第9話:一の位まで、合わせましょう
公開査定の日。
館の広間に、領民が集まった。村長のマルタ、東の村の老婆、ニコのような子どもまで。みな、これまで「お上のやること」を遠くから眺めるしかなかった人たちだ。今日は、その帳尻が、彼らの目の前で開かれる。
上座に、ヴォルフ様。その隣に、財務官としてのわたし。そして向かいに、代官バルトロト。彼は、これ見よがしに退屈そうな顔をしていた。
「では、始めます」
わたしは、帳面を開いた。母の算盤を、傍らに置いて。
「代官殿。まず確かめさせてください。この三年、あなたが領民から徴収した総額は、台帳によれば――千二百グルデン。お間違いありませんか」
「ああ、そうだとも」バルトロトは鷹揚にうなずいた。「私が、痩せた土地から、苦労して取り立てた額だ」
「ありがとうございます。では、次に。同じ三年で、領庫に納められた上納額は――九百グルデン。こちらも、お認めになりますか」
「認める。残りの三百は、徴収の手間賃や、徴収人の給金、倉の費えだ。当然の経費だよ」
「なるほど。手間賃と給金と、倉の費えで、三百グルデン」わたしは静かに復唱した。「では、その内訳を、一つずつ拝見しましょう」
バルトロトの眉が、わずかに動いた。
「徴収人は、四人。三年分の給金は、台帳ではここ――合わせて、四十グルデン。倉の修繕と運搬の費えが、三十グルデン。手間賃の規定は、徴収額の一割ですから、百二十グルデン」
わたしは、母の算盤に指を置いた。ぱちん。ぱちん。玉が並ぶ。
「四十、足す三十、足す百二十。――合わせて、百九十グルデン」
広間が、しんとした。
「代官殿。あなたの経費は、ご自分の説明によれば、百九十グルデン。けれど、領庫から消えた差額は、三百グルデン。――百十グルデンが、合いません」
「そ、それは……端数の積み重ねだ。細かいことを、いちいち」
「端数」わたしは、つと顔を上げた。「百十グルデンは、端数ですか。この領の領民の、十数人分の年収が?」
老婆が、ひゅっと息を呑む音がした。
「細かいことだと、おっしゃいました。では、もっと細かく、まいりましょう」
わたしは、別の帳面を開いた。今度は、村人が結んでくれた藁紐から起こした、本当の徴収量だ。
「東の村。台帳では、今季の徴収は八十袋。麦の相場で、銀貨にして十六グルデン。――けれど」
わたしは、老婆のほうを見た。老婆が、震える手で藁紐を掲げる。
「実際に持っていかれたのは、百十袋。二十二グルデン分。差は、六グルデン。たった一つの村の、たった一季で、六グルデン。これが、十二の村で、三年続けば」
ぱちん、と算盤が鳴った。
「二百グルデンを、超えます。――これが、領庫にも、あなたの言う経費にも、どこにも現れていない。取った記録すら、消されている」
「で、でたらめだ!」
バルトロトが、椅子を蹴って立ち上がった。さっきまでの余裕は、跡形もない。
「そんな帳簿、どこにある! 婆の藁紐ごときが、証拠になるか! 私は王国から任じられた代官だぞ!」
「藁紐は、証拠にはなりません」わたしはうなずいた。「けれど、藁紐と、村人の証言と、あなた自身が今ここで認めた数字――この三つが、一つの方向を指したとき。それは、もう、ただの紐ではありません」
わたしは、三冊の帳面を、彼の前に並べた。表向きの台帳。藁紐の写し。そして、詰所から見つけた、二冊目の控え。
「代官殿。数字は、声を荒げません。けれど、嘘もつきません。――あなたが今、声を荒げているのは、数字が、もう、あなたの味方ではないからです」
バルトロトの顔から、血の気が引いていく。彼は、何か言おうとして、口を開け、また閉じた。反論の言葉を、探している。けれど、見つからない。数字には、言い返せない。
広間の領民たちが、ざわめき始めた。怒りでも、歓声でもない。長いあいだ「仕方のないこと」と諦めてきた搾取に、初めて、名前と数字がついた。その、静かな衝撃のざわめきだった。
ヴォルフ様が、低く言った。
「ライゼンタール殿。続けてくれ」
「はい」
わたしは、最後の帳面――二冊目の控えに、指を置いた。そこには、まだ、開いていない頁がある。バルトロトの懐に入った金が、その先、どこへ流れたか。「賦課・追加分」と、ファルケの署名。
(さあ、代官殿。一の位まで、合わせましょう)
(あなたの帳尻も。――その上にいる、お方の帳尻も)
お読みいただきありがとうございます! 公開査定、開幕です。声も荒げず、ただ一行ずつ、数字で逃げ場を塞いでいくエルナ。百九十と三百の差。八十袋と百十袋の差。――端数だと言い張った男の足元が、音もなく崩れていきます。
「で、でたらめだ!」と叫ぶしかなくなったバルトロト。けれど、本当の決着は、まだ開かれていない最後の一頁にあります。次回、第10話。代官罷免、そして――「黒字にできない人は、退場です」。この区間、最大の見せ場です。どうか見届けてください。
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