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第75話:小僧の帳など

最初の手紙は、五日目に届いた。


宿の主に頼んで、辺境へ向かう荷馬車に託したものらしい。折り目が四つついていて、隅が少し濡れていた。


字は、拙い。


『おねえちゃんへ


 みちは さむいです。ハーゲンどのは、うまのうえで ねます。ほんとうです。


 みっつのりょうを まわりました。よみあげは、ぜんぶ ありました。いつ・どこで・だれが、ぜんぶ いえました。よっつめも ききました。


 ひとつめのむらのひとは、「たかいけど、なっとくした」と いっていました。


 ニコ』


わたしは、その一枚を、二度読んで、それから机の引き出しにしまった。


(――四つ目を、ちゃんと聞いているわ)


「たかいけど、納得した」。


これは、算定書の欄には、絶対に書けない一行だ。


*


二通目は、八日目に来た。


『おねえちゃんへ


 アイヒベルクに つきました。


 もんで、とめられました。


 ハーゲンどのが「けんぶんしだ」といったら、なかへ いれてくれました。


 でも、おいらは、はいれませんでした。


 「けんぶんしどのは どちらか」と きかれて、「おいらが じょしゅです」と いったら、「かえれ」と いわれました。


 いえのひとが、けらいのひとに、そう いいなさいと いっていました。


 こぞうの ちょう など、と いっていました。


 ニコ』


わたしは、その手紙を、しばらく持っていた。指が、少し、震えていたと思う。


(――こぞうの、ちょうなど)


家令が言ったのか、女伯が言ったのか。手紙の書き方からすると、この子は、その言葉を、廊下の向こうから聞いている。


つまり、面と向かって言われたのではない。


(そのほうが、たちが悪いわ)


「奥方様」


ギードが、そっと戸口に立った。


「……ご返事を、お出しになりますか」


「――いいえ」


わたしは、手紙を、机に置いた。


「まだ、途中ですから」


*


三通目は、十日目に来た。その手紙は、いちばん長かった。


『おねえちゃんへ


 おいらは、かえりませんでした。


 ハーゲンどのに、なかで まってろと いわれたけど、まってても なんにも きけないので、そとへ でました。


 むらの ひろばに いきました。


 ひろばに、たかふだが ありました。ことしの さんていしょが はってありました。ちゃんと はってありました。


 でも、だれも みていませんでした。


 おばさんに ききました。「これ、なんて かいてあるか しってますか」


 おばさんは 「しらない」と いいました。


 おいらは、「よみましょうか」と いいました。


 おばさんは 「よめるの」と いいました。


 おいらは、よみました。


 こえが ちいさいと おこられたので、いしの うえに のりました。


 ニコ』


わたしは、そこで、手紙を持つ手を、下ろした。


石の上に、乗った。


(――誰も、頼んでいないのに)


わたしは、この子に、読み上げをしなさいとは、一言も言っていない。


役目は三つだと言った。数を数える。聞いたことを、そのまま書く。村の人と話す。読み上げは、その三つに、入っていない。


*


『はじめは、おばさん、ひとり でした。


 みっつめの らんまで よんだら、よにんに なりました。


 しきの らんで、みんな わかんない かおを したので、おいらは、えを かきました。ゆかに、ぼうで。


 たまを にじゅっこ かいて、ひとつ ぬりました。


 そしたら、うしろの じいさんが、「そんだけか」と いいました。


 おいらは、「そんだけです」と いいました。


 じいさんは、「そんだけなら、はらう」と いいました。


 しばらくして、じいさんは、こう いいました。


 「わしは、ろくじゅうねん、いくら はらってるのか しらんかった」


 ニコ』


わたしは、その一行を、三度、読んだ。


六十年。


(――この人は、六十年、自分がいくら払っているか、知らなかった)


アイヒベルクの算定書は、完璧だ。欄は一つも空いていない。式は、子供でも検算できる。署名は、同じ日付。


紙の上では、あの領は、王国でいちばん法を守っている領の一つだ。


その領の広場で、六十年払い続けた人が、自分の払っている額を、初めて知った。


八つの子が、床に棒で、玉を二十個描いたから。


*


『そのあと、ひとが ふえて、さんじゅうにんくらいに なりました。


 いえの ひとが きて、「なにを している」と いいました。


 おいらは、「よみあげです」と いいました。


 いえの ひとは、「かってな ことを するな」と いいました。


 そしたら、じいさんが、「かってじゃない。わしが たのんだ」と いいました。


 おばさんも、「あたしも たのんだ」と いいました。


 いえの ひとは、かえりました。


 おいら、あした も よみます。


 ニコ』


手紙は、そこで終わっていた。


追伸が、一行。


『えは、まだ、あのひとに みせていません』


*


その日の夕方、わたしは、三通目を帳所へ持っていった。


読み上げたのは、リーゼだ。手紙の読み上げは、わたしより、この子のほうが上手い。


「――『こえが ちいさいと おこられたので、いしの うえに のりました』」


四十一人が、しん、と聞いていた。そのあと、いちばん先に口を開いたのは、ヤンだった。


「……ニコ、石の上に乗ったのか」


「そう書いてある」


「あいつ、背が低いから、乗っても、たぶん、大人と同じくらいだ」


ヤンは、そう言って、そのまま、黙った。しばらくして、また、ぼそりと言った。


「……おれは、乗らないと思います」


「そう?」


「はい。おれなら、帰ってきます。門で追い返されたら、それは、追い返されたってことなので」


「――ええ。それも、間違っていないわ」


わたしは、正直に答えた。


「役目は三つ、と言って出しました。読み上げは、その三つに入っていません。……あの子は、役目の外へ出たの」


「怒らないんですか」


「怒れないわ」


わたしは、手紙を、机に置いた。


「役目の中しかやらない人ばかりだったら、この帳所は、いまごろ、まだ納屋のままです」


ヨストさんが、後ろのほうで、太い声を出した。


「財務官様。……わし、ちいと、悔しいですな」


「なぜ?」


「あの坊主は、よその村の広場で、読んどるんでしょう。わしは、自分の村でも、まだ読んどらん」


広間が、笑いに揺れた。


「――では、次の市で、読んでください」


「わしがですか。字は、まだ半分も」


「玉なら、読めます」


わたしは、ニコが置いていった絵の算定書を、その人の前に置いた。


「これを、そのまま声にしてくださればいいのです」


*


わたしは、その三通を、机の上に並べた。拙い字。仮名ばかり。折り目の濡れた紙。


そこに書いてあるのは、わたしが教えたことでは、なかった。いつ・どこで・だれが。それは、教えた。


四つ目を聞くことは、この子が自分で足した。


石の上に乗ることも、床に棒で玉を描くことも、明日も読むと決めることも――わたしは、一つも教えていない。


(――教えたことは、一つも書いていないわ)


わたしは、笑ってしまった。笑いながら、目の奥が、熱かった。


「――ギード」


「はい」


「返事を、書きます」


「ようやくでございますな。なんと」


わたしは、筆を取った。そして、たった二行だけ、書いた。


『ニコへ


 いつ・どこで・だれが。それから、なんと言っていたか。


 あなたの読み上げも、そのとおりに、帳につけておきなさい。


 ――それは、あなたの帳です。


 エルナ』


*


その夜、わたしは寝台に入ってから、ふと、思い出した。去年の春、この子に、初めてそろばんを触らせた日のこと。


「おねえちゃん、その玉っころ、どうやって使うの」


あのとき、わたしは、玉の名前と、桁の意味を、順序立てて説明した。


この子は、半分も聞いていなかった。ただ、指で、勝手にぱちぱちやっていた。


(――あのときから、この子は、こうだったのね)


説明を待たずに、触る。触ってから、聞く。わたしが二十を過ぎても身につかなかったやり方を、この子は、八つで持っている。


隣で、ヴォルフ様が、寝返りを打った。


「……何を笑っている」


「弟子の、自慢話です」


「そうか」


この人は、それだけ言って、また、眠った。


それから、少しして。


暗がりで、大きな手が、わたしの手を探して、見つけて、そのまま止まった。眠ったままだ。


わたしは、これを覚えの帳に書くかどうか、しばらく迷った。

主人公が一度も出てこない土地の話を、拙い字の手紙だけで運びました。


ニコが自分で足したのは、四つ目の問いと、石の上と、床の棒です。エルナはどれも教えていません。そして、完璧な算定書を出している領の広場で、六十年払い続けた人が、初めて自分の額を知ります。紙の上では、あの領は法を守っています。守っているのに、届いていない。


次回・第76話「豊かな辺境の、高い麦」。留守のあいだに、こちらの市が、おかしくなっています。


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