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第19話:余ったお金の、正しい使い道

余ったお金ほど、人を試すものはない。


領庫に初めての余剰――しめて百二十グルデンが生まれたという知らせは、たちまち領内を駆けめぐった。そして、知らせより速く、欲が広がった。


「ずっと搾り取られてきたんだ。たまには、領民に分けてくれてもいいじゃないか」

「一人あたり、何グルデンになる?」

「分けてくれるなら、新しい鍋を買いたい」


無理もない。何年も、痩せた食卓に耐えてきた人たちだ。けれど、わたしは、村の集会場で、領民を前に立った。隣には、ヴォルフ様。村長のマルタが、肝の据わった顔で、皆を見回している。


「皆さんに、お尋ねします」


わたしは、母のそろばんを、卓の上に置いた。


「この百二十グルデン。今、頭数で割れば、一人およそ半グルデン。鍋一つ、買えるかどうかです。配れば、皆さん少しだけ嬉しい。けれど、来月にはもう、何も残っていません」


集会場が、しんとなった。


「配って終わるお金と、蒔いて増えるお金が、あるんです」


わたしは、そろばんの玉を、ぱちりと一つ、弾いた。


「たとえば、この余りで、川の堰を直す。去年、増水で三つの畑が流れましたね。堰を直せば、来年から、その畑が毎年穀物を実らせる。半グルデンの鍋は一度きり。けれど直した堰は、十年、二十年、皆さんを潤し続けます」


マルタが、腕を組んだまま、口を開いた。


「……理屈は、わかるよ、税務官様。だが、わしらはもう、何年も『来年のために我慢しろ』と言われ続けてきた。その来年が、いつ来るんだ? 余りができたって、また取り上げられて、結局なんにも変わらないんじゃないかってね」


正しい問いだった。わたしは、まっすぐにマルタを見た。


「ごもっともです。だから、こうしましょう」


わたしは、帳面を開いて、皆に見えるように掲げた。


「この百二十グルデンを、三つに分けます。半分は、堰の修繕――来年の畑を増やすため。三分の一は、街道の整備――交易をもっと太らせ、もっと稼ぐため。残りは、備蓄に。凶作や、魔物の害があった年に、誰も飢えさせないための蓄えです」


「分けるぶんは、ないってことかい」


「いいえ。堰を直す人足には、ちゃんと賃金を払います。街道を均す人にも。つまり、お金は皆さんの手に渡るんです。ただ『配る』のではなく、『働いて受け取る』かたちで。――そうすれば、お金が出ていくと同時に、堰と街道という財産が、領に残る」


マルタの目が、ゆっくりと見開かれた。


「払って、消えるんじゃなく……払って、残るのか」


「ええ。それが、投資というものです」



集会のあと、ニコが、わたしの袖を引いた。


「ねえ、お姉ちゃん。おいらたちには、なんにもないの? 堰も、街道も、大人の仕事でしょ」


わたしは、しゃがんで、ニコと目線を合わせた。


「ニコ。あなたたちにこそ、いちばん大事なお金を使うのよ」


「ほんと?」


「読み書きと、算盤。それを覚えた子どもが、十年後、この領で帳面を組む。商いをする。不正を見抜く。――そのとき、この領は、もう二度と、誰かに搾り取られたりしない。あなたたちに教えることは、いちばん遠くまで実る、種まきなの」


備蓄の蔵の隅に、わたしは小さな机を一つ、置かせてもらうことにした。村の子どもらに、玉っころを教える場所だ。ニコは、それを聞いて、跳ねるように喜んだ。


その様子を、ヴォルフ様が、柱にもたれて眺めていた。


「お前は」と、彼はぽつりと言った。「金の使い道に、人の名前を書くんだな」


「……どういう意味ですか」


「堰には、流された畑の持ち主の顔がある。街道には、コンラートの顔がある。算盤には、ニコの顔がある。お前の帳面は、数字なのに、ちゃんと人の顔をしている。――父の帳面には、それがなかった」


不意を突かれて、わたしは言葉に詰まった。


(この人は、ときどき、わたしの帳面より深いところを読む)


「……買いかぶりです」とだけ、わたしは返した。けれど、悪い気は、しなかった。むしろ、温かかった。



その晩、館に、王都から旅の商人が一人、立ち寄った。北へ向かう途中だという。


夕食の席で、商人は、よもやま話のついでに、こんなことを漏らした。


「いやはや、王都も近ごろは物騒でしてね。あのアーレンス侯爵家――ご存知ですかな。羽振りのよかったお家が、どうも内証が苦しいらしい。商人仲間のあいだじゃ、もう掛けで品を卸すのは危ない、という噂で」


わたしの手が、スプーンの上で、止まった。


「聖女様だかなんだかを囲って、宝石だ、祭服だと散財が止まらないとか。なんでも、長年お家の財布を握っていた切れ者がいたそうですが、その方が出ていってから、帳尻が、てんで合わなくなったとか。気の毒なものです」


ギードが、ちらりと、わたしを見た。ヴォルフ様も。


わたしは、何も言わず、ただ静かにスープを口に運んだ。


(半年で潰れる、と申し上げたはずよ、レオンハルト様。……どうやら、わたしの逆算は、一の位まで合っていたみたいね)


哀れみは、湧かなかった。怒りも、もう、ない。


ただ、数字は嘘をつかない。それだけのことだった。


わたしは、母のそろばんに、そっと手を置いた。明日も、この領の帳面を組む。配って消える金ではなく、蒔いて実る金を。一の位まで、誠実に。


「余ったお金の、正しい使い道」――いかがでしたか。初めての余剰百二十グルデンを、配るか、蒔くか。エルナの答えは「払って消えるのではなく、払って残す」投資でした。堰、街道、備蓄、そして子どもたちへの算盤。お金に人の顔が宿る、ヴォルフのひと言がお気に入りです。


そして、ついに王都から届いた噂――エルナを「華がない」と捨てたアーレンス侯爵家が、彼女という帳簿番を失って、傾き始めています。第1話の逆算が、静かに、現実になり始めました。


ここからは、捨てた側の「ざまぁ」が、遠景でじわじわと動き出します。次回もどうぞお楽しみに。ブックマーク・★評価で応援いただけると、本当に励みになります!


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