第11話:代官のいない徴税
代官バルトロトが罷免されて、三日が過ぎた。
領民の歓声が引いたあと、館に残されたのは——徴税の、空白だった。
「で、令嬢様」
帳簿の部屋で、ギードが腕を組んで言った。
「代官はいなくなった。それはいい。だが、徴税は誰がやる。秋の取り立ては、もう目の前だぞ」
もっともな問いだった。バルトロトは罷免したが、徴税という仕事そのものが消えたわけではない。村々を回り、税を見積もり、納めてもらい、領庫へ収める。その実務を、今は誰も握っていない。
「わたしがやります」
わたしは即答した。
「暫定で、です。新しい代官が見つかるまで。――というより、見つける前に、やっておかなければならないことがあるので」
「やっておくこと?」
「新しい税率を、設計します」
わたしは、机に新しい一枚の紙を広げた。まだ何も書かれていない、白い紙。
バルトロトの過剰徴税は、もう止めた。けれど「止めた」だけでは、まだ半分だ。では、いくらが適正なのか。その問いに、誰も答えを持っていない。
(取れるだけ取る、の反対は、取らない、じゃない)
わたしは母のそろばんを引き寄せた。
これまでこの領の徴税は、たった一つの考え方で動いていた。「取れるだけ取る」。だから領民は逃げ、畑は荒れた。けれど、では税をうんと安くすればいいのかというと、それも違う。
「ギード。一つ、お尋ねします。この領が、中央へ毎年納めている上納――賦課は、いくらですか」
ギードの顔が、ふっと曇った。
「……賦課か。あれは、決まった額だ。豊作だろうが凶作だろうが、毎年きっちり、同じだけ取られる。八百グルデン。先代の頃から、びた一文まからん」
八百グルデン。
わたしは、その数字を白い紙の、いちばん上に書いた。
「これが、出発点です」
「出発点?」
「ええ。この賦課は、わたしたちの一存では下げられません。中央が決めた、動かせない重し。――だから税率は、ここから逆算するんです」
わたしは、ペンを走らせた。
まず、八百グルデンの賦課。これは何があっても、中央へ納めなければならない。次に、領を回すための費え――道の修繕、灰の境を守る兵の糧、最低限の館の維持。それらを積み上げる。そうして初めて、「領民から、最低どれだけ集めなければならないか」が出る。
「ここまでが、集めなければ領が回らない額。下限です」
「ふむ」
「次に、上限。――領民が、来年も再来年も、逃げずに払い続けられる額。畑を捨てずにすむ額。これは、村ごとに違います。痩せた畑の村と、まだ実りのある村を、同じ率で取ってはいけない」
わたしは、村の名を一つずつ書き出していった。それぞれの畑の広さ、去年の収穫、残っている家の数。バルトロトの帳簿には、村ごとの実情など、どこにも書かれていなかった。ただ「取れるだけ」が、書いてあるだけだった。
「下限と、上限。この二つの間に、おさまる率を引く。――それが、設計です」
ギードは、しばらく黙ってわたしの手元を見ていた。それから、低くうなった。
「……代官は、いつもこう言っていた。『この貧乏領で、取れる税は決まっている』とな。だが、お前さんの言い分だと、まるで違う」
「決まってなんて、いません」
わたしは顔を上げた。
「決めるんです。誰が、どれだけ払えるか。それを一人ずつ数えて、決める。手間はかかります。でも、手間を惜しんで『取れるだけ』にした結果が――この、空き家だらけの領です」
その日から、わたしは村を回った。
マルタという、肝の据わった村長の女がいた。最初、彼女はわたしを警戒していた。中央から来た令嬢が、また新しい口実で搾り取りに来たのだと思ったのだろう。
「新しい税率を見てほしいの」と帳面を差し出すと、マルタは険しい顔のまま、それを覗き込んだ。
「……うちの村、去年の半分?」
「半分です。去年が、取りすぎだったので」
マルタは、しばらく数字を睨んでいた。やがて、その目に、じわりと別の色が滲んだ。疑いでも、怒りでもない、もっと脆い何か。
「……信じても、いいのかい。来年になったら、また倍に戻すんじゃ」
「戻しません。両建ての帳に、そう書いてあります。――数字は、嘘をつきませんから」
マルタは、帳面を、そっと胸に押し当てた。それから、村のほうを振り返った。
「……うちの村には、四十年前から、納める量がぴたりと書いてある古い覚え書きがあるんだ。代官は、それを見せろと言っても、いつも『記録にない』ととぼけた。今のあんたなら、あれが読めるかい」
「読めます。古い覚え書きほど、嘘がない。――取りすぎていた証拠は、きっと、その紙が知っています」
マルタは、初めて、わたしに笑った。皺の刻まれた、けれど芯の強い笑顔だった。
その晩、館に戻ると、ヴォルフ様が帳簿の部屋で待っていた。
めずらしく、彼の手に帳面があった。わたしの作った、新しい税率の帳面。――逆さに、持っていた。
「……それ、上下が」
「あ」
ヴォルフ様は、ばつが悪そうに帳面をひっくり返した。それから、低く言った。
「数字は、相変わらず逆さでも同じに見える。だが、村を回るお前を、領民がどんな顔で見ているかは――俺にも、見えた」
彼は、外套の内側から、一枚の書状を取り出した。古びた、けれど辺境伯家の印章の押された、正式な任命状だった。
「ライゼンタール殿。お前を、グラウフェルト辺境伯領の財務官に任じる。徴税官の、上だ。この領の財政を、お前に預ける。――俺の名と、印で」
わたしは、息を止めた。
「……よろしいのですか。わたしは、中央が辺境に捨てた女ですよ」
「中央が捨てた宝を、辺境が拾って何が悪い」
ぶっきらぼうに、彼は言った。耳が、わずかに赤かった。
わたしは、任命状を両手で受け取った。紙はざらりとして、けれど確かな重みがあった。誰かに「価値がない」と言われ続けた手の中に、初めて、「お前の価値を預ける」という紙が載っていた。
(……母さん。わたし、この辺境で、財務官になったわ)
胸の奥が、じんと熱くなった。けれど、それを顔に出すのは性に合わない。わたしは淑女の礼をして、「謹んで、お受けいたします」とだけ答えた。
その温かさが冷めないうちに、知らせは届いた。
ギードが、一通の封書を手に、部屋へ駆け込んできた。表に、見覚えのある封蝋。王都の――中央財務府の印。
「令嬢様。中央から、通達だ」
わたしは封を切った。慇懃な、けれど冷たい筆跡が、こう告げていた。
『グラウフェルト辺境伯領における徴税の混乱、ならびに代官罷免の件につき、中央財務府より監査を実施する。追って、監査官が現地に赴く』
監査。
代官を一人罷免しただけで、中央が動いた。――早すぎる。
(バルトロトは言っていた。「これは上の絵図だ」と。……つまり、上には、絵を描いた人がいる)
わたしは、八百グルデンの賦課を書いた、あの白い紙を思い出した。動かせない重し。誰かが、決めた額。
その「誰か」が、こちらを見始めた。そんな気がした。
お読みいただきありがとうございます! 代官を倒したら終わり……ではないのが、財政再建の難しいところ。エルナはついに「領財務官」に任じられました。ヴォルフの不器用な信頼、伝わったでしょうか。
そして、上納=「賦課」を握る中央が、いよいよ動き出します。次回は、眠ったままの休耕地に、エルナが手を入れます。元手のない辺境で、どうやって畑をよみがえらせるのか?
面白いと思っていただけたら、ブックマーク・★評価で応援していただけると、とても励みになります。明日も更新します!




