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第七話 唇に残る熱

 唇へ触れた指先が、ゆっくり離れていく。

 なのに。

 熱だけが残っていた。

 湊は息を詰めたまま、ジョージを見上げる。


 近い。

 夜の光の中で見るジョージは、昼間よりずっと危険だった。


 低い目線。

 熱を含んだ視線。

 少し乱れた呼吸。


 全部が、自分へ向いている。

「……ジョージ」

 呼んだ声が、自分でも驚くくらい弱かった。


 するとジョージが、苦しそうに目を閉じる。

「その声、反則」


「知らないし……」

 言い返すと、ジョージが小さく笑った。


 でも次の瞬間。

 その笑みが、ふっと消える。

 真剣な顔。

「湊……ちゃんと……やめるから、安心しろ」


 胸がどくりと鳴る。

「……何を」


 聞いた瞬間、ジョージがじっとこちらを見る。

「これ以上、好きになりすぎるの」


 心臓が止まりそうになる。

 ジョージは苦笑した。

「お前、無防備すぎる。そんな顔で隣いられると、本気で抱え込んで隠したくなる」

 執着。

 ジョージが自分で言っていた言葉を思い出す。

 ――好きになると執着するタイプ。

 でも、不思議と怖くなかった。


 むしろ。

 そんなふうに思われることが、少し嬉しいと思ってしまう。


「……隠すって何」

 湊が小さく笑うと、ジョージがじっとこちらを見る。


「誰にも見せたくないってこと」

 真顔だった。

「こないだも、ナンパされてるの見て普通にイラついた」


「怖」


「怖いよ、自分でも」

 ジョージは少し困ったみたいに笑う。

「お前関連になると余裕なくなる」


 胸がまた熱くなる。


 その時。

 母屋の窓がガラッと開いた。

「夜中にいちゃつくなら静かにしなー!!」

 祖母の声が飛んでくる。


「っ!!」

 湊は一気に現実へ引き戻された。

「い、いちゃついてない!!」


 叫ぶと、ジョージが隣で吹き出す。

「ばあちゃん、勘鋭いな」


「笑い事じゃないから!」

 恥ずかしさで死にそうだった。


 すると祖母が窓から顔だけ出してニヤニヤしている。

「若いねぇ」


「違うってば!!」


「はいはい。ほどほどにしな」

 窓が閉まる。


 静寂。

 そして次の瞬間。


 ジョージが堪えきれないみたいに笑い始めた。

「っ、はは……」

 低い笑い声が夜へ溶ける。


「もう最悪……」

 湊は顔を覆った。

 でも。

 ジョージがこんなふうに笑っているのを見ると、不思議と自分まで笑ってしまう。


「……湊」

 笑いながら、ジョージが名前を呼ぶ。


「ん?」


「たぶん俺、今年の夏、一生忘れない」


 その言葉に。

 湊の胸は、静かに熱を帯びていった。


 


 


 “今年の夏”。

 その言葉が、なぜか少し切なく響いた。


 夏は終わる。


 当たり前だけど。

 ずっと続くわけじゃない。


「……まだ夏始まったばっかじゃん」

 誤魔化すみたいに言うと、

 ジョージが少し笑う。

「そうなんだけどな……もう十分、特別」


 心臓がまた大きく鳴った。

 湊は耐えきれなくなって視線を逸らす。

 こんなの反則だ。


 真正面から好意を向けられるたび、頭がおかしくなる。


 するとジョージが、ふと海のほうを見る。

「お盆過ぎたらごろ、花火大会だろ」


「あー、うん」

 この町で一番大きなイベント。

 海辺一帯が人で埋まり、ナイトプールも特別営業になる。

「毎年すごい人だよ」


「湊は?」


「え?」


「誰かと行くの」


 その質問に、湊は少し考えてから首を振った。

「基本、仕事」

「終わったあと適当に見るくらい」


 祖母の店はかき入れ時だ。

 毎年、花火どころじゃない。


 するとジョージが静かに言った。

「じゃあ今年は、一緒に見よう」


 胸が跳ねる。

「……仕事終わったらな」


 さらっと続けられた言葉に、少しだけ安心する。

 でも同時に、期待してしまう自分がいた。

 ジョージと花火。

 想像しただけで、落ち着かなくなる。


 するとジョージが、ふっと目を細めた。

「浴衣着る?」


「は!?」


「似合いそう」


「着ない!」


 即答すると、ジョージが吹き出した。

「なんで」


「絶対目立つ!」


「もう十分目立ってる」


「ジョージのせいだろ!」

 毎日一緒にいるせいで、最近やたら周囲の視線を感じる。

 特に女の子たち。


 “あのイケメン誰?”

 “彼氏?”


 勝手に騒がれて、そのたびに心臓に悪い。

 するとジョージが、少しだけ真面目な顔になる。

「……嫌か」


「え?」


「俺といるの」


 その聞き方が、思ったより静かで。

 湊は一瞬、言葉に詰まる。


 嫌なわけない。

 むしろ。

 ジョージといる時間が、今の夏で一番好きになっている。


 夜の散歩も。

 くだらない会話も。

 名前を呼ばれることも。

 全部。


「……嫌じゃない」

 小さく答える。


 するとジョージの表情が、ふっと緩んだ。

「よかった」


 その顔が、あまりにも嬉しそうで。

 湊の胸はまた苦しくなる。


 ジョージはそっと立ち上がった。

「もう寝ろ、明日倒れるぞ」


「倒れないし」


「信用ない」


「ひど」

 笑いながら返す。


 ジョージは離れの階段を降りかけて、ふと振り返った。

 夜風で髪が揺れる。


 「……花火、楽しみにしてる」

 明るく響く声。

 それだけ残して、ジョージは夜の闇へ消えていった。


 湊はしばらく、その背中を見送っていた。

 胸の奥が熱い。


 今年の花火大会。


 たぶん。

 自分も、少し楽しみにしてしまっている。

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