21
拉致監禁事件、家出騒動という怒涛且つ濃い春を終えて、私と彩希は無事進級した。
退学届は、スターター先生の所で留めておいてくれた為、私はすんなりと日常に戻れた。
学校では、彩希がスターター先生に『日乃は絶対に戻るから待っていろ』、と宣戦布告かと思うような取り成しをしてくれたらしい。
有り難いけれど、あまりにも彩希らしい言い方に、思わず笑ってしまった。
卒業まで、残り一年。
燈哉さんとの契約も、残り一年になった。
騎士団、といえばやっぱり花形の職業である。その花形の職業についた人達の噂は、大人だけでなく、私達学生の元にもやってくる。
新しく入った新人とか、学校の卒業生はどこそこに配置されたとか、退役する年配の人の話とか…色々な噂が飛び交う中で、私も、驚くような噂を聞いた。
『燈哉・アスベストが、3年目で副団長になる』
『怜史・キングスレーを超える異例のスピード出世』
『燈哉・アスベストの出世は上流貴族の娘と婚約したから』
ひそひそと周りは私を見ながら噂に花を咲かせている。
そしてもう一つ。
『彩希・モーメントが、騎士団に入団した』
この嘘か真か、真偽のつきにくい噂に踊らされて、生徒達は遠巻きに、そして面白そうに私と彩希を見ていた。
彩希の噂は半分本当だった。
卒業後に入団する約束で、今現在、騎士団の独身寮に住んでいるらしい。
門限付きの割と厳しい独身寮では、マスターの所のアルバイトを続けるわけにいかないらしく、その代わりに彩希は怜史さんの小姓のようなアルバイトを始めたらしい。
本人は本当に嫌そうだった。
燈哉さんの噂は、『本人に聞け』と彩希に一蹴されてしまったので、学校で真偽はわからないままだった。
そして、その日の帰り。
最近燈哉さんは忙しいらしく、校門までお迎えには来ない。
今日も燈哉さんではなく、お迎えは我が家の車だった。
両親からは、送迎は必ず燈哉さん、若しくは自家用車、のどちらかでないとダメだという条件が出た。こちらは、私が譲歩するしかなかった。
彩希も騎士団に通い始めたし、今までのように2人で放課後どこかに行くことは極端に少なくなった。
寂しいけれど、仕方ないことだとはわかる。
まだ春を過ぎたばかりの初夏だというのに、まるで卒業に向けて皆が動き出しているようだった。
夕飯前に離れに行くと、そこには志麻さんしかいなかった。
志麻さんは相変わらずのふくふくとした柔らかい笑顔で、私を暖かく迎えてくれた。
私用に少し高いお茶を淹れてくれて、ちょっといいクッキーも出してくれた。
なんだか特別サービスをされている気がする。
「いつものお茶でいいのに」
「今日は特別ですよ。燈哉さんのお祝いにいらしたんでしょう?」
「お祝い……とは?」
誕生日じゃない。
それは違う日だから。
訝しげに尋ねると、志麻さんは口に手を当てて、目を瞬かせた。
「あら…。知ってていらしたのでは?」
「………何も知らないから来たんだけど?」
噂なら知ってる。
でも本人からは何も聞いていない。
だから真偽を確かめたくて来たのに。
本人はいないのに、周りは答えを知っている、この疎外感。
ムッとして苛立ち混じりにクッキーを齧る。
お行儀は悪いけれど、つい頬杖までついてしまった。
志麻さんは私のその子供っぽい仕草に、懐かしそうに目を細めた。
「あらあら。…じゃ、アタシから何か言うのはやめておきましょうかねぇ…」
志麻さんはのほほんと頬に手を当てる。
「こういうのは、本人が直接言いたいでしょうし。……早く帰ってくるといいですねぇ」
志麻さんの様子からは悪い話ではなさそうだ。
やっぱり昇級したのかな。
もしそうなら、喜ばしい事だから、すぐに報告してほしかったのに。
結局この日、夕飯前に燈哉さんは帰って来なかった。
翌日、車で高那さんに聞いたところによると、昨日は深夜帰りだったらしい。
高那さんは燈哉さんから口止めされているらしく、噂の真偽は翌日になってもわからないままだった。
私が燈哉さんの顔をちゃんと見たのは、離れに会いに行った日から1週間後だった。
その間、一度も会っていないわけじゃない。
離れに用事で行ったタイミングで、燈哉さんが出ていくタイミングと被って、『いってらっしゃい』『いってきます』の挨拶くらいとか、『おはよう』の一瞬だけの挨拶とか、外でちらっと会って手を振ってくれたりとか、そういう事はある。
というか、ほぼ挨拶。
え、隣人?これ、偽物とはいえ、婚約者の距離感じゃなくない?
そして、噂は更に尾ヒレをつけて、『燈哉・アスベストが公爵令嬢と婚約した』とか、『来月、副団長として国境まで遠征に行く』とか、『日乃・ホワイトと不倫している』とか、そんなレベルにまでなった。
いや、結婚してないから不倫にはならなくない?
なんなんだ、この不名誉な噂は。
そして、そんなモヤモヤを晴らすべく、私は座学の勉強に打ち込んだ。
テストも近いし、何より問題を解いている間は、それだけを考えていれば済むから。
そんな1週間後、漸く離れで燈哉さんを見つけたのだ。
急いで近付いて、声をかけようとして、やめる。
すーすーと、規則的な寝息が聞こえる。
寝ている表情は、いつもより無防備で、少しだけ年相応の幼さが見えた。
燈哉さんは、私より年上だけど、世間から見ればまだまだ若輩だ。
多分、その3年目のまだ若過ぎる出世は、多数の反感とやっかみを買っているだろう。
面と向かって聞いていないけれど、燈哉さんが出世したのはほぼ確実だろう。
ベットで寝ればいいのに、ソファーで横になっている。
ベットまで行けないくらい、忙しくて疲れているのかもしれない。
そう思うと、起こすこともできなくて、私は隣の部屋から薄手の毛布を持ってきた。
起こさないように、そっとかけて、私もソファーの下の床に座る。
ソファーに腕と顔だけ乗せて、寝顔を眺める。
私の大好きな顔面。
でもその内面を知るほどに、どんどん好きになる。
私だけの好きが大きくなるようで、本当は悔しい。
多分、卒業したら、私達の関係は終わる。
でも私のこの気持ちは卒業と同時には消えないだろう。
自分ばっかり好きでいるようで、悲しくなってきた。
ため息をついて、燈哉さんの顔を眺めている内に、私は眠ってしまったらしい。
◇◇◇
パチ、と急に意識が浮上する。
見上げた天井は騎士団の無機質なものではなく、綺麗に貼られた壁紙だ。
そういえば、離れに帰ってきたんだったと、寝ぼけた頭で思い出す。
むく、と身体を起こすと、ハラリと毛布が落ちた。
そして、その横に、小さな頭が見える。
すーすーと、小さな寝息を立てて、日乃は安らかに眠っている。
「えー……」
こんな無防備で、男と2人きりで、こいつの危機感はどうなっているのか。
安心しきった寝顔は可愛いけれど、憎たらしい。
最近、ゆっくり話せる時間がない。
日乃が1週間前に会いに来てくれたと聞いた時は嬉しかった。
だから、何とか時間を作りたかったのに。
ハロンド伯爵家の不祥事を徹底的に追及して、その事務処理と、他の雑務。
それだけでも忙しいのに、新任の副団長のポストが、こんなにややこしいとは思わなかった。ハロンド伯爵家の不祥事が昇級に繋がったからこちらを他に回すわけにもいかないのに、新しい仕事は山のようにある。
この春に昇級したのは、本当に有り難い。
それはそうだけれど、それはそれ、これはこれだ。
もともと嫌いな事務処理は倍になったし、まだ3年目の俺の言う事を聞かない部下も多い。
それを捌きつつ、怜史と、前任の副団長からふられる仕事の多いこと。
前任の副団長はまだわかる。
なんで怜史まで…と思ったけれど、『教えてやってんじゃん。これくらいできないと舐められるよ?』という言葉に、反論はできなかった。
因みに前任の副団長は、定年退職。その後、嘱託として、俺の教育係のような謎のポストについていた。退役してもなお、喰えないジジイだ。
そんな新しい環境の中、日乃に会えるのは最早究極の癒しだ。
たとえ、挨拶しかなくても。
『いってきます』『いってらっしゃい』『おはよう』、隣人としか思えない会話しかしていないけれど、顔が見れたら取り敢えずそれだけでも良しとするしかなかった。
その会いたくて堪らない、俺の期間限定の婚約者。
本当は手を出したくて堪らないし、早く本当の意味で婚約者になりたいとは思う。
でも今は駄目だ。
この、日乃に買われて、生活まで保護してもらっている今の状況。
誰がどう見ても、ヒモだ。
怜史と彩希にも『ヒモ』とばっさり言い切られたし。あの2人はオブラートに包むって事を覚えた方がいい。
「はー……人の気も知らないで」
あどけない寝顔は、可憐な少女そのものだ。
確かに他の女生徒より背も高いし、キリッとはしているかもしれない。
でもその内面は、穢れを知らない少女そのものだ。
その日乃が、寝苦しそうに身じろぎする。
床の上では確かにゆっくり休めないだろう。
日乃がかけてくれたであろう毛布を、日乃に巻き付けて、ひょいと日乃を持ち上げる。
前に持ち上げた時も思ったけれど、軽い。
ちゃんと食べてはいるだろうし、心配ないのは分かってる。
でもその軽さが、日乃の弱さと直結しているようで、俺は心配で堪らなかった。
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