第7話 万和堂強襲
淵明は、自責の念を冷徹な業火へと変えた。
かつて戦地で数多の敵を退けた、軍功ある将軍としての胆力が呼び覚まされる。
彼はもはや、単なる法官ではなかった。
謝家の威光を己を守る「盾」としてではなく、保守派が築き上げた利権という名の堅城を突き崩すための「矛」として、容赦なく振るい始めたのだ。
「謝家の名に懸けて命ずる。大理寺の蔵役から、今朝出入りした雑役に至るまで、その足取りを分単位で洗い直せ。拒む者は、この謝淵明が直々に背信の罪を問う」
冷徹な宣告とともに放たれた凄まじい威圧感に、配下の者たちは、言葉を失いその場に平伏せざるを得なかった。
それはもはや上官の指示ではなく、背けば命はないという「軍令」に等しい響きを帯びていた。
淵明の峻烈な命令が下るや否や、大理寺の空気は一変した。日和見を決め込んでいた官吏たちは、戦場さながらの形相で膨大な帳簿をめくり、埃の舞う蔵へと駆け出していく。
一方で、淵明は素素を外部の目に触れぬよう薬房に留め、彼女が授ける知見を捜査の指針とした。
素素もまた、静かながらも熱い決意を瞳に宿し、毒草『碧落草』と『無影沈香』の限られた流通経路を徹底的に追及した。
「この毒の原料は、南方の限られた山域にしか自生しません。都でこれを扱う権限を持つのは、特定の御用商人のみです」
彼女が指し示したその一点は、闇に隠れていた「毒手」の正体を、一点の曇りもなく照らし出していた。
◇
夜の帳が降りた都の片隅、御用商人『万和堂』の巨大な蔵が、静寂の中にそびえ立っている。
しかし、その静寂は長くは続かない。
闇を切り裂く蹄の音が響き渡り、大理寺の精鋭たちが怒涛の勢いで蔵を完全包囲した。
淵明は、素素が特定した毒の源流を叩き潰すため、正規の手続きを待たず動いた。連れているのは法官ではなく、かつて戦場で生死を共にした、彼を「将」と仰ぐ武官たちだ。
「ここは御用達の蔵だぞ! 無礼であろう!」
色をなして立ち塞がる門番に対し、淵明は馬上で謝家の紋章が刻まれた腰牌を掲げた。
「この蔵には、朝廷の官を害した『大逆の証拠』がある。道を開けぬなら、この場にいる全員を暗殺の共犯とみなし、即刻鎮圧する。抵抗すれば、容赦はせぬ」
淵明の背後に控える精鋭たちが、一斉に抜刀した。銀色の切っ先が月光を跳ね返し、凍てつくような殺気を放つ。
「道を開けろ。それとも、主と共に刑場の露と消えるか?」
その声音に宿る、敵軍を退けてきた本物の覇気に、門番たちは腰を抜かした。震える手で差し出された鍵が、重い鉄扉を開く。
蔵の最奥、厳重に隠された木箱の中から、それは姿を現した。
釉薬に練り込まれる前の、どろりとした毒素の原液。そして、大理寺の備品と寸分違わぬ姿で「獲物」を待っていた、予備の毒入りの茶杯。
さらに淵明の目にとまったのは、隠し扉にあった一通の極秘注文書だった。そこには、朝廷の保守派重鎮の私印が、逃れようのない罪の証として鮮明に押されていた。
「……捕らえたぞ、古狸め」
淵明の瞳に、勝利の悦びはない。あるのは、ただ冷徹な正義の完遂だけだった。
彼は分かっていた。この夜の独断専行が、のちに「謝家の威光を笠に着た私兵の行使」として、朝廷で激しく糾弾されることを。
兄がどれほど奔走し、皇帝への拝謁で「これは毒物の拡散を防ぐための緊急措置であった」と命懸けの根回しを強いられることになるかも。
だが、自身の官位も、謝家での立場も、もはやどうでもよかった。
法を超えてでも、友を救い、闇を暴く。その代償としてこの身が朽ち果てるなら、それもまた本望であった。
夜明け前の冷気が、淵明の覚悟をより一層鋭く研ぎ澄ませていく。彼は手にした証拠を強く握りしめ、次なる戦地へと、再び馬を走らせた。
◇
蔵の捜索の少し前。淵明の兄が差配する謝家の情報網は、朝廷の暗部に張り巡らされた「金の糸」を手繰り寄せていた。
表の役人が決して触れることのできない、謝家秘蔵の『裏の帳簿』が、闇に眠る汚職の全貌を次々と暴き出していく。
浮上したのは、吏部尚書をはじめとする保守派重鎮たちの名だった。
彼らは南方の広大な山林開発の利権を独占し、御用商人を通じて巨額の賄賂を還流させていたのだ。
だが、彼らが何より恐れたのは金の露呈ではない。その山林から不正に運び出されていた「謎の荷」――すなわち、禁忌の毒草『碧落草』の流通と、『無影沈香』の製造であった。
(……だからこそ、私は狙われたのだ)
淵明は、押収した記録の断片を繋ぎ合わせ、戦慄した。
彼は大理寺に寄せられた細かな物流の不審点から、偶然にもこの山林の不正記録に辿り着いていた。あと一歩で核心に触れる。その直前、口封じの刃が放たれたのだ。
本来、敵の狙いは捜査を指揮する淵明を排除すること。だが、淵明の偶然の「無頓着」が周誠に毒を浴びせ、結果として、生き残った淵明という名の「復讐者」を解き放つことになった。
謝家の書庫で兄から届けられた報告書を握りしめ、淵明の瞳に冷徹な光が宿る。
汚職という私欲のために、無実の若き官吏の命を塵芥のように扱った重鎮たち。その罪状は、もはや法の一言で済まされるものではない。
素素が暴いた「毒の源流」と、謝家が突き止めた「金の流れ」。
逃れようのない二つの証拠が今、淵明の手の中で、巨大な悪を討つための「必殺の弾劾」へと姿を変えた。




