第35話:取り立ては一軒ずつ、味方も一軒ずつ
「明日より、戸別の査定を行います」
朝の執務室で、オイゲンは、いつもの温度のない声で、そう告げた。
「戸別……一軒ずつ、ですか」
「はい。特別賦課の算定の適正を検分するため、領内全戸の資産を検めます。家屋、家畜、穀物の蓄え、農具。規程に基づく、適法な査定です」
(……来たわね、搦め手)
帳簿で崩せないと見るや、今度は、暮らしの中に入ってくる。一軒ずつ蔵を開けさせ、かまどの数を数え、時間をかけて、領を疲れさせる。どこまでも適法な、嫌がらせ。
「拒否をすれば……ええ、分かっています。記録に残るのでしょう」
「はい。査察妨害として」
「けっこうです。どうぞ、一軒ずつ」
けれど、この一手には、読み違いが一つあった。いえ――読み違えていたのは、たぶん、財務院のほうだ。
村々に査定の触れを出した日の夕方、マルタが、館に乗り込んできた。
「財務官様! 王都の役人が、家ん中を検めて回るってのは、本当かい」
「ええ。止められなくて、ごめんなさい。適法な手続きで――」
「謝るこたないよ」
マルタは、腕まくりをした。
「うちの帳は、財務官様の帳だ。かまどの灰まで、堂々と検めてもらおうじゃないか。……あんた、蔵に隠し事のある家が、この村に一軒でもあると思うかい」
「……ないわね」
「ないんだよ」
戸別査定は、翌朝から始まった。
オイゲンは、書役を二人連れて、村の端から、順に検めていった。蔵を開けさせ、俵を数え、山羊を数え、鍬の柄の数まで記録していく。その几帳面さは、いっそ、見事なくらいだった。
もっとも、最初から、みんなが胸を張れたわけではない。
村はずれの婆様は、査定の列が来ると、塩壺を抱えて、かまどの裏に隠れてしまった。バルトロトの頃、蓄えを見つかるたびに、根こそぎ持っていかれた人だ。
「隠さんでいいんだよ、婆様」
マルタが、その丸い背中を、さすった。
「いまはね、数えられた分だけ取られる世じゃない。数えられた分が婆様の物だって、王都の帳面に載る世なんだ。……財務官様が、そう変えたんだ」
婆様は、おそるおそる、塩壺を棚に戻した。オイゲンは、それを待って、「塩、一壺」とだけ、記録した。
それからの村人たちは――胸を張って、蔵を開けた。
「さあ、数えとくれ。山羊は四頭。春に二頭、仔が生まれたんだ」
「これが女房の機の織り賃の帳。これが塩の買い付けの控え。どうだい、王都の帳面と、どっちが綺麗だい」
査定というものは、本来、検められる側がうつむくものだ。バルトロトの頃のこの領なら、そうだっただろう。隠して、偽って、怯えて。
いまは、違う。数えられる物が、ある。増えた分には、来歴がある。それを、一軒ずつ、誇っていく。
(取り立ては、一軒ずつ。……でも、味方も、一軒ずつ、ね)
ヴェルナーの家の前で、わたしは、足を止めた。
この秋、逃散から帰ってきた一家だ。荷車一つで戻ってきたあの家に、いま、麦の俵が積まれ、庭先で鶏が鳴いている。
「麦、十二俵! 合ってるよ、役人さん」
査定の列の後ろについてまわっていたニコが、書役より先に、そろばんの玉を弾いて、得意げに声を上げた。オイゲンは、咎めもせず、褒めもせず、ただ、記録していた。
書役の一人が、むっとした顔で、自分の筆算を検め直した。検め直して、もっと、むっとした顔になった。合っていたからだ。
「ぼうず。……その玉は、誰に習った」
「財務官様だよ。すごいだろ」
「……ふん」
ヴェルナーが、照れくさそうに、頭を掻いた。
「妙なもんですね、財務官様。検められるってのが……こんなに、誇らしいとは」
「逃げたときは、数えられる物なんて、何もなかった。いまは、ある。役人様が、うちの麦を、一俵ずつ数えてくれる。ここにこれだけの暮らしがあるって、王都の帳面に、載るんでしょう」
「ええ。載ります」
「なら、いくらでも、数えてもらいまさあ」
(……この人たちは、もう、査定には負けない)
査定の列は、それから、夕方まで続いた。オイゲンの綴りには、この領の暮らしが、一軒ずつ、積もっていった。麦の俵。山羊の頭数。機の織り賃。塩の壺。取り立てるための数字のはずが、並べてみれば、それは、この領の再建の目録そのものだった。
その晩、館の厨房で、ニコが、めずらしく、もじもじしていた。
「どうしたの、ニコ」
「あのさ。……あのな」
彼は、意を決したように、顔を上げた。
「財務官様。おいらを、正式に、弟子にしてください」
(……財務官様、ときたわ)
いつもは「お姉ちゃん」なのに。彼なりの、精いっぱいの正装の言葉なのだろう。
「どうして、また急に」
「王都の役人、書役を二人も連れてた。お姉ちゃんは、いつも一人だ。……おいらが帳を書けたら、お姉ちゃんの手が、増えるだろ」
わたしは、しばらく、言葉が出なかった。
(――泣くものですか。師匠が、弟子の前で)
「……いいでしょう。グラウフェルト辺境伯領財務官の名において、ニコ、あなたを弟子とします。ただし、うちの修業は、厳しくてよ」
「望むところだ!」
わたしは、机の引き出しから、新しい帳面を一冊、取り出した。表紙に何も書かれていない、まっさらな帳面。
「これが、あなたの帳面。最初の修業は――写しよ」
「写し?」
「領の帳簿を、一字一句、そのまま写すの。字と数字の、いちばんの稽古になるわ。それに」
わたしは、窓の外――オイゲンの泊まる離れの、几帳面な灯りを、ちらりと見た。
「帳簿はね、二冊あると、強いのよ」
ニコは、よく分かっていない顔で、それでも、帳面を、宝物みたいに抱きしめた。
厨房の入り口で、気配がした。
ヴォルフ様が、立っていた。いつからいたのか、腕を組んで、壁にもたれて。
「……弟子を、取ったのか」
「ええ。当領の帳場、記念すべき一人目の弟子です」
「そうか」
彼は、ニコの頭に、大きな手を、ぎこちなく載せた。載せてから、どうしていいか分からなくなったらしく、二度、ぐしゃぐしゃと撫でて、引っ込めた。
「励め。……エルナの弟子なら、いずれ、この領の宝だ」
ニコは、髪をくしゃくしゃにされたまま、真っ赤になって、うなずいた。
(……人の弟子を、先に褒めないでくださいな。師匠の台詞が、なくなってしまったじゃないの)
そういえば、と、思い出す。わたしが最初に玉を弾いたのも、あのくらいの歳だった。母さんの膝の上で、見よう見まねで。あのとき母さんは、なんと言ったのだったか。
――筋がいいわね、エルナ。あなたの玉の音は、正直な音がする。
正直な音。なら、わたしも、同じことを言おう。
「ニコ。あなたの玉の音は、正直な音がするわ。……その音を、忘れないで」
「おう!」
――その夜、離れの客室で。
査察官オイゲンは、一人、机に向かっていた。
蝋燭の灯りの下、その日の戸別査定の書き付けを、綴りの記録へ、清書していく。正確な、美しい文字が、並んでいく。
その筆が、ある行で、止まった。
書き付けには、こうある。
『ヴェルナー戸。麦、十二俵』
清書の綴りには、こう、記された。
『ヴェルナー戸。麦、二十一俵』
筆は、止まらなかった。次の戸へ、また次の戸へ。いくつかの数字が、少しずつ、静かに太っていく。
彼の顔には、何もなかった。喜びも、ためらいも、罪の色も。
彼は、決められた数字を、運ぶだけだった。
第35話、お読みいただきありがとうございます!
一軒ずつ取り立てに来た査定が、一軒ずつ味方を数える行脚になってしまう回でした。そして、ニコがついに正式弟子入り。「おいらが帳を書けたら、お姉ちゃんの手が増えるだろ」は、この子の成長の第一行です。
……そして、最後の場面。はい、そういうことです。あの人は、決められた数字を、運ぶだけなのです。
次回、王都からの矢は、帳簿の外にも飛んできます。「婚約にも、認可が要るそうです」。ブックマーク・★評価で応援していただけると、とても励みになります!




