表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/30

第21話:噂は、数字で裏が取れる

噂というものを、わたしはあまり信じない。


人の口から口へ渡るうちに、話は尾ひれがつき、誰かの願望や悪意で形を変える。「あの家が傾いた」という噂も、ただの妬みかもしれないし、誰かが流した嘘かもしれない。


けれど、噂は――数字で、裏が取れる。


「ギードさん。王都への交易隊から、何か仕入れてきた帳面はありますか。穀物の相場と、この三月ほどの、王都近郊の商いの動き」


「また、けったいなものを欲しがる」とギードは言いながらも、もう驚かない。「商人どもの帳面の写しなら、いくらかある。あいつら、相場の話となると、何時間でも語りよるからな」


辺境が交易を再開してから、王都と行き来する商人が増えた。彼らは、最新の相場と、街の景気を運んでくる。それは、領の収入であると同時に――王都を覗く、小さな窓でもあった。


わたしは、商人たちの帳面の写しを、机に広げた。


母のそろばんを傍らに置き、灯りを引き寄せる。


(さあ。アーレンス家の「本当の帳尻」を、外から組み立ててみましょう)


直接、あの家の帳簿を見ることはできない。けれど、わたしには、見えなくても分かるものがある。


まず、宝石商が品を引き上げた、という噂。これは、つけの払いが滞った証拠。出ていくお金が、入ってくるお金を、もう半年も上回っている。


次に、領地の小麦。商人の相場帳によれば、アーレンス領の小麦は、今年も作付けが減っている。婚約破棄の夜、わたしが「来期の作付け、三割減」と言った、あの数字。誰も、それを直さなかった。つまり、来年の収入は、さらに細る。


そして、借り入れ。利の高い借金を、安いものに組み替える――それをやっていたのは、わたしだ。わたしがいなくなった今、利だけが、雪だるまのように膨らんでいるはずだ。


わたしは、ぱちり、ぱちりと、玉を弾いた。


入ってくるお金。出ていくお金。残っているはずの、蓄え。


(蓄えを、毎月の足りない分で割れば――底をつく月が、見えてくる)


これは、難しい計算ではない。財布に十グルデンあって、毎月二グルデンずつ足りなければ、五月後に空になる。それだけのことだ。


ただ、世の中のほとんどの人は、この計算をしない。お金が「ある」うちは、なくなる日のことを考えない。レオンハルト様も、きっとそうだ。


弾き終えて、わたしは、ふっと息を吐いた。


念のため、もう一度。蓄えの見積もりを少なめに、出ていくお金を多めに見ても、答えは、ほとんど変わらなかった。商人の払いが完全に止まれば、もっと早まる。けれど、いちばん甘く見積もっても――。


(……あと、二四半期ね)


半年。アーレンス侯爵家の蓄えは、あと二度の収穫を数えるころには、底をつく。それまでに、出ていくお金を半分に削るか、新しい収入の道を作るか――どちらかをしなければ、あの家は、立ち行かなくなる。


そして、その両方とも、レオンハルト様にはできない。散財を止められない人に、出費は削れない。数字を読めない人に、新しい商いは起こせない。


不思議と、胸はすかなかった。


いい気味だ、とも思わなかった。


婚約破棄の夜、わたしは確かに「この家、半年で潰れますよ」と言い放った。あのときは、ほんの少し、溜飲を下げる気持ちもあった。けれど、こうして数字を一つずつ積み上げて、破綻の月を逆算してみると――残るのは、奇妙なほど静かな、納得だけだった。


怒りでも、勝ち誇りでもない。数字は、わたしの私怨で動いたりしない。憎いから潰れるのでも、恨んだから傾くのでもない。ただ、入りと出が、そう示している。それだけ。


(あの家は、わたしが潰すんじゃない。あの人たちが、自分で帳簿を読めなかった。ただ、それだけ)


それが、いちばん、静かな答えだった。


「エルナ」


戸口で、ヴォルフ様の声がした。帳面を逆さに持ったまま、覗き込んでくる。相変わらず、数字は逆さでも同じに見えるらしい。


「難しい顔をしている。……王都の、家のことか」


「いいえ。仕事の顔です」


わたしは帳面を閉じ、別の一冊を取り出した。


「次の案件の、下調べを。灰の境寄りの、ヴァイデ村。あそこの徴税が、また妙なことになっています」


辺境の再建は、順調だった。けれど、領は一つではない。村は、いくつもある。一つの村を黒字にしたら、隣の村にも、同じ歪みが眠っている。


ヴァイデ村は、バルトロトの代官時代に、特にひどく搾られた村だった。逃散した家が多く、残った領民が、いなくなった隣人の分まで税を負わされている。台帳の上では「十軒分」徴収しているのに、村には、もう三軒しか残っていない。


「七軒分の税を、三軒で。――これじゃ、残った三軒も逃げます。先に、台帳を直さないと」


「直せるのか」


「直せます。死んだ村として課税するのをやめて、生きている三軒に、まっとうな額を。それで、出ていった四軒のうち、何軒かは戻ってくる。戻れば、また税を納める側になる。――荒れ地を、課税台帳から、生きた畑に書き換えるんです」


これは、グラウフェルトの本村でやったことの、横展開だ。一つの村で効いた処方は、歪み方の似た隣の村にも、たいてい効く。違うのは、村の名前と、逃げた家の数くらい。


「逃げた領民の名を、台帳から消すのは、たやすい。けれど、それでは、ただ村が小さくなるだけ。――わたしは、消すためでなく、呼び戻すために、台帳を書き換えます。戻ってくる場所を、数字の上に、ちゃんと残しておくんです」


ヴォルフ様が、ふ、と口元をゆるめた。


「お前は、潰れる家の計算をしながら、すぐ隣で、潰さない村の計算をしている」


「どちらも、同じ帳面ですから」


わたしは、肩をすくめた。


「数字に、好き嫌いはありません。傾く家は傾くように、立つ村は立つように、ただ、そう示すだけ。――わたしは、立つ方を、選んで手を貸しているだけです」


その夜。


館に、一通の私信が届いた。


封蝋には、見覚えがありすぎる紋章。アーレンス侯爵家の、鷲の紋。


ギードが、苦い顔で差し出してくる。


「……あの家からだ。中央の公の便ではなく、内々の使いが、こっそり置いていきよった」


わたしは、封を切った。


文面は、短かった。そして――驚くほど、傲慢だった。


『エルナ。お前が辺境で帳簿仕事をしているそうだな。ちょうどよい。近く、当家の使いを遣わす。話がある。心して待て。――レオンハルト』


話がある。心して待て。


謝罪の一文も、頼みの一語も、そこにはなかった。


わたしは、便箋を灯りにかざして、ふっと笑った。


(あと二四半期。蓄えが底をつく前に、向こうから「帳簿番」を呼び戻しに来たというわけね。……ええ、ちゃんと、お待ちしていますとも)


母のそろばんが、灯りの中で、静かに光っていた。


第21話、お読みいただきありがとうございます! 今回は、エルナが「噂」を数字で裏取りする回でした。直接あの家の帳簿を見なくても、外から集めた数字で、破綻の時期まで逆算してしまう。「あと二四半期」――この冷静さこそ、エルナの怖さであり、気高さです。


そして彼女は、潰れる家の計算をしながら、すぐ隣で「潰さない村」の計算をしています。憎しみで動かない。ただ、立つ方に手を貸す。


末尾、ついにアーレンス家から「内々の打診」が。しかも、まったく反省のない、高圧的な呼び出し。次回、傲慢な使者が辺境へやってきます。そして――ヴォルフが、動きます。


面白いと思っていただけたら、ブックマーク・★評価で応援していただけると、とても嬉しいです!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ