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第82話:私は、法を一つも破っておりません

ラウレンツ・ブラントは、館の広間に通されると、まず、天井を見上げた。


「――良い梁でございますな」


「古いだけです」


「いいえ。古いから、良いのです。この太さの樫は、いま王都では手に入りません」


嫌味ではなかった。本当に感心している声だった。腰を下ろすと、その人は、自分から名乗り直した。


「ブラント商会は、王都と、南の四領に店を持っております。扱いは、穀と、布と、それから――土地でございます」


「土地」


「はい。隠しても、すぐお分かりになりましょうから」


わたしは、思わず、この人の顔を見た。


(――先に、言うのね)


*


「宿を六軒、倉を四棟、市の敷地。それから、畑の地代の権を、二十三戸ぶん」


ブラントは、指を折って数えた。


「元手として、二千グルデンほど入れております。この一年で」


「――二千」


わたしは、口の中で、その数を転がした。


この領の年の賦課が、四百グルデンだ。その五年ぶんが、一年で、この土地に入っている。


「ずいぶん、思い切った額ですね」


「思い切ってはおりません。堅い商いでございます」


その人は、あっさり言った。


「一昨年まで、この土地は、逃散が出ておりました。いまは、人が入ってきております。交易路が生きて、法が変わって、賦課が半分になった。……上がる土地です。誰が見ても」


「――誰が見ても」


「はい。見ていなかった者が、遅かっただけでございます」


この人が持ってきた九台の荷は、贈り物ではなかった。


半分は、南の領の穀。半分は、布と、鉄と、それから――窓に使う板硝子だった。


「板硝子でございます」


ブラントは、そのうちの一枚を、丁寧に外套の袖で拭いて、光にかざした。


「王都では、宿にこれを入れるのが、当たり前になりました。冬でも、昼のうちは蝋燭が要りません」


(――蝋燭が、要らない)


夏に、大工の棟梁が、同じことを言った。窓を四つ増やしましたで、と。この人は、それを、金で買ってくる。


「――ご入り用ではございませんか。あの、東の学び舎に」


「……お聞きに?」


「参りますとも。この土地の話は、王都の商人のあいだで、いちばんの話題でございます」


ブラントは、板硝子を、そっと戻した。


「四十人の子と大人が、板の前で玉を鳴らしている。……あれは、いずれ、この領のいちばん大きな元手になりましょう」


わたしは、そのとき、初めて、この人に、少しだけ好意を持った。好意を持ったことを、あとで、ずいぶん悔やむことになる。


*


わたしは、そこで、単刀直入に聞いた。


「ブラント様。麦の値が、五割上がりました」


「上がりましたな」


「豆が四割、地代が一・五倍。宿代が倍です」


「はい」


「――なぜだと、お考えですか」


ブラントは、少しも慌てなかった。むしろ、待っていた質問が来た、という顔をした。


「人が増えたからでございます」


「それだけですか」


「それだけでございます」


その人は、湯呑みを置いた。


「財務官様。値というのは、欲しい人の数と、ある物の数で決まります。この土地は、去年より人が三割増えました。麦の量は、豊作でも一割増しでございます。……三割の口に、一割の麦。上がらぬほうが、おかしゅうございましょう」


正しい。


腹が立つほど、正しい。


「では、あなたが買い集められたことは、値と関わりが」


「ございます」


即答だった。


「わたくしどもが宿を建てたので、人が来やすくなりました。倉を建てたので、よその領から穀が入るようになりました。人が来て、物が動けば、値は動きます。……ええ、わたくしのせいでございます」


(――認めるのね)


「そして、値が上がったので、わたくしどもは、儲かっております」


*


わたしは、しばらく、この人を見ていた。


バルトロトは、隠した。ローデリヒは、作った。オイゲンは、運んだ。ロートヴァインは、すり替えた。ヴァルデマールは――付け替えた。


この人は、全部、認める。


「ブラント様。うちの領の、あるお百姓の話をいたします」


わたしは、ヴェルナーさんの家の数字を、そのまま並べた。売った麦、二十グルデン増。豆と油で、十二グルデン減。


地代で、九グルデン減。差し引き、一グルデン、去年より、暮らしが薄い。


「――豊作だったのに、です」


ブラントは、黙って聞いていた。聞き終えて、真面目な顔で、うなずいた。


「お気の毒でございます」


「それだけですか」


「――どのようにお答えすれば、よろしいでしょうか」


その人は、初めて、こちらへ体を向けた。


「わたくしは、その方の地代を上げました。上げる権を、金を払って買いました。売ったのは、この領の村でございます。売買は、法にかなっております」


「――ええ」


「麦の値は、わたくしが決めておりません。市が決めております。買い占めもしておりません。うちの倉の麦は、いつでも売っております」


「存じています」


「調べられましたな」


「調べました」


ブラントは、初めて、少し笑った。


「――では、財務官様。わたくしは、法を、どこで破っておりましょう」


*


わたしは、答えられなかった。答えは、一つしかない。どこでも破っていない。


「――破って、おられません」


「はい」


「一つも」


「一つも」


その人は、また、あの笑っている目に戻った。


「財務官様。わたくしは、この土地が好きでございます。世辞ではございません。二年で、逃散の出た領が、人の来る領になった。……こういう土地に元手を入れるのが、商人の、いちばん面白いところでございます」


「――豊かにしている、と」


「しております。実際に」


これも、正しい。


宿が建った。倉が建った。街道の脇に店が並んだ。よその領から人が来て、村の若い衆が、そこで働いている。


一昨年、この土地には、働き口がなかった。


「ブラント様。……働き口は、増えました」


「増えました」


「ですが、増えた働き口は、全部、あなたのものです」


「――そうなりますな」


その人は、否定しなかった。


「宿も、倉も、市の敷地も、あなたのもの。村の若い衆は、そこで働きます。日当をいただきます。……そして、地代を、あなたに払います」


「はい」


「一昨年、この村の人は、貧しかったけれど、自分の畑の主でした」


わたしは、そう言った。


「いまは、豊かな土地の、雇われる側です」


*


ラウレンツ・ブラントは、そこで、初めて、姿勢を正した。


「――財務官様。一つ、申し上げてもよろしいですか」


「どうぞ」


「あなた様は、一昨年、この領に、賦課の設計をなさいました」


「――はい」


「休耕地を起こし、交易権を歩合に変え、余りを治水と街道に配られた。……あれは、みごとな設計でございました。わたくしは、あの噂を聞いて、この土地に目をつけたのでございます」


(――ああ)


胸の奥が、冷たくなった。


「あなた様は、この土地を、上がる土地に設計なさった。わたくしは、その設計図を読んで、元手を入れた」


その人は、まっすぐこちらを見た。


「あなたも、わたくしと同じことをしておられます。豊かにするために、設計しておいでです。……違いは、たった一つ」


湯呑みの中の湯が、少し、揺れた。


「――誰の帳簿に、載せるか、だけでございます」

何も隠さない敵が来ました。


ブラントは、買ったことも、値が上がったことも、自分が儲かっていることも、全部、自分から言います。法は一つも破っていません。しかも、宿と倉と働き口を、本当に持ってきています。この人が最後に言うことは、エルナがいちばん言われたくないことでした。彼女がこの土地を「上がる土地」に設計したから、この人は来たのです。


次回・第83話「買えないものの、目録」。買われなかったものを、数えます。


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