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第5話:眠っている畑と、眠っている権利

それから三日、わたしは館に籠もって、棚卸しをした。


棚卸し――母に教わった言葉だ。何を持っているのか、一つ残らず数え上げること。商家では、年に一度、棚の品をすべて並べて勘定したのだという。


辺境伯領にも、棚はある。ただ、誰も中を覗いていないだけだ。


(この領は、貧しいんじゃない。持っているものを、忘れているだけ)


古い権利証の束を、わたしは一枚ずつめくっていった。色褪せた羊皮紙。読めなくなった署名。その中に、二つ、目を引くものがあった。


一つは、北の休耕地。逃散で打ち捨てられた、あの畝の跡が残る斜面。台帳の上では「不毛・徴税対象外」と記されている。けれど、灌漑の水路は今も生きている。土も死んでいない。手を入れれば、麦が戻る土地だ。


そしてもう一つ。


「ギード様。この『灰の境街道、通行権』というのは?」


色の褪せた一枚を、わたしは差し出した。ギードが目を細める。


「ああ……旧街道のことか。先代の、そのまた先代の頃には、あの道を通って隣領と塩や鉄を商っておったらしい。だが、灰の境の魔物が出るようになって、誰も通らなくなった。もう、ただの古証文さ」


「通行権は、まだ生きていますか」


「生きてはおる。料金を取る権利も、辺境伯のものだ。……だが、通る者がおらんでは、絵に描いた餅だろう」


絵に描いた餅。――わたしは、その言葉を書きとめた。


(描いてあるだけ、まだいい。描き直せばいいんだから)


休耕地と、通行権。どちらも、台帳には「価値なし」と書かれている。けれど、それは「今は使われていない」というだけのこと。


「ギード様。これを、死蔵と言います」


「しぞう?」


「使われずに、眠っている財産のことです。蔵の奥で埃をかぶった宝。――赤字の帳簿には、必ず、こういう眠った富が隠れています。誰も使っていないから、誰も価値に気づかない。けれど、起こしてやれば」


そろばんの玉を、わたしはそっと撫でた。


「ちゃんと、働きはじめます」


その時、廊下が騒がしくなった。


扉が、乱暴に開く。立っていたのは、肥えた、脂ぎった顔の男だった。仕立てのいい上着。指には、辺境には不似合いな金の指輪。


「これはこれは。噂の、令嬢徴税官殿か」


声に、隠しきれない侮りがあった。問うまでもない。


(代官、バルトロト)


「徴税代官のバルトロトだ」男は、ねっとりと笑った。「困りますな。私に一言の相談もなく、徴税の触れを変えられては。徴税は、私の管轄でしてね」


「ご挨拶が遅れ、失礼しました」わたしは淑女の礼をした。「ちょうど、代官殿にお尋ねしたいことがあったのです。お手間が省けました」


「ほう?」


「過去五年の、徴収台帳を拝見しました。徴収額は年々増えているのに、領庫への上納額は、ほとんど変わっていません。増えた分は、どちらへ?」


バルトロトの笑みが、ほんの一瞬、固まった。


「……欠損だよ。輸送の途中で穀物は傷む。銀貨は目減りする。田舎の道は険しいのでね。令嬢様には、わからんだろうが」


「五年間、毎年きっかり同じ割合で目減りする欠損、ですか」わたしは静かに言った。「不思議ですね。天災は、年によって違うはずなのに。――まるで、誰かが決めた額を、毎年同じだけ抜いているみたいです」


部屋の空気が、ぴんと張りつめた。ギードが、息をのむのがわかった。


バルトロトの脂ぎった顔が、見る間に赤黒く染まっていく。


「……小娘が」


低い、押し殺した声だった。


「いいか。徴税は、男の仕事だ。代々、代官の私が取り仕切ってきた。帳面の付け方も、欠損の見方も、すべて私が決める。お前のような、王都を追い出された小娘が、帳面ごっこで口を出していい場所ではない」


彼は、一歩、詰め寄った。


「徴税は、私の管轄だ。二度と、首を突っ込むな」


恫喝。けれど、わたしは退かなかった。退く理由が、一つもない。


「申し訳ありません。わたしは、辺境伯に任じられた徴税官です」声は震えなかった。「帳面を見るのが、仕事なんです。――それに、代官殿」


わたしは、北の休耕地の権利証を、卓に置いた。


「この領には、まだ使われていない財産がいくつもあります。休耕地、旧街道の通行権。死蔵された富です。これを起こせば、誰の懐も痛めずに、領は潤う。あなたの言う『欠損』に頼らなくても、ね」


バルトロトの目に、はじめて、侮りとは違う色がよぎった。


(……怯えたわね)


それは、自分の手の内を覗かれた者の目だった。彼は何かを隠している。そして、その何かは――この辺境の代官一人で抱えるには、おそらく、大きすぎる。


(あなたの背中に、誰がいるのかしら)


「……覚えておけ」


吐き捨てて、バルトロトは部屋を出ていった。重い足音が、廊下の奥へ消える。


ギードが、ふう、と長い息をついた。


「令嬢様。……あんた、肝が据わっとるな。あの男に、あそこまで言う者は、長いこと、おらんかった」


「事実を言っただけです」わたしは権利証をまとめた。「さあ、ギード様。眠っている畑を、起こしましょう。あの斜面、来季には麦を戻します」


窓の外、北の休耕地の方角に、夕日が落ちていく。


荒れ地の雑草が、金色に光って揺れていた。


(眠っているものは、起こせばいい。畑も、権利も――)


そろばんを、わたしは握った。


(この辺境の、本当の価値も、ね)


お読みいただきありがとうございます! 「死蔵」――眠っている財産を起こす、というエルナの再建術が動き出しました。休耕地と、忘れられた街道の通行権。この二つが、後の大きな鍵になります。


そして、ついに代官バルトロトが本人の姿で登場! 「徴税は私の管轄だ、小娘が」――縦軸の対決に、火がつきました。彼の背中に隠れている「誰か」とは……?


次回は、剣は強いが算術にめっぽう弱い辺境伯ヴォルフの、ある過去のお話です。面白いと思っていただけたら、ブックマーク・★評価で応援していただけると、とても励みになります!


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