第33話:その計算式、根拠を示してください
査察が始まって、三日目の朝。わたしは、オイゲンに、一枚の書面を差し出した。
「特別賦課の、算定根拠の開示を、請求します」
査察される側が、査察する側に、書類を要求する。並の役人なら、鼻で笑うか、怒り出すところだ。
オイゲンは、書面を受け取り、目を通し、うなずいた。
「財務院規程第十九条。賦課を課された領は、算定の根拠の開示を請求できる。――適法な請求です。五日以内に、写しを提供します」
(……やっぱり)
この男は、規則の人だ。規則を盾にこちらを縛るということは、裏を返せば、規則には、自分も縛られる。感情で動く相手なら、開示を渋り、引き延ばし、失くしたと言い張ることもできる。オイゲンは、しない。規則が「出せ」と言えば、出す。
敵の武器は、借りられるうちに、借りておくに限る。
写しは、五日どころか、翌日の朝八時に、届いた。
その夜、わたしは、執務室に、灯りを点けた。
机の上には、財務院の算定書。母のそろばん。白紙の帳面。
(さて――解剖を、始めましょうか)
夜通し帳簿と向き合うのは、この領に来た最初の夜以来、何度目だろう。あの夜は、埃まみれの帳簿の山を相手に、たった一人だった。
今夜は、少し、違う。
机の端には、マルタが置いていった木苺の砂糖煮の壺。その隣には、ニコが「おいらの分も調べといて」と置いていった、子供用の小さな帳面(中身は落書きだった)。そして夜半過ぎ、ヴォルフ様が、何も言わずに入ってきて、暖炉に薪を足し、何も言わずに出ていった。
(……一人で戦っていた頃より、ずっと、強くなっているわ、わたし)
ふと、母の声を、思い出す。
――いい、エルナ。難しい式を見たらね、飾りを、ぜんぶ剥ぎなさい。偉そうな言葉も、ご立派な理屈も、ぜんぶ。最後に残った骨だけを、見るの。
幼いわたしに、両建ての帳を教えてくれた母は、いつも、そう言った。式の飾りは、着物と同じ。立派であればあるほど、下に何かを、隠している。
(剥ぎましょう。今夜は、それが仕事)
さあ、数字の解剖だ。
特別賦課、二百グルデン。財務院の算定書は、いかめしい言葉で飾られていたけれど、式そのものは、こうだった。
『当該領の年間黒字額を基準とし、その繁栄の度合いに応じて、賦課率を乗じる』
黒字が大きいほど、率が上がる。つまり、稼げば稼ぐほど、取り分が増える仕組み。
わたしは、そろばんを、ぱちりと弾いた。
一見、もっともらしい。「豊かな者が多く払う」――言葉にすれば、正義の顔をしている。
けれど、この式には、底に、毒が沈んでいる。
翌日の昼、わたしは、村の広場で、マルタたちに、それを説明した。査察の間、領民は不安がっている。数字の戦いは、数字を知らない人にこそ、分かる言葉で届けなければいけない。
「特別賦課というのはね、マルタ。――実った畑から、実った分だけ、持っていく税のことよ」
「……はあ?」マルタが、眉を寄せた。「そりゃあ、あんた、実らせた意味がないじゃないか」
「そう。それが、この式の正体」
わたしは、うなずいた。
「痩せた畑には、課されない。実った畑にだけ、実りに応じて課される。なら、いちばん賢い暮らし方は、何だと思う?」
「……実らせない、こと、かい」
「ええ。頑張らないことが、いちばん得になる。――こんな税を続けたら、誰も畑を耕さなくなる。種を蒔いた者が損をする国に、実りは、二度と戻らない」
広場が、ざわついた。
「じゃあ何かい。うちの畑が今年よく実ったのは……損、だったのかい」と、誰かが言った。
「損じゃないわ」わたしは、きっぱりと言った。「実らせたことは、絶対に、損じゃない。損にしようとする式が、間違っているだけ。――だから、式のほうを、直させます」
人垣の前のほうで、ニコが、ぴょこんと手を挙げた。
「お姉ちゃん! 直せるのか、そんな偉い人の式でも」
「直せるわ。式はね、ニコ。どんなに偉い人が書いても、式でしかないの。玉っころで検められるものは、ぜんぶ、玉っころで言い返せるのよ」
取れるだけ取ると、来年は何も取れない。それは、この領で、わたしが最初に止めた悪手だった。過剰徴税。あれと同じものが、今度は、国の書式をまとって、降ってきたのだ。
広場の隅で、オイゲンが、聞いていた。表情は、いつもどおり、何もなかった。けれど、止めにも来なかった。
(そう。あなたは止められない。わたしはまだ、あなたの規則を、一つも破っていないもの)
そして、その足で、わたしは、執務室に戻り、一通の書面を仕上げた。
検め直しの申立てには、財務官の署名と、もう一つ、領主の署名が要る。
「ここに、お名前を」
ヴォルフ様は、差し出された申立書を、いつになく、長いこと見つめていた。
「……親父は、これを、書けなかったんだな」
「え?」
「いや」彼は、首を振って、羽根筆を取った。「なんでもない。――俺の代で、書けるようになった。それだけの話だ」
署名は、彼の剣筋のように、まっすぐだった。
夕刻、オイゲンに、差し出す。
「特別賦課に対し、検め直しを、申し立てます」
検め直し。賦課の算定に不服のある領が、中立の検分使の立会いのもと、算定根拠を公開の場で検め直させる、正規の手続き。ローデリヒとの監査対決のとき、王都から来た検分使のハーゲン殿。あの立会いの制度だ。
「立会人には、検分使ハーゲン殿を、指名します。前例に基づき、公開の場で」
オイゲンは、申立書を、受け取った。一枚目を検め、二枚目を検め、添付の算定反証の綴りを、最後まで、めくった。
そして。
彼の眉が、ほんのわずかに、動いた。
出会ってから初めて見る、表情らしきものだった。驚き、と呼ぶには小さすぎる。けれど、無、ではなかった。
「……書式に、不備がありません」
「ええ。あなたの規程集を、お借りしましたから」
査察の初日に、彼が携えてきた財務院規程の写し。わたしは、この三日で、あれを、隅から隅まで読んでいた。――だから、借りておいた。
「申立ては、受理されます。規程により、受理された申立ては、財務院に、検分の場の設定を義務づけます」
「知っています。第二十三条でしょう」
オイゲンは、わたしを、しばらく見た。温度のない目の奥で、何かが、計算されていた。
「……あなたは」と、彼は言った。「数字を、運ばせる側の人だ」
それだけ言って、礼をし、部屋を出ていった。
わたしは、窓の外を見た。夕焼けが、実りを終えた畑を、金色に染めている。
理不尽は、書式を整えて、やってきた。なら、こちらは、それより正しい書式で、突き返すまで。実った畑から実りを奪う式を、公開の場で、検め直す。式は、どんなに偉い人が書いても、入れた数字に嘘があれば、必ず割れる。
わたしは、母のそろばんを、握った。
「……これは、黒字にできます」
新しい帳簿の、最初の戦いに、勝ち筋が、見えた。
第33話、お読みいただきありがとうございます!
「実った畑から、実った分だけ持っていく税」。特別賦課の正体は、国の書式をまとった過剰徴税でした。第4話でエルナが止めたあの悪手が、今度は上から降ってくる――第2部は、そういう戦いです。
そして、規則の男オイゲンの眉が、ついに一ミリ動きました。彼に表情を作らせたら、たぶん、勝ちです。
次回、検分使ハーゲン、再び辺境へ。
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