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理想の夫は嘘をつく  作者: 熊猫ぱんだ


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13/18

妊娠

「……え?」

悠真の声が掠れた。


莉奈はお腹に手を当てたまま、ゆっくり視線を落とす。

「まだ分かんないけど……でも、生理来てなくて」


風の音だけが響く。

悠真の頭が真っ白になった。


妊娠。

その二文字だけが、脳内で何度も反響する。


「嘘だろ……」

「私だって、嘘ならよかった……」

莉奈は震える声でそう言って、ぽろぽろ涙を零した。

「どうしよう……」

悠真は何も言えなかった。


さっきまで怒鳴っていた感情が、一気に冷えていく。代わりに押し寄せたのは、恐怖だった。


もし本当なら。

もし美咲にバレたら。

会社も家庭も終わる。

全部。


「病院は?」

「……まだ」

「行けよ」

反射的に強い口調になる。

莉奈はびくっと肩を震わせた。

その反応を見た瞬間、悠真はハッとする。


腕に残った赤い跡。

泣き腫らした目。

自分が追い詰めた。

そう思った途端、妙な罪悪感が胸を刺した。


「……悪い」

莉奈が顔を上げる。

悠真は乱暴に髪をかき上げた。

「とりあえず、今日は送る」

その一言だけで、莉奈の表情が変わった。

まるで捨てられた犬が、もう一度餌を貰えたみたいに。

「……うん」


車の中は静かだった。

莉奈は助手席で、小さく腹部を撫で続けている。

その仕草を見るたび、悠真の心臓は嫌な音を立てた。

本当に、自分の子なのか。

いや。

時期的には合う。

考えたくないのに、現実感だけが増していく。


信号待ち。

莉奈がぽつりと呟く。

「……怒ってないの?」

「は?」

「昨日みたいに、もう会うなって言うかと思った」


悠真は黙った。

言えるわけがない。

もし妊娠が本当なら、莉奈を切り捨てるなんて無理だ。

「……今は、そんな話してる場合じゃないだろ」


その瞬間。

莉奈が少しだけ笑った。

嬉しそうに。

安心したみたいに。

マンション前に着く。


莉奈は車を降りる前、シートベルトを外しながら小さく言った。

「ねぇ」

「……何」

「今日、来てくれる?」

悠真は眉を寄せた。


「今から?」

「一人だと不安……」

弱々しい声だった。

昨日までの執着じみた圧とは違う。

守ってほしい、という顔。


悠真は舌打ちしかけて、やめた。

「……少しだけな」

莉奈の目がぱっと明るくなる。

その反応に、悠真の胸が妙にざわついた。


部屋に入ると、莉奈はすぐ悠真の服を掴んだ。

離れないように。

「大丈夫だから」

悠真はそう言いながら、頭を撫でる。

まるで恋人みたいに。


いや。

もう、とっくにそうだった。

莉奈は悠真の胸に額を押し当て、小さく呟く。

「怖かった……」

「……」

「一人で考えてたら、消えたくなって」


奈々の顔が脳裏をよぎる。

あの日、電話を切った夜。

泣いていた声。

悠真は無意識に莉奈を抱き寄せていた。


「変なこと考えるな」

「……うん」

「ちゃんと俺がいるから」

口にした瞬間、自分で驚いた。

だが莉奈は泣きながら笑う。

「嬉しい……」


その夜。

悠真は美咲に、“会社のトラブルで遅くなる”と連絡を入れた。

返信はすぐ来た。

『無理しないでね』

胸が痛む。

それでも。

悠真は帰れなかった。


ソファで眠る莉奈に毛布を掛ける。

すると莉奈が薄く目を開け、悠真の袖を掴んだ。

「行かないで……」

悠真はその手を振り払えなかった。


静かな部屋。

絡みつく体温。

依存。

罪悪感。

壊れていく感覚。

全部分かっているのに。

悠真はもう、自分から離れられなくなり始めていた。


そして翌朝。

洗面所で一人になった莉奈は、鏡を見ながら静かに笑う。


その手には、まだ袋から出したばかりの妊娠検査薬。

当然、線は出ていなかった。

莉奈はそれをゴミ箱に捨てる。


代わりにスマホを開き、昨夜の悠真との写真を見つめる。

優しく頭を撫でる手。

抱き締める腕。

全部、自分だけのものみたいだった。


「……やっと、こっち見た」

莉奈は嬉しそうに呟いた。


悠真が帰ったあとも、部屋にはまだ体温が残っていた。

ソファの皺。

脱ぎっぱなしのスウェット。

テーブルに置かれたコンビニの温かいお茶。

その全部が、莉奈の胸を満たしていく。


昨夜までの不安が嘘みたいだった。

悠真は優しかった。

帰る前も。

何度も頭を撫でてくれた。


「ちゃんと病院行けよ」

「何かあったらすぐ連絡しろ」

「一人で抱え込むな」

その言葉を思い出すだけで、頬が緩む。


莉奈はソファに座り込み、スマホを抱き締めた。

画面には、昨夜盗み撮りした悠真の横顔。

眠そうに煙草を吸う姿。

少し疲れた目。

それすら愛しかった。


「……好き」

ぽつりと呟く。

最初は、ほんの少しだった。

優しい義兄。

お姉ちゃんを大事にする人。

笑うと格好良くて、頼りになって。


でも知ってしまった。

悠真は完璧じゃなかった。


嘘をつく。

浮気をする。

弱くて、最低で、自分に甘い。


なのに。

だからこそ、欲しくなった。

自分だけを見てほしいと思ってしまった。


莉奈はスマホを開く。

悠真とのトーク画面。

少し前まで、自分ばかり送っていたメッセージ。


既読無視。

未読。

素っ気ない返事。

それが今は違う。


『起きた?』

『ちゃんと食べろよ』

『病院いつ行く?』

短い文。

でも、それだけで嬉しい。


莉奈はすぐ返信する。

『起きた』

『会いたい』

数秒後。

既読。

その小さな表示だけで、胸が高鳴る。


『今日は無理』

『美咲いるから』

その名前を見た瞬間、莉奈の笑顔が少し消えた。


美咲。

姉。

本当なら、自分がこんなことしてはいけない相手。

分かっている。


でも。

莉奈はゆっくり唇を噛む。

——お姉ちゃんが悪い。


心の奥で、誰かが囁く。

だって、美咲は何も気づかない。


悠真が苦しんでても。

壊れてても。

他の女に逃げてても。


何も知らず、“理想の夫”だと思って笑ってる。

私の方が分かってる。

私の方が悠真くんを見てる。

そう思った瞬間、ぞくりとした。


莉奈はそのままアルバムを開く。

保存してある写真。


悠真の寝顔。

車の中の横顔。

隠し撮りした後ろ姿。

増えていく。

どんどん。


指が止まったのは、一枚の写真だった。

会社に送った匿名メールのスクリーンショット。

添付済み。

送信完了。

あの瞬間は怖かった。


もし嫌われたら。

もし終わったら。

でも結果は違った。

悠真は、自分を切れなかった。


妊娠を匂わせた瞬間、全部変わった。

優しくなった。

触れてくれた。

必要としてくれた。


莉奈は堪えきれず、小さく笑った。

「……よかった」

泣きそうな声だった。

その時、スマホが鳴る。


悠真。

莉奈はすぐ通話に出た。

「もしもし?」

『……今、大丈夫か』

低い声。

疲れている。

でも、それが嬉しい。


「うん」

『今日、美咲遅いんだよな』

莉奈の呼吸が止まる。

『少しだけ行く』

その瞬間。

胸の奥が熱くなる。

「……ほんと?」

『騒ぐなよ』

ぶっきらぼうな声。


けれど、昨日までとは違う。

切ろうとしていない。

逃げようとしていない。


莉奈は通話を切ったあと、鏡の前に立つ。

髪を整える。

薄くリップを塗る。

ワンピースに着替える。

恋人に会うみたいに。


そしてふと、自分のお腹に触れた。

もちろん、何もない。

妊娠なんてしていない。


なのに。

その嘘のおかげで、悠真はここに来る。

莉奈は鏡越しに、自分へ微笑んだ。


「大丈夫」

誰に言うでもなく呟く。

「そのうち、本当にできればいいんだから」


その目は、もう完全に壊れ始めていた

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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