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理想の夫は嘘をつく  作者: 熊猫ぱんだ


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18/31

疑い

「……本当に、俺の子なのか?」


その言葉が落ちた瞬間。

部屋の空気が凍った。

莉奈がゆっくり顔を上げる。


「……え」

少し焦った声。


美咲も固まっていた。

数秒遅れて、信じられないものを見るように悠真を見る。

「今、なんて言ったの?」

美咲の声が震える。


涙を流しながら、それでも悠真から目を逸らさない。


「普通、そんな言葉出てこないから」

「……」

「だって、ちゃんとそういうことしてなきゃ、“自分の子か”なんて発想にならないじゃん」


悠真の呼吸が止まる。

悠真はハッとして首を振る。

「違う、そういう意味じゃ……」

「そういう意味でしょ」


美咲は続けた。

「行為してないなら、“嘘だろ”ってなるはずでしょ」

「……」

「でも悠真は違った」

涙がぽろぽろ零れる。


「“俺の子なのか”って言った」

逃げられない。

その一言だけで、全部認めてしまっている。


美咲は苦しそうに笑った。

「そんなの……本当に関係持ってた人しか言わないよ……」

悠真は何も返せない。

否定の言葉が、もう全部薄っぺらかった。


莉奈が小さくお腹を抱き締める。

「私……」

震える声。

「ちゃんと、悠真くんのこと好きだったのに……」


「莉奈、今は黙ってろ」

悠真が低く言う。

だがその声に、美咲がびくっと肩を震わせた。

その反応を見て、悠真自身も固まる。

美咲は少し後退りしながら、涙を拭った。


「怖い……」

「美咲」

「最近の悠真、怒ると怖い」


莉奈の腕を掴んだ時。

怒鳴った時。

全部、美咲は見ていた。


悠真は言葉を失う。

美咲は泣きながら笑う。

「理想の夫だと思ってた」


その声が痛いほど静かだった。


「でも、本当は全然違ったんだね」

「違うんだ……」

悠真は掠れた声でそう言った。

だが、自分でも何が違うのか分からなかった。


浮気した。

妹と関係を持った。

妊娠させた。

全部事実だ。


「何が違うの?」

美咲が静かに聞く。

その目はもう、以前みたいに悠真を見ていなかった。


信頼も。

愛情も。

崩れ始めている。


悠真は一歩近づく。

「俺、美咲と別れたいわけじゃない」

「……最低」

美咲が笑う。

涙でぐしゃぐしゃなのに、乾いた笑いだった。

「妹妊娠させておいて?」

「……」

「それでまだ、夫婦続けられると思ってるの?」


悠真は言葉に詰まる。

思っていたわけじゃない。

でも失いたくなかった。


美咲も。

家庭も。

全部。

その醜い欲が、今ここに全部出ていた。


莉奈が小さく口を開く。

「お姉ちゃん……」

「莉奈は黙って」

初めてだった。

美咲が、妹へあんな声を向けたのは。


莉奈の肩が震える。

美咲は涙を拭いながら続けた。

「なんでなの……?」

「……」

「私、ずっと莉奈のこと大事だったのに」


その言葉に、莉奈の顔が歪む。

罪悪感が刺さる。

でも。

それでも。


悠真を失いたくない。

その気持ちの方が強かった。


「ごめんなさい……」

莉奈は泣きながら俯く。

「本当に、ごめん……」

「謝ってほしいわけじゃない!!」


美咲が叫ぶ。

部屋が静まり返る。

美咲は肩を震わせながら、自分の胸を押さえた。


「気持ち悪い……」

悠真の顔色が変わる。

「美咲」

「二人とも、気持ち悪い……」

その言葉は鋭かった。


莉奈が泣き崩れる。

悠真も何も言えない。

美咲はその場に立っているのも限界みたいに、ふらつきながら後退った。


「もう無理……」

「待ってくれ!」

悠真が咄嗟に腕を掴もうとする。

だが美咲は反射的に身を引いた。

怯えるみたいに。

その反応が、悠真の胸を深く抉る。


美咲は震える声で言った。

「触らないで」

「……」

「もう、家族じゃない」

悠真の呼吸が止まる。


美咲は涙を流したまま寝室へ向かう。

バタン、とドアが閉まる音。

静寂。

残されたのは、悠真と莉奈だけだった。


莉奈は泣きながら、お腹を抱えている。

悠真はしばらく動かなかった。

頭が真っ白だった。

やっと、美咲とやり直せると思っていた。


刺された時。

病院で手を握られた時。

もう一度、普通の夫婦に戻れるかもしれないと。


なのに。

全部、自分で壊した。

悠真はゆっくりソファへ座り込み、顔を覆う。


その横で。

莉奈が小さな声で呟いた。

「……でも」

悠真が顔を上げる。

莉奈は涙で濡れた顔のまま、それでもどこか安心したように笑っていた。


「これで、もう隠さなくていいね」

その瞬間。

悠真は初めて、本気で寒気を感じた。


──


朝になっても、美咲は寝室から出てこなかった。

悠真はリビングで一睡もできずに座っていた。


スマホには会社からの連絡。

母親からの不在着信。

莉奈からのメッセージ。

全部無視していた。


頭が回らない。

ただ、昨夜の美咲の言葉だけが何度も蘇る。

——もう、家族じゃない。


ガチャ、と寝室のドアが開く。

美咲が出てきた。

目は腫れている。

それでも不思議なくらい静かだった。


悠真は立ち上がる。

「……美咲」

「しばらく別で暮らしたい」

淡々とした声。

悠真は固まる。

「え」


別居。

本当に。

悠真は掠れた声を出した。

「待ってくれ」

「無理」


即答だった。

美咲は悠真を見ない。

「今、同じ家にいたくない」

「……」

「顔見るだけで苦しい」

その言葉が現実として胸に落ちる。


悠真は何も言えなくなる。

美咲は続けた。

「私が出ていくつもりだったけど」

そこで初めて悠真を見る。


「子供もいるし悠真が出てって」

静かな目だった。

怒鳴りもしない。

泣き叫びもしない。

だからこそ終わりを感じた。


悠真は数秒黙ったあと、小さく頷く。

「……分かった」

それしか言えなかった。


昼過ぎ。

悠真は最低限の荷物だけまとめて家を出た。

玄関を出る瞬間、一度だけ振り返る。

美咲はリビングに座ったまま、こちらを見なかった。


「……行く」

返事はない。

静かな部屋。

もう、自分の帰る場所じゃない気がした。


ドアが閉まる。

その音で、美咲はようやく小さく息を吐いた。

涙は出なかった。

もう泣きすぎて、感覚が麻痺していた。


その頃。

ビジネスホテルへ向かった悠真は、ベッドに座ったままスマホを見ていた。

莉奈から何十件も通知が来ている。


『大丈夫?』

『ちゃんと話したい』

『今どこ?』

『会いたい』


悠真はしばらく画面を睨み、やがて通話ボタンを押した。

数コールで繋がる。


『……悠真くん?』

嬉しそうな声。

それだけで苛立ちが込み上げた。

「検査しよう」

沈黙。


『……え?』

「DNA検査」

低い声。

「俺の子か確認する」


電話の向こうで莉奈の呼吸が止まる。

『な、なんで……』

「当たり前だろ」

悠真は額を押さえた。

「こんな状況で、信じろって方が無理だ」

『……私のこと疑ってるの?』

傷ついた声。


だが悠真は冷たく言った。

「疑うだろ普通」

沈黙。

長い沈黙だった。

やがて莉奈が、小さく震える声を出す。

『……分かった』


悠真は目を閉じる。

疲れていた。

全部。


そのまま通話を切る。

部屋が静かになる。

悠真はベッドへ倒れ込んだ。

天井を見つめる。


美咲の泣き顔。

莉奈の執着。

由奈の血だらけの姿。

全部ぐちゃぐちゃに混ざっている。


もう戻れない。

そんなこと、とっくに分かっていた。

一方その頃。

莉奈は暗い部屋でスマホを握り締めていた。


DNA検査。

その言葉が頭から離れない。

お腹をそっと撫でる。

まだ誰の子かなんて分からない。

でも。

多分お腹の子は悠真の子じゃない。

もし悠真の子じゃないってバレたら?

その瞬間、自分は完全に捨てられる。


莉奈の呼吸が浅くなる。

怖い。

嫌だ。

捨てられたくない。


莉奈は、自分がもう引き返せないところまで来ていると理解していた。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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