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第83話:買えないものの、目録

ブラント商会の一行は、三日、館に滞在した。三日のあいだ、わたしは、ほとんど、ものを書いていた。


書いていたのは、あの人が買ったものの目録だ。宿、六軒。倉、四棟。市の敷地、一区画。畑の地代の権、二十三戸。


それから、この三日で新しく増えた分。街道脇の空き地、二か所。旧い水車小屋、一つ。


「――財務官様。それを書いて、どうなさいます」


ギードが、覗き込んで言った。


「取り返せるわけでも、ございますまい」


「取り返しません」


わたしは、筆を止めなかった。


「取り返す帳は、去年で終わりました」


「では」


「――数えているのは、こちらの側です」


わたしは、その紙を裏返した。裏は、まだ、白い。


「この方が買えなかったものを、数えます」


*


一つ目は、すぐに出た。交易路の歩合の権だ。


一昨年、ヴェント領との交易を通したとき、わたしは、通行権の一括買取五百グルデンを蹴った。歩合にした。あのとき、五百グルデンは喉から手が出るほど欲しかった。


「――あれを売っていたら、いま、この権は、ブラント商会のものです」


「なんと」


「一度売った権は、次の持ち主が誰になるかを、こちらが決められません。……歩合は、領のものです。売っていないから、いまも」


わたしは、裏の紙に、一行目を書いた。


――交易路の歩合。領のもの。売っていない。


*


二つ目は、二日目の午後に出た。きっかけは、市だった。わたしは、月に一度の読み上げの市を、見に行った。


台の上に立ったのは、今月はヨストさんだ。太い声で、辿々しく、それでも最後まで読み上げた。


「――麦、千二百俵! 去年より、六十俵、多い!」


「掛ける、二十分の一!」


前のほうで、村の子が、いっしょに数を言っている。わたしは、その光景を、少し離れて見ていた。そして、気づいた。


(――この市は、買えないわ)


宿は買える。倉も買える。地代の権も、市の敷地も買える。


この、月に一度、広場に人が集まって、自分たちの税の額を声に出して確かめる時間は――誰にも買えない。


法が定めているからだ。法は、売り物ではない。わたしは、その晩、二行目を書いた。


――読み上げの市。法の定め。売れない。


読み上げが終わったあと、台の下で、ヨストさんが、汗を拭っていた。


「――財務官様。えらい、緊張しますな、あれは」


「立派でしたよ」


「へえ。……ですが、わし、一つ、うれしいことがありましてな」


その人は、太い指で、台を指した。


「うちの村の若いのが、来年はおれが読む、と言いよりました」


「まあ」


「あれは、字が読めます。わしより、ずっと。……なのに、いままで、一度も、税の紙を見たことがなかったんです」


わたしは、その言葉を、しばらく考えていた。字が読める人でも、見せられなければ、読まない。


読まない紙は、無いのと同じだ。


(――この市は、字の読めない人のためだけの市では、なかったのね)


*


三つ目が、いちばん時間がかかった。三日目の朝、わたしは、帳所へ行った。


ゲオルクが、板の前で、算定の式の話をしていた。テオドールが、いちばん後ろで、必死に写している。ニコとヤンが、隅で、明日の順番を言い合っている。


四十一人。いや、いまは、五十二人。わたしは、扉のところで、それを見ていた。


(この人たちは)


ブラント商会は、二千グルデン入れた。宿も倉も建った。けれど、あの人は、この五十二人を、買っていない。


買えないからだ。


宿は、金を払えば、翌日から自分のものになる。帳をつける腕は、金を払っても、翌日には身につかない。


半年かかる。一年かかる。ヨストさんは、玉を鳴らすまでに、三日かかった。式を読むまでに、半年かかった。


そして――身につけたものは、その人から、剥がせない。土地は、売れば、手元から消える。


腕は、教えても、手元に残る。それどころか、教えるたびに、増える。


(――これだわ)


わたしは、館へ駆け戻って、三行目を書いた。


――帳をつける腕。人の中にある。買えない。


*


その紙を、わたしは、その晩、ヴォルフ様に見せた。たった三行の目録だ。


「……これだけか」


「これだけです」


ヴォルフ様は、その三行を、しばらく睨んでいた。この人が字を読むときは、いつも、少し時間がかかる。急かしてはいけない。


「エルナ」


「はい」


「――一つ、聞いていいか」


「どうぞ」


「この三つは、あの商人が買えんのだな」


「はい」


「では、この三つが、いま、この領にいくつある」


わたしは、その問いに、答えようとして――止まった。


(――いくつ)


交易路の歩合は、一つ。読み上げの市は、村の数だけ。この領で、九つ。帳をつける腕は――五十二。


「……交易が一つ、市が九つ、腕が五十二です」


「宿は、六軒だな」


「はい」


「倉が四つ。地代が二十三戸ぶん」


ヴォルフ様は、指を折って、数えた。そして、こう言った。


「――なら、増やせばいい」


わたしは、顔を上げた。


「買われんものを、あっちが買える速さより、速く増やせばいい。……それだけだろう」


*


わたしは、しばらく、この人の顔を見ていた。それから、笑ってしまった。


「……何が、おかしい」


「いいえ。……ヴォルフ様、それは、投資回収の話です」


「投資、なんだ?」


「元手を入れて、返してもらう話です。一昨年、わたしがこの館で、あなたに最初にした話」


「――ああ。あれか」


この人は、腕を組んだ。


「あのとき、俺は、意味が分からなかった」


「ええ。帳面を、逆さに持っておられました」


「いまは、持っていない」


「――ええ」


わたしは、その三行の紙を、両手で持った。一昨年、わたしは、この領の休耕地に元手を入れた。


いま、入れるべき元手は、土地ではない。


(――買えないものを、増やす)


商会は、金で、この土地の物を買っていく。こちらは、時間で、この土地の人を増やす。金は速い。時間は遅い。


けれど、時間で作ったものは、金では、剥がせない。


「ヴォルフ様。帳所を、大きくします」


「うむ」


「席を、百に。教え手を、五人に」


「金は」


「今年の余りから、二百グルデン」


ヴォルフ様の眉が、上がった。


「――去年より、多いぞ」


「多いです」


「治水は」


「一年、待たせます」


わたしは、はっきり言った。


「一昨年なら、逆にしました。あのときは、堤が切れたら村が沈みましたから。……いまは、堤より、こちらが先です」


「なぜだ」


「――速さです」


わたしは、机の上の三行を、指した。


「宿は、金があれば、明日にでも建ちます。腕は、半年かかります。……向こうが速いほうを買っているあいだに、こちらは、遅いほうを積むしかありません」


ヴォルフ様は、しばらく考えて、うなずいた。


「分かった。堤は、俺が村に頭を下げに行く」


「……ヴォルフ様が?」


「俺の領だ」


この人は、こともなげに言った。


「待たせるときは、待たせる側が、行くものだ」


「――そして、地代の話を、もう一つ」


わたしは、机の上の、あの大きな紙を引き寄せた。左に「領の総額」、右に「一人あたりの手取り」と書いた紙だ。


右側が、まだ、薄い。


「あの方は、法を一つも破っていません。……ですから、破らせるのではなく、書かせます」

第83話、お読みいただきありがとうございます!


買われたものではなく、買われなかったものを数える回でした。三行しか出ませんが、その三行が、この第三部の答えです。土地は売れば手元から消えますが、腕は、教えても手元に残り、教えるたびに増えます。そして、それを「なら、増やせばいい」と一言でまとめるのは、一昨年、投資という言葉が分からなかった人です。帳面は、もう逆さに持っていません。


次回・第84話「地代を、算定書式で」。法を破らせるのではなく、書かせます。


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