第五話 君と僕と
その夜。
布団へ入っても、なかなか眠れなかった。
扇風機が回る音。
窓の外の波音。
遠くで聞こえる、ナイトプール帰りの若者たちの笑い声。
いつもと同じ夜。
なのに。
“俺のこと、男として見てる?”
ジョージの声が、頭から離れない。
「……無理」
顔を覆う。
あんな真っ直ぐ聞かれると思わなかった。
しかも。
可能性あるんだな、って。
あれじゃまるで――。
「……いや、まるでじゃなくて、そういうことなんだけど」
そこまで考えて、また顔が熱くなる。
ジョージは本気だ。
からかってるわけじゃない。
それがわかるから、余計に困る。
「……男なのに」
ぽつりと呟く。
でも、不思議だった。
嫌悪感はない。
むしろ。
ジョージに近づかれると、安心する。
名前を呼ばれると、嬉しい。
触れられると、落ち着かないのに、もっと触れてほしいと思ってしまう。
「……終わってる」
枕へ顔を埋めた瞬間。
――コンコン。
窓が叩かれた。
「うわっ!?」
飛び起きる。
恐る恐るカーテンを開けると、案の定だった。
「……なんでいるの」
窓の外で、ジョージが少し笑う。
「眠れない顔してた」
「見えるわけないだろ」
「なんとなく」
なんだそれ。
でも、少しだけ笑ってしまう。
ジョージは窓枠へ腕を乗せながら、静かに湊を見る。
「ちょっと散歩行く?」
夜風が吹く。
遠くのプールのライトが揺れている。
湊は少し迷ったあと、小さく頷いた。
◇
夜の施設周辺は、昼間とは別世界だった。
閉園後のプール。
人のいない流れるプール。
静かな水面。
ライトだけが水へ反射している。
「綺麗……」
思わず呟く。
ジョージが隣で少し笑った。
「初めて見た?」
「いや、毎年見てる」
でも今年は違って見えた。
隣にジョージがいるからだ。
二人は並んで歩く。
潮風が気持ちいい。
やがてプールエリアを抜け、人気のない浜辺へ出る。
夜の海は静かだった。
波が寄せては返す音だけが、ゆっくり響いている。
その時。
ジョージがふと足を止めた。
「ん?」
見ると、砂浜へしゃがみ込んでいる。
大きな指先が、波打ち際の何かを拾い上げた。
「シーグラス」
月明かりに照らされた小さな欠片は、深い青色をしていた。
角が丸く削れていて、海の中で長い時間を過ごしてきたのがわかる。
ジョージはそれを指先で転がしながら、静かに笑った。
「……お前みたい」
「は?」
思わず変な声が出る。
ジョージは海を見ながら続けた。
「最初はもっと尖ってたんだろうなって」
低い声。
「でも、無理やり削られて丸くなった感じ」
胸が、少し痛んだ。
ジョージは、湊のほうを見る。
「なのに、ちゃんと綺麗だからずるい」
波の音が響く。
湊は何も言えなかった。
そんなふうに言われたこと、一度もなかったから。
“可愛い”とか、“目立つ”とか。
表面だけの言葉は慣れている。
でもジョージは、もっと奥を見てくる。
平気なふりをして削れてきた部分まで。
それごと綺麗だと言う。
「……ずるいの、そっちだし」
やっとそれだけ返すと、ジョージが小さく笑った。
そして、拾ったシーグラスを湊の手のひらへ乗せる。
「やる」
「え」
「失くすなよ」
その言い方が妙に優しくて、胸の奥がじんわり熱くなる。
湊はシーグラスを握り込んだ。
ひんやり冷たい。
でも、その奥に、どこか熱が残っている気がした。
「将来、何したいとかある?」
突然の質問だった。
湊は少し考える。
「……わかんない」
本音だった。
考えたことがない。
どうせ父に決められると思っていたし、自分で未来を選ぶ感覚がなかった。
するとジョージが静かに言う。
「もったいない」
「え」
「お前、ちゃんと好きなこと見つけたら、絶対強い」
胸が少し熱くなる。
そんなふうに言われたこと、なかった。
ジョージは海のほうを見る。
「俺さ」
と低い声。
「子どもの頃、日本も海外もどっちも中途半端で……どこいても浮いてた」
意外だった。
ジョージは、どこにいても目立つタイプだと思っていたから。
「だから、居場所ない感じわかる」
その言葉に、湊は足を止める。
ジョージも立ち止まった。
夜風で髪が揺れる。
「……俺、そんな顔してる?」
聞くと、ジョージは少しだけ目を細めた。
「してる」
即答だった。
「ずっと、一人で平気なふりしてる顔」
胸の奥がじわりと痛む。
図星だった。
するとジョージが、そっと湊の頬へ触れた。
大きな手。
あたたかい。
「でも俺、お前にそういう顔させたくない」
低く、静かな声。
真っ直ぐな目。
その瞬間。
トクン
湊の心臓が、苦しいくらい鳴った気がした。
◇
頬へ触れたジョージの手は、驚くほど優しかった。
逃げようと思えば逃げられるくらいの力。
なのに。
湊は動けなかった。
夜の海風。
波の音。
遠くのライト。
全部がぼやけるくらい、ジョージの目しか見えない。
「……そんな顔しないで」
やっと出た声は、情けないくらい小さかった。
ジョージが少し眉を寄せる。
「どんな顔」
「……優しい顔」
言った瞬間、自分でも何を言ってるんだと思った。
でもジョージは笑わなかった。
むしろ、少し苦しそうに目を細める。
「優しくしたい」
低く切ない声。
「お前には」
胸がどくんと跳ねる。
湊は慌てて視線を逸らした。
「……ずるい」
「何が」
「そういうこと普通に言うとこ」
ジョージが低く笑う。
「我慢してるほうなんだけど」
「今ので!?」
思わず振り返く。
するとジョージは、少しだけ肩を竦めた。
「これ以上言うと、本気で引かれそうだから」
「……引かないし」
反射的に言ってしまってから、湊は固まった。
ジョージも一瞬止まる。
夜風が吹く。
静かな沈黙。
やってしまった。
でも、もう遅い。
ジョージはゆっくり湊を見る。
「引かないんだ」
低く弾む声。
逃げ道を塞ぐみたいな声だった。
湊は顔が熱くなるのを感じながら、唇を噛む。
「……わかんないけど」
正直に言うしかなかった。
「でも、ジョージに触られるの嫌じゃない」
言葉にした瞬間、心臓が跳ねる。
ジョージの目が、わずかに揺れた。
「それ、結構やばい」
掠れた声。
「……何が」
「理性」
意味を理解した瞬間、湊の顔が一気に熱くなる。
「っ、変なこと考えてる!?」
「男だからな」
さらっと返される。
「お前こそ危機感なさすぎ」
「だ、だってジョージだし……」
そこまで言って、また止まる。
ジョージだから。
その言葉が、自分の中ですごく自然に出たことに驚いた。
ジョージは少しだけ目を見開く。
「……それ反則」
「え?」
「信用されると弱い」
ジョージは苦笑しながら、そっと手を離した。
急に離れる熱。
それが妙に寂しくて、湊は自分でも驚く。
するとジョージが、少し距離を取るみたいに海のほうへ歩き出した。
「帰るか」
「……うん」
二人並んで歩く。
でもさっきまでとは違った。
空気が熱い。
隣を歩くだけで、心臓が落ち着かない。
すると。
「湊」
また名前を呼ばれる。
「なに」
ジョージは前を向いたまま、小さく笑った。
「たぶん俺、思ったより重いから気をつけろ」
「……は?」
「好きになると執着するタイプ」
あまりにも真顔で言うから、湊は吹き出した。
「何それ、自分で言う?」
「警告」
「遅いよ」
そう返した瞬間。
ジョージが、ふっと嬉しそうに笑った。
その顔を見た瞬間。
湊は、自分がもうかなり手遅れなことに気づき始めていた。




