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第3話:赤字は天災じゃない、設計ミスです

夜が明けるころ、わたしの前には、新しい一冊の帳面ができあがっていた。


両建ての帳。母から受け継いだ、わたしだけのやり方。左に資産、右に負債と資本。何を持っていて、何を負っているのか。その両面を、同じ重さで並べる。


そうすると、埃の山に埋もれていたものが、くっきりと浮かび上がってくる。


(……やっぱり、そういうことね)


朝、わたしは辺境伯とギードを、帳簿の部屋に呼んだ。


「徹夜したのか」とヴォルフ様が驚いたように言う。「顔色が悪い。無理を――」


「辺境伯。一つ、お尋ねします」


わたしは、新しい帳面を開いた。


「この領の領民は、いくら税を納めていると思われますか」


ヴォルフ様は困った顔をした。「……すまん。そういうことは、代官に任せきりで」


「では、お教えします。グラウフェルトの領民は、王都近郊の農村の――およそ二倍を、納めています」


「二倍?」ギードが声を上げた。「ばかな。この貧しい土地で、なぜそんなに」


「取れるだけ、取っているからです」


わたしは古い徴税台帳を、横に並べた。


「ご覧ください。徴収額は、年々増えています。なのに、領庫に入る上納額は、ほとんど変わっていない。――増えた分は、どこへ消えたのでしょう?」


部屋が、静まった。


「ここに、もう一つ。奇妙な点があります」


わたしは別の頁を指でなぞった。


「徴収の記録と、領民が実際に納めた量。この二つが、合いません。村ごとに、帳面の上では納めたことになっているのに、倉に入った穀物の量はそれより少ない。逆に、納めていないはずの村から、なぜか余分な銀貨が記録されている」


「それは……どういう」


「二冊あるんです」


わたしは静かに言った。


「表向きの帳簿と、本当の帳簿。代官バルトロト殿は、領民から取れるだけ取り、その一部を自分の懐に入れ、辺境伯には『これしか取れませんでした』と、痩せた数字だけを見せている。――中抜き、です」


ヴォルフ様の顔から、血の気が引いた。それから、ゆっくりと赤くなった。怒りだ。けれど、その拳は、握られたまま動かない。


「……証拠は」


「まだ、状況証拠です。裏帳簿の現物を押さえなければ、言い逃れされる。けれど」


わたしは顔を上げた。


「辺境伯。一つだけ、今すぐ止められることがあります。過剰徴税を、止めてください」


「止める? だが、それでは領庫が……」


「逆です」


わたしは、ペン先で数字を示した。


「取れるだけ取れば、今年は潤います。けれど来年、領民はもっと逃げる。畑はもっと荒れる。再来年には、誰からも取れなくなる。――徴税は、収穫ではないんです。種まきなんです。種籾まで食べてしまったら、来年の畑は、ただの荒れ地になる」


ヴォルフ様が、まじまじとわたしを見た。


「……種、まき」


「今、税を正規の額まで下げれば、逃げかけている領民は留まります。畑を捨てずにすむ。来年、再来年と、税源そのものが育っていく。――短期の損は、長期の黒字への、元手です」


わたしは、母のそろばんに手を置いた。


「辺境伯。この領は、貧しいんじゃありません。搾り取られて、痩せているだけです。赤字は、天災じゃない」


ぱちん、と玉を一つ弾いた。


「設計ミスです。――設計し直せば」


もう一つ。


「これは、黒字にできます」


長い、沈黙があった。


やがてヴォルフ様は、深く、息を吐いた。荒れた手で、顔をぬぐう。何かをこらえるように。


「……先代も、そうだったのかもしれん。父も、搾り取られて、それを赤字だと思い込んで、抗うこともできずに……」


彼は、それ以上は言わなかった。けれど、その横顔に、長く沈んでいた何かが、揺れた気がした。


「ライゼンタール殿」


ヴォルフ様は、わたしをまっすぐに見た。


「過剰徴税を、今季から止める。やってくれ。――いや、頼む。この領を、あんたの言う『黒字』とやらにできるなら、俺はなんでもする」


「かしこまりました」


わたしは、初めて、この辺境で微笑んだ。


その日のうちに、過剰徴税停止の触れが、領内に出された。


知らせを聞いた村々から、ざわめきが伝わってくる。最初は、信じられないという戸惑い。やがて、それは安堵に変わっていった。


館の窓から、わたしはその様子を眺めていた。隣には、ギードが立っている。


「……令嬢様」


ぶっきらぼうに、老副官は言った。


「夕飯は、しっかり食いな。徹夜明けだろう。今夜は、豆を少し多めに入れさせる」


ありがとうございます、とわたしは答えた。


たった豆ひとつかみ。けれど、この領の食卓が、ほんの少しだけ、温かくなった気がした。


(さあ、ここからよ)


母のそろばんを、わたしは握りしめた。


第3話、いかがでしたか? エルナの「これは、黒字にできます」――この一言が、物語を動かしていきます。赤字は天災じゃない、設計ミス。彼女は剣も魔法も使いません。ただ、数字で、不正と無駄を一つずつ暴いていきます。


次回は、過剰徴税を止めたことで動き出す、ある「眠った富」のお話。そして、代官バルトロトがいよいよ牙をむきます。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます! 面白いと思っていただけたら、ブックマーク・★評価で応援していただけると、とても嬉しいです。


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