第15話:監査する側を、監査します
公開監査は、館の大広間で行われた。
辺境伯の館にこんなに人が集まったのは、何年ぶりだろう。村長マルタをはじめ、領民が壁際にずらりと並んでいる。皆、不安そうな、けれど何かを期待するような顔で、上座を見ていた。
上座には、中央財務伯ローデリヒ・フォン・ファルケ。その傍らに、もう一人。王都の財務寮から遣わされた立会人――検分使ハーゲンという、白髪の堅物そうな老官が、無言で羽根ペンを構えている。この場のやり取りは、すべて記録され、中央へ上がる。
「では、始めましょうか」
ローデリヒは、ゆったりと微笑んだ。慇懃で、冷たい笑みだ。
「辺境財務官エルナ・フォン・ライゼンタール殿。あなたには、いくつもの不正の疑いがある。一つ、勝手な過剰徴税の停止により、中央への上納を著しく減らした罪。一つ、帳簿を独断で書き換えた、文書偽造の疑い。一つ――」
彼は、わたしを見下ろした。
「身の程をわきまえず、徴税の制度そのものに異を唱えた、僭越の罪」
広間が、ざわめいた。領民たちが、不安げにわたしを見る。ヴォルフ様が、壁際から一歩、前に出かけた。わたしは、目で「大丈夫です」と伝えた。
「ご説明、ありがとうございます」
わたしは、淑女の礼をした。
「では、一つずつ、お答えします。――数字で」
「数字で?」ローデリヒが、片眉を上げた。「ほう。私を、この私を、数字で裁こうとでも?」
「いいえ。裁くのではありません」
わたしは、用意してきた帳面と、束ねた証文を、卓に広げた。
「監査する側を、監査します。それだけです」
ローデリヒの笑みが、ほんの少し、固まった。
「まず、過剰徴税の停止について。わたしが上納を減らしたのではありません。この領は、もともと納められない額を、無理やり搾り取られていたんです。――その根拠が、この賦課査定書」
わたしは、一枚の紙を掲げた。
「年間賦課、八百グルデン。署名は、当時の徴税監督、ローデリヒ・フォン・ファルケ様。あなたです」
「私の署名がどうした。賦課は中央の権限だ。文句があるなら――」
「賦課は、その年に取れた額にかかるのではありません」わたしは、彼の言葉を引き取った。「『この土地なら、これだけ取れるはず』と見積もった額に、かかります。では、お尋ねします。この八百という見積もりは、何を根拠に決められたのですか」
ローデリヒは、答えなかった。
「お答えできないでしょう。なら、わたしが申し上げます。――罷免された代官バルトロトが、中央に申告した『この領の徴収力』。その水増しの数字が、そのまま、賦課の基準になっている」
わたしは、もう一枚を重ねた。バルトロトの申告控えの写しだ。隠滅をまぬがれた、たった一枚。
「ご覧ください。代官の申告した徴収量と、この賦課査定書の基準額。――一の位まで、ぴたりと同じです」
ハーゲン検分使の羽根ペンが、止まった。老官は、身を乗り出して、二枚の紙を見比べた。
「数字は、嘘をつきません」わたしは静かに続けた。「代官が領民から取れるだけ取って水増しした数字。それを、中央が承知の上で賦課の基準にした。代官は領民から中抜きし、中央はその水増しの上に、賦課でもう一段、上前をはねた。――二重の、収奪です」
「で、でたらめだ!」ローデリヒの声が、初めて荒れた。「代官の申告など、私は知らん! 一人の代官が勝手にやったことだ!」
「では、なぜ」
わたしは、村人たちの集めた証文の束を、どさりと卓に置いた。
「この村が、実際に納めた量は――申告された量の、半分にも満たない。残りの半分は、ありもしない穀物です。村のかまどの裏に、一軒残らず、納めた証文が残っていました。足し上げた数字が、これです」
わたしは、最後の一枚を、ローデリヒの前に滑らせた。
「申告は、嘘。徴収力は、嘘。その嘘の上に立った賦課も――嘘です。あなたは、嘘だと知りながら、五年間、この領から正規の倍を吸い上げ続けた。知らなかったとおっしゃるなら」
わたしは、顔を上げた。
「中央財務伯ともあろうお方が、賦課の根拠を一度も検めなかった、という証明になります。どちらにしても――職務として、致命的ですね」
しん、と、広間が静まり返った。
ローデリヒの顔から、血の気が引いていく。慇懃な仮面が、剥がれていく。
「検分使殿」
わたしは、ハーゲンに向き直った。
「ここにあるのは、領民一人ひとりの、本物の数字です。館の控えは処分され、証人は黙らされました。それでも、消せなかった数字が、これだけ残っています。――どうぞ、お検めください。一の位まで、合わせてあります」
老検分使は、長い時間をかけて、証文の束と帳面を検めた。そして、ローデリヒを見た。その目は、もう、財務伯を上席として見てはいなかった。
「……ファルケ伯」ハーゲンは、低く言った。「これは、中央へそのまま上げるわけには参りません。賦課査定の不正、文書隠滅の指示――財務寮の検分使として、わたしはこの記録に、ありのままを記す。覚悟なさるがよろしい」
ローデリヒが、椅子を蹴って立ち上がった。
「貴様ら……辺境の分際で、この私を……!」
彼は、わたしを睨みつけた。憎しみと、それから、隠しきれない怯えで。
「いいだろう。だが、覚えておけ。賦課の仕組みを作ったのは、私ではない。――財務卿ヴァルデマール様が、黙っておられんぞ。お前のような小娘が、中央の構えに手を突っ込んで、無事で済むと思うな!」
(……ヴァルデマール)
その名を、わたしは胸に書きとめた。代官の上に財務伯。財務伯の上に、財務卿。――この収奪は、ローデリヒ一人の悪知恵じゃない。もっと上に、もっと大きな構えがある。
けれど、それは今日の勘定ではない。
「ご忠告、痛み入ります」わたしは、礼をした。「ですが、財務卿様がいらした暁には、その方の帳簿も、喜んで拝見します。――数えるのは、得意ですので」
ローデリヒは、何か言いかけ、けれど言葉にならず、供を連れて広間を出ていった。その背は、来たときよりも、一回り小さく見えた。
検分使ハーゲンが記した監査記録は、後日、中央へ上がった。ほどなく、ローデリヒ・フォン・ファルケは徴税監督の職を解かれ、賦課の査定は、すべて見直しにかかったと――風の便りに、聞いた。
監査が終わり、領民たちが帰ったあと。
広間に残ったわたしのところへ、ヴォルフ様が、のっそりと近づいてきた。
「……終わったのか」
「終わりました。賦課は、正されます。来季から、この領が中央へ納める額は、半分になります」
ヴォルフ様は、しばらく黙っていた。それから、荒れた手で、ごしごしと顔をこすった。
「礼が……うまく、言えん」
無骨な声だった。
「父は、これを赤字だと思い込んで、抗うこともできずに逝った。俺も、数字では中央に勝てんと、諦めていた。だが、お前は――数えるだけで、あの中央を、退けてみせた」
彼は、まっすぐにわたしを見た。
「お前がいて、よかった。この領に、来てくれて」
たった、それだけの言葉。
けれど、社交辞令ひとつ言えないこの人が、精一杯ひねり出した言葉だと、わかった。「華がない」と切り捨てた誰かとは、まるで違う。
(……ずるい人)
胸の奥が、ぱちん、と、そろばんの玉のような音を立てた気がした。
「いいえ。わたしこそ」
わたしは、母のそろばんを抱いて、微笑んだ。
「拾っていただいて、ありがとうございます。――まだ、黒字にはこれからですけれど」
第15話、お読みいただきありがとうございます! 大型イベント第二弾、中央財務伯ローデリヒとの監査対決、決着です。「監査する側を、監査します」――館の証拠は消されても、領民のかまどの裏に残った本物の数字が、中央の権威を裁きました。
そして、ローデリヒの捨て台詞に出てきた「財務卿ヴァルデマール」。この収奪は、彼一人の仕業ではなかった……? もっと上の、もっと大きな構えの影が、ちらりと顔を出します。
不器用なヴォルフの精一杯のお礼に、エルナの心も、少しだけ動いたようで。次回・第16話は、いよいよ財政に「黒字の芽」が。少し豊かになった食卓と、遠い王都から届く、不穏な噂のお話です。
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