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第三話 夏の日差しにあてられて

 翌朝。

 蝉の声で目が覚めた。

 窓の外は快晴。

 カーテン越しに、強い朝日が差し込んでいる。


 「……あっつ」

 湊はぼんやり起き上がり、髪を掻き上げた。

 昨日のことを思い出す。

 父の話。

 もう一つの家庭。

 そして――ジョージ。

 狭い離れで、ラムネを飲んだ夜。

 思い返した瞬間、妙に落ち着かない気分になる。


「なんなんだよ、あの人……」

 怖そうなくせに、やたら距離が近い。

 でも嫌じゃなかった。

 むしろ、初対面なのに不思議なくらい自然だった。


 その時。

「湊ー!!」

 祖母の大声が飛んでくる。

「朝から団体来てるよー!!」


「今行くー!」

 慌てて着替え、離れを飛び出す。

 母屋を抜けて店先へ向かった瞬間。

 「うわ」


 思わず足が止まった。

 人が多い。


 夏休み最初の大型連休。

 店の前にはすでに長蛇の列ができていた。


 浮き輪。

 ビーチボール。

 ゴーグル。


 祖母一人では完全に回っていない。

「湊! そっちレジ!」


「はいはい!」

 慌ててカウンターへ入る。


「こちら千二百円です」

「更衣室はあっちになります」

「パラソル返却は夕方までにお願いします」


 接客を回していると、突然、周囲がざわついた。

「え、誰あれ」

「やば……」

「モデル?」


 嫌な予感がして振り返る。

 案の定だった。

 ジョージがいた。

 黒いタンクトップ。

 サングラス。

 腕には大量の浮き輪。

 完全に周囲から浮いている。

 なのに本人は無自覚そうだった。


「湊、これどこ置く?」


「その辺!」


「雑」


「いいから早く!」


 女子大生グループの視線が、一斉にジョージへ集まる。

 でもジョージは、ちらりと見るだけで興味なさそうだった。

 そのまま真っ直ぐ湊のほうへ来る。

「朝飯食った?」


「は?」


「顔色悪い」


「普通だし」


「絶対食ってないだろ」


 図星だった。

 忙しくてゼリー飲料しか口にしていない。


 ジョージは小さくため息を吐くと、コンビニ袋を差し出した。

「サンドイッチ」


「……なんで」


「ばあちゃんに聞いた」


 余計なことを。

 でも、ほんの少しだけ嬉しい。


 湊は袋を受け取る。

 するとジョージが、自然な動作で湊の額へ手を当てた。

「熱中症なりそう」

 ひや、とした掌。

「っ」

 一瞬、心臓が跳ねた。


 近い。

 サングラス越しでもわかるくらい、ジョージの目が真っ直ぐこちらを見ている。


「ちゃんと休め」

 低い声。

「倒れたら困る」


その言い方が妙に優しくて、湊は返事に詰まる。


すると近くにいた女子たちが、小さく悲鳴を上げた。

「やばくない!?」

「距離近っ」

「彼氏!?」


「違います!」

 思わず全力で否定する。


 その瞬間。

 ジョージが、ぴたりと動きを止めた。

 ほんの一瞬。


 でも、空気が変わった気がした。


「……そう」

 低い声。

 笑っているのに、どこか寂しそうだった。


 胸が、妙にざわつく。

「いや、そういう意味じゃ……」

 慌てて言いかけたところで、


「湊ー! 追加の浮き輪!」

 祖母の声が飛んできた。


「っ、今行く!」

 逃げるみたいに走り出す。


 でも。

 背中に残ったジョージの視線が、なぜかずっと気になっていた。



 昼過ぎ。

 太陽は真上に上がり、アスファルトが焼ける匂いがしていた。

 店の忙しさはピークだった。


「浮き輪返却こっちでーす!」

「パラソルあと二本!」

「君……写真撮ってもいい?」


「仕事中なんで!」

 汗だくになりながら動き回る。

 なのに今日は、妙に落ち着かなかった。

 朝のジョージの顔が、ずっと頭に残っている。


 “そう”

 あの時の声。

 別に、傷つけるつもりじゃなかった。


 でも。

 彼氏じゃない、と否定した瞬間。

 ジョージの目が少しだけ寂しそうだった。


「……なんで気にしてんだろ」

 自分でも意味がわからない。


 その時。


「お兄さん」

 知らない男に声をかけられた。


 大学生くらい。

 金髪。

 軽そうな笑顔。

「さっきから気になってたんだけど、終わったあと遊ばない?」


 ナンパだ。

 夏になると、たまにある。

 湊は慣れたように笑った。

「ごめんなさい、忙しいんで」


「ちょっとくらい平気じゃん」

 男が距離を詰めてくる。

 少しだけ、嫌な感じがした。


 すると。

「――離れて」

 低い声。

 空気が、一瞬で変わる。

 男の肩を掴んだのは、ジョージだった。

 笑っていない。

 サングラス越しでもわかるくらい、目が冷えている。


「……何」

 ナンパ男がムッとする。


 ジョージは静かな声で言った。

「嫌がってる」


「別に普通に話してただけ——」


「近い」

 低く落ちた声に、男が一瞬怯む。


 ジョージはそのまま自然に湊の前へ立った。

 完全に庇う姿勢。

 広い背中。

「行け……」

 その一言だけで、男は舌打ちしながら去っていく。


 周囲の空気がざわつく。

「やば……」

「怖……でもかっこよ」

 女子たちの声が聞こえた。


 でもジョージは周囲なんて見ていなかった。

 真っ直ぐ湊を見る。

「大丈夫か」

 さっきまでの冷たい空気が嘘みたいに、優しい。


「……うん」

 湊は少しだけ息を吐く。

 不思議だった。

 ジョージが来た瞬間、安心してしまった。

 それが妙に悔しい。


 するとジョージが、ふっと眉を寄せる。

「なんで一人で対応してる」


「仕事だから」


「俺呼べ」


「いちいち?」


「呼べ」

 真顔だった。


 湊は思わず吹き出す。

「過保護」


 するとジョージは、少し黙ったあと、ぼそりと言った。

「……心配なんだよ」


 胸が、どくりと鳴る。


 ジョージは気まずそうに視線を逸らした。

「お前、危機感なさすぎる」


「普通だし」


「普通じゃない」

 即答だった。

「可愛いって自覚ないだろ」


「っ……!」

 顔が熱くなる。

「な、何言ってんの……」


「ほんとのこと」

 低い声。

 しかも真顔。

 耐えられなくなって、湊は顔を逸らした。


 その時だった。

「湊ー!」

 祖母がニヤニヤしながらこちらを見ている。

「青春してる暇あるなら働きなー!」


「してない!!」

 湊の叫び声と、ジョージの低い笑い声が、夏の空へ溶けていった。

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