

“仕方ない”

“自分にも悪いところがある”

そうやって飲み込んできた。


でも。

腕の傷がじくじく痛む。

さっきの莉奈の目。

あれは、もう家族だからで許していい段階じゃない。

美咲は小さく息を吐く。

そして初めて、はっきり言った。

「……慰謝料、請求したい」

蒼真の目がわずかに動く。

美咲は続ける。

「悠真にも」

「莉奈にも」


その声は静かだった。

でも、迷いは少なかった。

蒼真は数秒、美咲を見つめる。

そして静かに頷いた。

「分かりました」

否定しない。


“やめた方がいい”とも言わない。

ただ、受け止める。

その態度が、美咲にはありがたかった。


蒼真は仕事の顔になる。

「不貞の証拠は十分あります」

「今回の暴行も含めれば、話は整理しやすい」

淡々とした説明。

でもその声の奥には、美咲を守ろうとする温度があった。


「まずは悠真さんとの離婚協議」

「それから慰謝料請求」

「莉奈さんに対しては、別で整理しましょう」

美咲は静かに聞いている。

蒼真は続けた。

「あと」

少し間。

「ご両親には話した方がいいと思います」


その瞬間、美咲の胸が重くなる。

親。

全部を知られたくなかった。


妹が姉の夫と関係を持ったこと。

妊娠。

托卵。

流産。

暴力。

あまりにもぐちゃぐちゃだ。

でも、もう隠しきれない。


美咲はゆっくり目を閉じる。

「……そうだよね」

蒼真は静かに頷いた。

「一人で抱える段階は、もう過ぎてます」

その言葉に、美咲の目が少しだけ熱くなる。


ずっと、一人で耐えるしかないと思っていた。

でも今は違う。

守ってくれる人がいる。

味方になってくれる人がいる。

それを知ってしまった。


蒼真は資料をまとめながら、静かに言う。

「取れるものは、ちゃんと取りましょう」

「壊された分まで、全部」


穏やかな声だった。

でもその奥にある冷たさを、美咲は感じ取る。

この人は優しい。

けれど一度、“守る側”に回った時は容赦しない。

それは、過去に自分自身が壊れた経験があるからだ。


美咲は小さく頷く。

そして心の中で、静かに決めた。

もう許される側の都合では終わらせない。

悠真にも。

莉奈にも。

ちゃんと、自分が壊された痛みを返していくと。


数日後。

美咲は実家の前に立っていた。

インターホンを押す指が重い。

ここへ来るまで何度も帰ろうと思った。

でも、もう逃げられない。

蒼真の言葉が頭に残っている。


一人で抱える段階は、もう過ぎてます。


扉が開く。

「美咲?」

母だった。

娘の顔を見るなり、表情が変わる。

「どうしたの、その腕」

包帯。

隠しきれなかった。


美咲は少しだけ笑う。

「……話したいことある」

その声で、母は何かを察した。

リビングには父もいた。

いつも通りの実家。

テレビの音。

夕飯の匂い。

なのに、美咲だけ別世界みたいだった。


「悠真くんとはどうなの?」

最初に聞いたのは父だった。

別居していることは伝えてある。

でも理由までは話していなかった。

美咲は静かに息を吸う。


「……莉奈が関係してる」

その瞬間、空気が変わる。

母の表情が固まる。

父も眉を寄せた。

美咲はゆっくり全部話した。


悠真と莉奈の関係。

妊娠。

DNA鑑定。

托卵。

流産。

そして店で掴みかかられたこと。

話している途中、何度も喉が詰まった。

でも止めなかった。

全部終わらせるために。


長い沈黙。

最初に口を開いたのは母だった。

「……嘘でしょ」

震える声。

顔色が真っ白だった。

父は無言のまま座っている。

でも拳だけが強く握られていた。

「莉奈が……?」

信じられない。

そんな顔だった。


美咲は静かに頷く。

母の目に涙が浮かぶ。

「なんで……」

誰に向けた言葉か分からなかった。


娘への失望。

家庭が壊れた現実。

全部混ざっていた。


父が低く言う。

「悠真くんは?」

美咲は少し迷ってから答える。

「離婚すると思う」

“する”ではなく、“すると思う”。

まだ正式には終わっていない。

でももう、戻る未来は見えなかった。


父は深く息を吐いた。

「……莉奈はどこだ」

その声に怒りが滲む。

母は泣きながら首を振る。

「まず美咲でしょ……!」

「こんな怪我までして……」


その言葉に、美咲は少しだけ救われる。

初めてだった。

誰かが、“美咲が傷ついた側”として見てくれたのは。

今までずっと、

“姉だから”

“しっかりしてるから”

そうやって我慢する側だった。

でも今は違う。


父はゆっくり立ち上がる。

「悠真くんとも話す」

重い声だった。

「莉奈も、このままにはしない」


一方その頃。

莉奈は、暗い部屋でスマホを見つめていた。

美咲からの連絡はない。

親からもない。

でも逆に、それが怖かった。

嵐の前みたいで。

テーブルには酒缶が散乱している。

悠真からは、相変わらず何も来ない。

既読すらつかない。


「……っ」

イライラして、スマホをソファへ投げる。

全部、美咲のせいだ。

そう思わないと耐えられなかった。


だって。

自分だけ全部失った。

子供もいなくなった。

悠真もいなくなった。

なのに美咲は。

蒼真がいる。

守ってくれる人がいる。

慰謝料まで取って、“被害者”として前へ進もうとしている。

その事実が、莉奈をさらに壊していく。


その時。

スマホが震えた。

“お父さん”

莉奈の呼吸が止まる。

本能的に分かった。


全部、バレた。


ここまで読んでくださってありがとうございました!

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