16
人のいない公園か、歓楽街か。
どっちも危険なのは変わりない。
一番安心なのは家。それは分かってる。
右は公園、左は歓楽街、直進は学校。
その十路地で迷うこと数秒。
私は左に向かって進み出した。
単純に明るい方が良かったから。そして、もしかしたら彩希がいるかもしれないと思ったから。
今、腕には魔力封じの腕輪がついている。
魔法の使えない私は、身を守る術を持たないただの子供だ。
でもだからって、大人しくしている必要はない。
私にはちゃんと動く足がある。
何かを掴む為の手がある。
人に尋ねることができる声もある。
うん、大丈夫。
あの燃える火の中でも、電気に手を焼かれても、海で溺れそうになっても、生き抜けた。
あの経験は、私に、魔法が使えなくても生きていける、その確かな自信をくれた。
歓楽街へは直ぐに辿り着いた。
暗い空の下、ネオンが輝き、騒ぐ人々の声、お酒とタバコの匂いもする。
来たことのない場所に、一瞬尻込みするも、私はその中の一軒のお店に入っていった。
薄暗い店内の中は、バーカウンターと、いくつかのテーブルがある。
そのバーカウンターの奥に、彩希はいた。
カランカランとドアベルが鳴って、カウンターの男の人が私を見る。それから、彩希も口を開いた。
「いらっしゃいま…」
そこまで言ったら『せ』まで言えばいいのに。彩希はギョッとした顔をして、速攻で私の元に来た。
「なんでいる?」
「いやー………なんていうか…匿って?」
えへ、と慣れないぶりっこをしてみるけれど、彩希は私に冷ややかな視線を向けた。
「匿ってじゃねーし。お前、家出してきたの?」
私の足元を見て、彩希はため息をつく。
靴を履いていない私の靴下は既に薄汚れている。
「…ごめん」
彩希の所に来たら迷惑になるのは分かっていた。でも、他に行く所が思い当たらなかった。
彩希はもう一度深いため息をついて、私の手を引いて、カウンターの中へと戻っていった。
「マスター、今日早上がりする」
マスターと呼ばれた男性は、彩希と私を見比べて、目を瞬かせた。
「やっだー!アキアキ、友達いるんじゃなーい!」
野太い声で、可愛らしく両手を頬に当てる。
仕草と声が全く合っていない。
そういう系統の人だと、すぐにわかる。
「いないって言ってねーし!」
「えー、アキアキのお友達なら上、使っていいわよー!家出!?やだー!せいしゅーん!」
二人とも声が大きい。
店内に響く家出の言葉に、視線が集まるのがわかる。
いたたまれない…。
「あの…すみません…」
小さくなって謝ると、マスターは私を見て、意外そうに笑った。
「えー!ちゃんとしてるぅ!アキアキ、見習いなってー」
「うるせぇ!仕事しろ!」
えぇぇー…彩希は早上がりするのに…?
2人のやりとりに圧倒されていると、彩希はくるりと、お客さんの方を振り向いた。
つかつかと、一人の男性に近付いていく。
なんだか、見たことがあるような気がする。
「……なに?」
彼はニヤニヤとして彩希を座ったまま見上げた。
「騎士団に連絡しといて」
「えー?だってそれ、俺、メリットある?」
「未成年の保護は仕事だろ?」
「え、彩希ちゃん、それブーメランじゃん」
アハハハと、彼は軽い口調で言う。
そう、こんな明らかにお酒を提供するお店で働いているなんて、彩希も確実に保護対象だ。
「………ウザ。なに?どうしろって?」
「えー、どうしよっかなぁ。……あ、じゃ、今度デートしよ?」
「………分かった。死ね」
彩希が断れない事を分かっていて、わざわざ提案する辺り、相当性格が悪いと思う。
肩までの長髪、明るい茶髪、耳にはピアスが3個。チャラい。
彼は私を見ると、ひらひらと手を振った。
「またね」
手を振り返すのも違う気がして、ぺこりと頭を下げる。
彩希は彼に冷ややかな一瞥をくれて、さっさと私の手を引いて、マスターの言う二階へと進んで行った。
二階は住居なのか、ドアを開けてすぐがキッチンだった。
彩希はまるでそこに住んでいるかの如く、ソファーに座るように指示して、自分はキッチンにある冷蔵庫から炭酸のジュースを2本出してきた。
どっかりと私の横に座って、ジュースを飲みながら、新聞を広げる。まるで亭主関白な夫のようだ。でもすぐに、特に面白いものはなかったのか、新聞を閉じた。
それから、立ち上がり、どこかへ消えていった。
知らない人の家で、どうしたらいいのかわからず、彩希の消えた方を見ると、彩希は直ぐに戻ってきた。
「今風呂沸かしてるから」
「え…うん…?ここ、彩希の家だっけ?身内とか…?」
「ちげーし」
えぇぇー……違うんだ……。
でも更に驚くことに、彩希は勝手にタンスを開けて、服をポイポイとそれぞれ2着ずつ出していく。
しっかり女性用の下着とパジャマだ。
さっきの会話から、ここはマスターの家かと思ったのだけど、もしかしたら違うのかもしれない。
「これ、未使用品」
ぽいっと私に白い下着一式を投げてくる。
彩希の宣言通り、タグがついていた。
「………彩希、ここ誰の部屋?」
「あ?マスターに決まってんじゃん」
いやいやいや…。じゃあなんで女性用の下着があるんだ。彩希もどこに何があるか知っているし、勝手に取り出してるし。
「…彩希、あのマスターと付き合ってるの?」
恋人だから、下着もあるんだろうか。
私は彩希とはそういう話は殆どしたことがない。彩希も興味がなさそうだったし、勝手にそういう相手はいないと思っていたけれど、違ったのかもしれない。
でも、彩希は心底嫌そうに口をへの字に曲げた。美人が台無しの表情だ。
「バカか」
「じゃ、なんで下着があるわけ?」
「あたしが置いてったから」
益々意味がわからない。
付き合ってもない人の家に自分の下着を置くってどういうこと?
「え………セフレ…?」
「おい。お前、匿ってほしいんじゃねーの?」
「だって、心配で。彩希、へんな事されてない?大丈夫?」
もし彩希があのマスターを好きで、お互いちゃんと気持ちが合って、それで、そういう事になるなら。私個人はまだ早いと思ってしまうけれど、彩希が望んだことなら、それは私に止める権利はないと思っている。
でもそうでないなら、私の家出より優先してどうにかする必要があると思う。
「………お前のその想像力、尊敬するわ」
「彩希」
「わかったわかった。…あたしも一緒。ここ、家出する時の避難所にしてんの。まぁ、それ以外にも仕事終わりの時間によっては泊まったりしてんだけど」
「……全然知らなかった」
彩希は沢山アルバイトをしている。
私と彩希は同じ平民だけど、私達は全く逆の家庭環境と言える。
彩希は、母子家庭で、弟と妹がいる。
はっきりとは聞かないけれど、経済的にも厳しい様子だった。
魔法学校も、完全奨学生だから進学した、と前に言っていた。
タダだし、お小遣い欲しさからだと笑っていた。
そう、笑っていた。
彩希はいつだって、俯かない。理不尽にメンチを切って堂々と立ち向かう。
それが、彩希だ。
「そんなん、わざわざ言わねーし。…っていうか、風呂沸いたんじゃね?入るぞ」
彩希は私の手を引いてずんずん歩き出す。
お風呂は当然ながら1人用のもので、2人入るのは狭いと思う。
なのに、彩希はどんどん服を脱いでいく。その羞恥心のなさに、いっそ尊敬してしまう。
「早く脱げよ」
「…一緒に入るの?」
「そーだよ。だから脱いでんだろ」
彩希はポイポイ脱いだ服を当然のように洗濯機に入れる。
私は抵抗があるものの、服をそのままにするわけにもいかず、彩希に倣って洗濯機に入れた。
お風呂は暖かく、友達と入る湯船は楽しかった。
彩希の背中には火傷の跡と、魔術の刻印のようなものがあって気になったけれど、なんとなく聞けなかった。
彩希はどうでもいい話しかしなかったし、私も同じようにどうでもいい話ばかりした。
彩希のカラカラとした笑い声がお風呂に響いて、お風呂の中で、私は漸く張り詰めた緊張を解せた気がした。
彩希の用意してくれた下着とパジャマを身に着けて、2人一緒に洗面所を出る。
喉が渇いて、冷蔵庫の中を2人で覗く。
彩希は目星いものがなかったのか、下の冷凍庫から勝手にアイスを取り出して一本を私に渡す。
それを一口食べて、インターフォンが鳴った。
ガチャリとドアが開いた先に、燈哉さんがいた。
「お?ラッキースケベじゃん?」
開口一番、彩希が言い放つ。
ピシッと燈哉さんのこめかみに青筋がたった気がした。
「日乃ー。お迎え来たけど、どーする?帰んの?」
くるりとこちらを振り向く。
匿ってくれるんじゃなかった…?
ねぇ、裏切り早すぎない?
「えっと………」
どうしたらいいのかわからず、固まってしまう。
ポタリとアイスの溶けたものが落ちる音が響いた気がする。
「ふーん…」
彩希は私とアイスを見比べて、また燈哉さんに視線を戻した。
「帰りたくないって」
ぱくりと、彩希はアイスを食べながら言う。
「まだ何も言ってないだろ」
「はー?見たらわかんじゃん。空気読めよ。女子会入ってくんな」
バチバチしてる。
彩希と燈哉さんはあんまり仲が良くない。というか、険悪だ。
更に深まる険悪な関係を、自分が引き起こしていると思うといたたまれない。
その間にも、アイスはどんどん溶けていく。
「あっ、バッカ!溶けてんじゃん!もー、手、洗ってこいよ」
「え、あ、うん」
シッシッと彩希は私を追い払うように手を振る。
いやでも、ここで洗面所には行けなくない…?
「早くしろよ。床ベタベタになるじゃん」
正論。確かにそれはそう。
「…日乃」
一方で燈哉さんが名前を呼ぶ。
私を引き留めるその声に、うっ、と言葉に詰まる。
「おい。今言うなよ。床掃除、お前がすんの?」
「は?なんで俺が?」
「掃除もしない奴は黙ってろ」
ピシャリと彩希は言う。
いやまぁ、確かにそう。彩希の言う事は正論なんだけど。
タイミング、違うんじゃない…?
「日乃はさっさと手を洗え!」
ギロッと睨まれ、3度目の注意をされて、私は逃げるように洗面所に戻った。
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