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繋がる


 部屋の電気をつけても、すぐには落ち着かなかった。


 玄関からリビングまでの数歩が、いつもより長く感じる。


 ソファに座り、ようやく息を吐く。


 そのまましばらく動かずに、手元のスマートフォンを見つめた。


 画面を開く。


 連絡先の一覧が並ぶ。


 絵里の名前で指が止まった。


 話そうと思えば、すぐに話せる。


 でも、何をどう伝えればいいのか分からなかった。


 何も、確信できなかった。


 「何かがおかしい」としか、言葉にできなかった。


 それをそのまま渡すのは、違うと思った。


 画面を閉じる。


 代わりに、別の名前が浮かぶ。


 熊野。


 真紀のことを、最後に近い形で知っている人。


 あのとき、何があったのか。


 何かおかしいことはなかったのか。


 それを知れば、何か見える気がした。


 そう思う。


 でも、指は動かなかった。


 あの人が知っているのは過去の断片だけだ。


 今起きていることに、そのまま繋がるとは思えなかった。


 何かが違った。


 知りたいのは、過去の説明じゃない。


 今、何が起きているのかだった。


 スマートフォンを握り直す。


 通話履歴を開き、実家の番号を選ぶ。


 少しだけためらってから、発信した。


 コール音が続く。


 三回目で、母が出た。


「香帆? どうしたの」


 いつもと変わらない声だった。


「ちょっと聞きたいことがあって」


 自分でも少し固い声だと思う。


「水島って、覚えてる?」


 母は、すぐには答えなかった。


「……どうして?」


 母の声が少しだけ低くなる。


「この前、知り合いから聞いて」


 曖昧に濁す。


「もう外にいるって」


 受話器の向こうで、小さく息を吸う音がした。


「……そうみたいね」


 落ち着いた声だった。


 あまりにも自然で、逆に引っかかる。


「知ってたの?」


 そのまま聞く。


 母は少しだけ言葉を探すようにしてから答えた。


「少し前に、人づてに聞いて」


 そのすぐあとで、


「単なる噂だろ」


 父の声が重なった。


 言っていることが、噛み合っていなかった。


「どっち?」


 思わず聞き返す。


 母がわずかに言葉に詰まる。


「……はっきりしたものじゃないのよ」


 少しだけ早口だった。


「でも、そういう話があるってだけで十分でしょ」


 その言い方が引っかかる。


「誰から聞いたの?」


 静かに聞く。


 返事はすぐには来なかった。


「そういうのは、いいの」


 母が言う。


 答えになっていなかった。


「関わらない方がいい」


 同じ言葉を繰り返す。


 父が低く言う。


「もう終わったことだ」


「終わってないよ」


 思ったよりも強く言葉が出た。


「出てきてるんでしょ?」


 また沈黙が落ちる。


 今度は、さっきよりも長かった。


「……だからこそよ」


 母の声が少しだけ硬くなる。


「余計なことは考えなくていいの」


 やわらかい言い方だった。


 心配させたくないのは分かった。


 でも、スッキリしなかった。


 理由を聞こうとして、やめる。


 答えてくれないのは分かっていた。


 それに、今のやり取りで分かることもあった。


 知らなかったわけじゃない。


 知っていて、言わなかった。


 それは確かだった。


「……分かった」


 それだけ言って通話を切った。


 スマートフォンを手に持ったまま、しばらく動けなかった。


 静けさが戻る。


 さっきの会話を頭の中でなぞる。


 水島は出ている。


 両親も知っていた。


 それは変わらない。


 でも、どこかがずれている。


 人づてに聞いたと言いながら、噂だと切り捨てる。


 同じことを言っているのに、同じ意味に聞こえない。


 考えようとして、別のことが浮かぶ。


 美咲のこと。


 桐島の事故。


 拓海のこと。


 そして、真紀のこと。


 順番に浮かぶ。


 真紀。


 拓海。


 美咲。


 桐島。


 全部、香帆の近くで起きている。


 ただの偶然にしては、距離が近すぎた。


 スマートフォンを握る手に、少しだけ力が入る。


 熊野の名前が、また頭に浮かぶ。


 あのときの真紀のことを知っているのは、あの人だけだ。


 もし、あのときにも何か違和感があったなら。


 そう思う。


 でも、すぐに別の考えが浮かぶ。


 それを知ったところで、今の答えにはならない。


 指が動きかけて、止まる。


 画面を閉じる。


 今は違う、と小さく思った。


 そのとき、不意に視線を感じた。


 反射的に顔を上げる。


 何もない。


 それでも、さっきまで確かにあった気がした。


 気のせいだと自分に言い聞かせる。


 そう思えば終わる話だった。


 でも、一度意識すると消えなかった。


 見られているというより、ずっと前から見られていたような感覚だった。


 何もないはずなのに、視線だけが離れなかった。


 呼吸を整えようとしても、うまくいかなかった。


 スマートフォンを握り直す。


 何も繋がっていないはずだった。


 でも、


 すでに繋がっているような気がした。


 ただ、まだ名前がついていないだけで。


 そう思った瞬間、


 背中の奥に、冷たいものだけが残った。

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