第四話 夜の潮風にのせて
ある日の閉店後。
昼間の熱気が嘘みたいに、海風は涼しかった。
施設のライトだけが夜の水面を照らしている。
湊は離れの縁側へ座り込み、アイスを咥えながらぼんやり空を見上げていた。
疲れた。
でも、嫌な疲れじゃない。
ジョージが来てから、毎日が妙に騒がしい。
静かだった夏が、少しずつ変わっていく。
「……何考えてんの」
突然、頭上から低い声が降ってきた。
「うわっ」
顔を上げると、ジョージがいた。
黒いTシャツにラフな短パン。
その格好ですらやたら絵になるから腹が立つ。
「びっくりした……」
「ぼーっとしてるから」
ジョージはそのまま縁側へ腰を下ろした。
肩が触れそうな距離。
近い。
でも、もう昼間みたいには嫌じゃなかった。
「アイス食う?」
湊が聞くと、ジョージは少し笑う。
「一口くれ」
「やだ」
即答。
「ケチ」
「自分のがあるだろ」
「お前のがいい」
さらっと言うな。
湊はむっとしながらアイスを齧る。
するとジョージが、じっとこちらを見ていた。
「……何」
「まえに言われた……」
低い声。
「彼氏じゃないって、あんな全力で否定されると結構へこむ」
「っ」
湊は一気に顔が熱くなる。
「だ、だって実際そうだろ!」
「今はな」
即答だった。
意味を理解した瞬間、心臓が跳ねる。
ジョージは視線を外さない。
夜のせいか、その目は昼間よりずっと熱っぽかった。
「俺は、そのつもりだけど」
真っ直ぐすぎる。
湊は息が詰まった。
「……ジョージって、そういうの普通に言うよね」
「駆け引き苦手」
「そういう問題じゃなくて……」
言葉が続かない。
こんなふうに真正面から好意を向けられたことなんてない。
しかも相手は男で。
年上で。
保護者とかいう立場で。
なのに。
嫌じゃない。
それどころか、胸の奥がじわじわ熱くなる。
ジョージは少しだけ身体を寄せた。
「湊」
名前を呼ばれる。
それだけで、心臓が苦しい。
「俺、お前のことかなり好きかもしれない」
夜風が吹く。
遠くで波の音がした。
湊は何も言えなかった。
ジョージの声は、冗談を言っている声じゃなかった。
真剣で。
優しくて。
少し苦しそうで。
まるで、ずっと我慢していたみたいな声だった。
「……なんで」
やっと絞り出した声。
「まだ会ってそんな経ってないのに」
するとジョージは、小さく笑った。
「俺も意味わかんない」
その笑い方が、妙に大人だった。
「でも、お前見てると放っとけない」
静かな声。
「一人で平気な顔してるくせに、すげぇ寂しそうだから」
胸の奥を掴まれた気がした。
湊は視線を逸らす。
「……勝手に決めつけんな」
すると。
ジョージの手が、そっと湊の頭へ触れた。
大きな掌。
優しく髪を撫でられる。
「決めつけじゃない」
低い声。
「ちゃんと見てる」
その瞬間。
湊は、自分の中の何かが静かに揺れるのを感じた。
◇
頭を撫でられる感覚なんて、いつぶりだろう。
子どもの頃、母にされた記憶がぼんやりあるくらいだった。
だから。
ジョージの大きな手は、妙に落ち着かなくて。
でも、離れてほしくなかった。
「……子ども扱い」
照れ隠しみたいに呟く。
するとジョージが少し笑った。
「高校生はまだ子ども」
「ジョージいくつ」
「二十五」
「うわ、大人」
「その反応ひどくない?」
湊は小さく吹き出した。
するとジョージが、少しだけ目を細める。
「やっと笑った」
「……え」
「昼間からずっと変な顔してた」
図星だった。
湊は気まずくなってアイスへ視線を落とす。
「別に」
「俺に気使った?」
静かな声。
湊は答えられなかった。
彼氏じゃない、と否定した時のジョージの顔。
あれが妙に引っかかっていた。
するとジョージが、小さく息を吐く。
「ごめん」
「なんでジョージが謝るの」
「困らせた…………お前、そういうつもりじゃないのに」
その言い方が、少し寂しそうだった。
胸がきゅっと痛む。
湊は慌てて口を開く。
「……嫌だったわけじゃない」
ジョージがゆっくりこちらを見る。
「その……びっくりしただけで」
顔が熱い。
何言ってるんだろう。
でも、ちゃんと伝えたかった。
「ジョージ、距離近いし」
「急に変なこと言うし」
「心臓に悪いっていうか……」
そこまで言ったところで。
ジョージが、ふっと笑った。
「心臓に悪いんだ」
「っ……!」
しまった。
湊は勢いよく顔を逸らす。
絶対今、面白がってる。
するとジョージが、少し身体を寄せた。
「湊」
近い距離で声がする。
「俺のこと、男として見てる?」
一瞬、呼吸が止まった。
夜風が吹く。
波の音がやけに大きく聞こえる。
ジョージは逃がさないみたいに、真っ直ぐこちらを見ていた。
「……わかんない」
やっと出た声は、情けないくらい小さい。
「男とか、そういうの……考えたことないし」
本当だった。
恋愛なんて、ちゃんと考えたことがない。
どうせ最後は離れていく。
そう思っていたから。
するとジョージは、少しだけ安心したように笑った。
「そっか」
「……何その顔」
「いや」
ジョージは視線を海へ向ける。
「可能性あるんだなって」
胸がどくんと鳴る。
その時だった。
母屋のほうから祖母の声が飛んできた。
「湊ー!!」
「なにー!」
「ジョージくんに変なことしてないだろうね!?」
「してない!!」
反射的に叫ぶ。
すると隣で、ジョージが吹き出した。
「普通逆じゃない?」
「うるさい!」
顔が熱すぎて死にそうだった。
でも。
ジョージの笑い声を聞いていると、不思議と胸の奥があたたかくなる。
離れの小屋。
潮風。
夜の海。
毎年変わらないはずだった夏が、少しずつ形を変え始めていた。




