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理想の夫は嘘をつく  作者: 熊猫ぱんだ


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12/16

壊れ始めた日常

「黒沢、お前ちょっと来い」


朝礼が終わった直後だった。

いつも通りパソコンを立ち上げようとしていた悠真の肩に、課長の低い声が落ちる。

空気が妙だった。

周囲が静かすぎる。

視線を感じる。


悠真はゆっくり立ち上がった。

「……はい」

会議室のドアが閉まる。

そこには課長と、人事部の男が座っていた。

テーブルの上に、数枚の紙。

悠真はそれを見た瞬間、喉がひゅっと鳴った。


写真だった。

ホテル前。

車の中。

肩を抱く姿。


そして。

病院のロビーで撮られた、奈々の母親らしき女性と悠真の写真。


「……これは?」

分かっているくせに、悠真は聞いた。

課長が苛立ったようにため息を吐く。

「こっちが聞きたいんだよ」

人事の男が淡々と口を開く。


「先週亡くなった女性について、社内で噂になっています」


亡くなった。

その言葉が、妙に重く耳に残る。

悠真は目を逸らした。

「……関係ありません」

即答だった。

反射みたいに。


「プライベートの知人です」

「知人?」

課長が写真を机に叩きつけた。

「この女、自殺する前にお前に何十件も電話してるんだぞ」

悠真の背中に汗が滲む。

知らない番号からの着信。

無視した。

ブロックした。

最後に送られてきた、“会いたい”という短いメッセージも。


全部。


「しかも遺族が、“交際トラブルがあった”って言ってる」

「……」

「会社にも連絡が来てるんだよ」


空気が重い。

息が詰まる。

悠真は口を開いた。


「別れてました」

「は?」

「もう終わってたんです。向こうが勝手に──」

そこまで言って、課長が机を叩いた。

「黒沢!!」

ビクリと肩が跳ねる。

「人が死んでんだぞ」


会議室が静まり返る。

悠真は唇を噛んだ。

自分が悪いわけじゃない。

そう思いたかった。

奈々が勝手に重くなった。


勝手に依存した。

勝手に壊れた。

なのに。

頭の奥で、泣きながら縋ってきた奈々の声が離れない。


──お願い、捨てないで。


「……現在、事実確認中ですが」

人事が冷静に続ける。

「当面、自宅待機を命じます」

「は……?」

「取引先にも話が回り始めています」

悠真の顔から血の気が引いた。


「ちょっと待ってください、それは……」

「あと」

人事が一枚の紙を差し出す。

そこには匿名メールのコピー。


“黒沢悠真は複数女性と不適切な関係を持っていました”

“亡くなった奈々さんも被害者です”

“証拠写真あります”

添付一覧。

ホテル写真。

LINE画面。


「……誰が」

喉が震える。

課長が冷たく言った。

「誰が送ったかはどうでもいい。

これが事実ということが問題だ」


会議室を出た瞬間だった。

ざわ、とフロアの空気が揺れる。


みんな知っている。

みんな見ている。

悠真は俯いたまま歩いた。

背中に刺さる視線。

ヒソヒソ声。


スマホが震えた。

莉奈だった。


『大丈夫?』

『会社、やばい?』

『会いたい』


悠真は無視した。

エレベーターに乗る。

閉まる直前、同期と目が合った。

すぐ逸らされた。


その瞬間。

初めて、悠真は理解した。

終わり始めている。

自分の人生が。


──


マンションに戻ると、美咲が玄関まで出てきた。

「え? 今日早いね」


その笑顔に、悠真は一瞬吐き気を覚えた。

まだ。

まだ美咲は何も知らない。

「……ちょっと会社でトラブル」

「大丈夫?」

「平気」


嘘だった。

平気なわけがない。

けれど悠真は笑った。

今までずっとそうしてきたように。

「少し疲れただけ」


美咲は安心したように微笑む。

その奥で。

ダイニングテーブルの上のスマホが、また震えた。

莉奈。


『ねぇ』

『なんで返事くれないの?』

『今、誰といるの?』

『会いたい』

『会いたい』

『会いたい』


悠真は舌打ちしそうになるのを堪え、スマホを伏せた。

だがその夜。

風呂から上がると、ベランダに人影が見えた。

「……は?」


カーテンを開けた瞬間、悠真の背筋が凍る。

下の道路。

街灯の下。

莉奈が立っていた。

スマホを握りしめたまま。

じっと。


悠真の部屋を見上げていた。


──


翌朝。

悠真はほとんど眠れなかった。

カーテンの隙間から差し込む朝日がやけに眩しい。

隣では、美咲が穏やかな寝息を立てている。

その光景だけ見れば、普通の家庭だった。


だが現実は違う。


会社では噂が広がり、自宅待機。

スマホには取引先からの着信。

無視しても、通知は増え続ける。


そして。

莉奈。


悠真は重くなった頭を押さえながらスマホを開く。

未読、三十七件。


『昨日なんで無視したの?』

『ねぇ』

『私、ずっと下にいたんだけど』

『寒かった』

『悠真くんはお姉ちゃんといたんだ』

『ねぇ』

『ねぇ』

『私のこと嫌いになった?』


スクロールする指が止まる。

最後のメッセージ。


『全部バラしてもいいんだよ?』

悠真の眉がぴくりと動いた。

脅し。

その二文字が頭をよぎる。


「……ふざけんな」

低く吐き捨てた瞬間、美咲が目を覚ました。

「ん……どうしたの?」

「いや、仕事の連絡」


悠真はすぐ笑った。

反射だった。


「先にシャワー浴びてくる」

美咲はまだ眠そうに頷く。

その顔を見ていると、妙に苛立った。

何も知らない顔。

信じ切っている顔。

全部壊れかけているのに。


昼過ぎ。

悠真は莉奈を呼び出した。

駅前から少し離れた人気の少ない駐車場。

莉奈は嬉しそうに駆け寄ってくる。


「会ってくれた……」

その笑顔を見た瞬間、悠真の中で何かが切れた。

「お前、何した?」

莉奈の笑みが止まる。

「え……?」

「会社に送ったの、お前だろ」

「……何のこと?」

「とぼけんな!!」


怒鳴り声が響く。

莉奈の肩がびくっと震えた。

悠真はそのまま腕を掴む。


強く。

逃がさないように。


「痛っ……!」

「俺の人生めちゃくちゃにして楽しいか?」

「ち、違っ……私は……」

「じゃあ誰があんな写真持ってんだよ!」


莉奈の目に涙が滲む。

けれど次の瞬間。

彼女は小さく笑った。


「……だって」

「は?」

「悠真くん、私のこと見てくれないから」

悠真の背筋が冷える。

莉奈は泣きながら笑っていた。


「奈々って人が死んだあとも、由奈とか、他の女とも会ってたよね」

「……」

「私だけじゃなかった」

「お前……」

「だから、もう逃げられないようにしたかったの」


その言葉に、悠真の中で怒りが爆発した。

「ふざけんな!!」

ドンッ、と鈍い音が響く。

莉奈の身体が壁に叩きつけられた。


「っ……!」

細い肩が震える。

悠真は腕を掴んだまま、顔を近づけた。


「お前のせいで全部終わるんだぞ」

「は、離して……痛い……」

「俺には家庭があるんだよ!!」


その瞬間だった。

莉奈の表情が、すっと消えた。

「……家庭?」

悠真が息を荒くする。

莉奈は潤んだ目で悠真を見上げた。


「じゃあなんで、私と寝たの?」


「……」

「なんでキスしたの?」

「……」

「なんで、好きって言ったの?」


言葉が詰まる。

莉奈は震える声で続けた。


「期待させたの、悠真くんじゃん……」


悠真は思わず視線を逸らした。

その隙を見て、莉奈がぽつりと呟く。


「ねぇ」

「……」

「私だけ見てよ」

その声は、もう以前の莉奈じゃなかった。


重い。

暗い。

縋るようで、呪うみたいだった。

悠真は掴んでいた腕を乱暴に離す。

白い肌に、赤い跡が残っていた。


莉奈はそこを押さえながら、それでも悠真から目を逸らさない。

「……最低」

「は?」

「私をこんなにしたの、悠真くんなのに」


風が吹く。

沈黙が痛いほど重かった。

悠真は舌打ちすると、そのまま背を向けた。


「もう俺に関わるな」

そう言い捨てて歩き出す。

だが。

数秒後。

後ろから、小さな笑い声が聞こえた。


悠真が振り返る。

莉奈は俯いたまま笑っていた。

壊れたみたいに。


「無理だよ……」

その声に、ぞわりと悪寒が走る。

「もう、無理なんだよ」

そして莉奈はゆっくり顔を上げた。

涙で濡れた目。

それなのに、どこか嬉しそうに笑っていた。


「だって私……」

そこで言葉を切る。

悠真が眉を寄せた瞬間。


莉奈は自分のお腹にそっと手を当てた。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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