第39話:再査定、受けて立ちます
期日は、公文書で来た。
『特別賦課にかかる検め直しの審を、十日ののち、グラウフェルト辺境伯領の広場にて執り行う。立会いは、王国検分使ハーゲン。審は、公開とする』
公開。その二文字を、わたしは、指先でなぞった。
かつて、バルトロトを罷免に追い込んだ公開査定も、ローデリヒを失墜させた公開監査も、あの広場だった。数字の戦いは、衆目の前でやる。それが、いつのまにか、この領の流儀になっている。
(三度目も、あの広場。……縁起は、悪くないわね)
審の五日前、規程に基づいて請求しておいた書類が、届いた。財務院側が審に出す、戸別査定の記録の写し。つまり、向こうの手札だ。
その夜から、執務室は、夜なべの検分所になった。
長机に、蝋燭を三本。財務院の査定記録を真ん中に、右にわたしたちの帳簿の写し、左に村々の受け払いの控え。わたしと、ギードと、ニコたち弟子が、囲む。
「いい、みんな。読み方を教えるわね」
わたしは、最初の頁を開いた。
「二つの帳面を並べて、同じことが、同じ数字で書かれているかを、一行ずつ確かめていく。……これを、突き合わせ、と言います。帳簿の検めの、いちばん地味で、いちばん強い技よ」
「じみー」と、ニコ。
「地味よ。でもね、嘘というものは、必ず、二冊の帳面の間に落ちるの。一冊の中では、嘘は綺麗に化粧していられる。二冊並べられた瞬間、化粧が剥がれる」
突き合わせは、二晩目に入った。
査定記録は、さすがに、オイゲンの仕事だった。戸数も、名前も、検めた順序も、寸分違わない。数字も、ほとんどの行で、こちらの控えと一致する。
――ほとんどの、行で。
「……お姉ちゃん」
夜半、ニコが、ぴたりと手を止めた。
「これ、変だよ」
小さな指が、査定記録の一行を、押さえていた。
『ヴェルナー戸。麦、二十一俵』
「ヴェルナーんとこの麦、十二俵だよ。おいら、査定の日、役人さんの横で一緒に数えたもん。十二俵で、玉も弾いた。ぜったい、ぜったい、十二俵だ」
わたしは、こちらの写しと、村の控えを引き寄せた。どちらも、十二俵。査定記録だけが、二十一俵。
「……見つけたわね、ニコ」
「これって、書き間違い?」
「かもしれない。十二と二十一――写すときに、字の並びを取り違えた、と言えなくもない形だもの」
(……言えなくもない形を、わざわざ選んでいる、とも読めるけれど)
「でも、書き間違いなら、他の行にも散らばっているはず。間違いなら、少ないほうにも転ぶものだから。――さあ、ここからが本番よ。全部の行を、洗い直します」
朝までかかって、洗い出した。
水増しは、十七戸。ひっくり返された数字。一画だけ足された数字。いるはずのない山羊。どれも、書き間違いと言い張れる顔をして、そして、どれも、多いほうにだけ、転んでいた。
合わせれば、この領の実りが、まことの姿より、およそ二割、豊かに見える勘定になる。
「……二割」
ギードが、唸った。
「なんのために、こんな、ちまちました細工を」
「特別賦課は、繁栄の度合いに応じて課されるんです。実りが二割増えて見えれば、賦課も上がる。……でも、それだけじゃありません」
わたしは、こちらの帳簿の写しを、指した。
「審の場で、あの査定記録とうちの帳簿を並べたら、うちの帳簿のほうが、二割、貧しく書かれていることになる。そうしたら、どうなると思います?」
「……『領の帳簿は、実りを隠して少なく書いておる』と、なるのう」
「ええ。嘘つきにされるのは、わたし。帳簿の信用が落ちれば、検め直しは負け。賦課は、通る。……小さな数字で、急所だけを突く。上手な細工だわ」
(オイゲン様。あなたの主人の手筋、だんだん読めてきたわよ)
翌日から、支度に走った。
マルタが、村々を回って、水増しされた十七戸の証人を揃えた。「広場に立って、うちの麦の数を言うだけかい。安いもんだ」と、誰一人、ためらわなかった。
ヴェルナーは、麦俵を荷車で広場へ運ぶ役を、買って出た。「数がどうこう言うなら、現物を数えてもらうのが、いっとう早い」
(向こうの記録と、こちらの帳と、現物と証人。……三重の突き合わせ。ここまで揃えば、盤石ね)
審の前日、ハーゲン殿が、領に入った。
広場の設えを、自ら検分して回る。検分使の席の位置。両者の机の間合い。傍聴の柵。一つずつ確かめて、最後に、短く言った。
「場は、整えた。……あとは、数字だ」
「はい。数字は、こちらで整えてあります」
「だろうな」
それだけの、やりとりだった。それで、充分だった。宿も食事も、館とは別に取るという。中立というものを、所作で示す人だ。
審の、前夜。
わたしは、一人、執務室で、母のそろばんを磨いていた。
黒い玉を、一つずつ、布で拭う。母さんが、そうしていたように。大きな検めの前の晩は、道具を清めるの。数字の神様に、明日は正直に弾きますと約束するのよ――そう言って、笑っていた。
扉が開いて、ヴォルフ様が入ってきた。
「……眠れんのか」
「いいえ。儀式です。母がやっていた、げん担ぎのようなもの」
彼は、机の向かいに、どかりと座った。それから、めずらしく、自分から話し始めた。
「明日の段取りを、俺なりに考えた」
「まあ」
「広場の警固に、兵を八人置く。写しの帳簿は、今夜からギードと交替で見張る。証人の村の衆には、朝、兵をつけて送らせる。……途中で誰かに、袖を引かせんためにな」
わたしは、少し、驚いていた。
この人は、帳簿は読めない。けれど、帳簿の戦の守り方を、いつのまにか、こんなに考えている。
「……完璧です。付け加えることが、何もありません」
「そうか」
ヴォルフ様は、ほっとしたように息をついた。それから、机の上のそろばんに、目を落とした。
「エルナ。明日、俺は口を出せん。数字の戦は、お前の戦だ。だが」
大きな手が、そろばんの横に、静かに置かれた。
「お前の数字は、俺が守る。帳簿も、証人も、お前も。……指一本、触れさせん」
(……ああ、もう。この人は)
「ふふ。では、わたしは、安心して数字だけ弾いてまいります」
寝る前に、廊下の突き当たりの小部屋を、覗いた。
弟子たちが、写しの束を囲んで、雑魚寝をしていた。ニコは、自分の帳面を、お腹の上に抱えたまま、眠っている。明日は、この子たちの写しが、初めて、公の場に出るのだ。
(……大丈夫。あなたたちの玉の音は、正直な音だもの)
そっと、毛布を、掛け直した。
審の日の朝は、よく晴れた。
晩秋の広場に、初霜が降りて、白く光っていた。人が、集まり始めている。検分使の席。二つの長机。積み上げられていく麦俵。
オイゲンは、もう来ていた。いつもと同じ、塵ひとつない外套で。いつもと同じ、何もない顔で。
ただ、一つだけ、いつもと違うことがあった。
彼は、手袋を、直した。それから、もう一度、直した。
(……あら)
二度。同じ手袋を、二度。無駄な動きを、ただの一つもしない人が。
(あなたにも、あるのね。――緊張が)
わたしは、母のそろばんを、抱え直した。
さあ。再査定、受けて立ちます。
第39話、お読みいただきありがとうございます!
夜なべの突き合わせで、偽装を見つけたのは――ニコでした。「おいら、一緒に数えたもん」。弟子入り回で一緒に数えたあの麦が、ここで効いてくるとは、師匠も鼻が高いはずです。
そして前夜のヴォルフ。「お前の数字は、俺が守る」。帳簿は読めなくても、帳簿の戦の守り方は満点です。
次回、公開の検め直し、開幕。偽装は、突き合わせれば割れます。ブックマーク・★評価で応援していただけると、とても嬉しいです!




