第十一話 自分で決める
湊は涙でぐしゃぐしゃのまま笑った。
「……知ってる」
するとジョージが、少しだけ目を細める。
その顔があまりにも優しくて、また胸が熱くなる。
抱き締められたまま、二人はしばらく動けなかった。
波の音。
潮風。
遠くで揺れるナイトプールの灯り。
浜辺を歩くときはいつも、自分は一人だった。
寂しくて。
どこにも居場所がなくて。
でも今は違う。
「……ジョージ」
胸へ額を押しつけたまま、湊が小さく呼ぶ。
「ん?」
「俺、もう逃げたくない」
ジョージの腕が少し強くなる。
でも、今度の湊はその腕へ寄りかかるだけじゃなかった。
ゆっくり顔を上げる。
「今までずっと、誰かに決められてた」
震える声。
でも、その目はもう逸れていない。
「父さんに言われた学校行って」
「空気読んで」
「面倒かけないようにして」
夜風が吹く。
「寂しくても、平気なふりして」
「どうせ最後は離れてくからって、最初から諦めてた」
ジョージが静かに聞いている。
湊は唇を噛み、それでも続けた。
「でも、今回は嫌だ」
その声には、はっきり熱があった。
「好きだから離れたくない」
「それを、勝手に“終わり”にされたくない」
ジョージの目が揺れる。
湊はまっすぐ見返した。
「俺、自分で決める」
「父さんともちゃんと話す」
「逃げない」
それは、誰かに守られるだけの言葉じゃなかった。
自分の人生を、自分で掴みにいく声だった。
ジョージはしばらく何も言わなかった。
やがて、困ったみたいに笑う。
「……ほんと、強くなったな」
「誰のせいだと思ってんの」
涙声のくせに、湊は少し笑った。
するとジョージが、愛しそうに目を細める。
「でも、約束する」
低い声に硬い意志が宿る。
「俺は、お前の人生壊さない」
胸が熱くなる。
ジョージは続けた。
「お前がやりたいこと、ちゃんとできるようにしたい」
「大学も」
「将来も」
真っ直ぐな目だった。
「俺といることで、お前の世界を狭くしたくない」
その言葉に、湊は一瞬泣きそうになる。
ジョージはいつもそうだ。
欲しいだけじゃない。
ちゃんと、“その先”まで見てくれる。
「……ジョージ」
「ん?」
「それ、反則」
ジョージが低く笑った。
「お前が泣かせるからだろ」
その時。
「……いたいた」
間延びした声が響いた。
二人同時に振り返る。
そこにいたのは、祖母だった。
「ば、ばあちゃん!?」
「青春してるねぇ」
呆れたように笑いながら、祖母は浜辺へ降りてくる。
湊は一気に顔が熱くなった。
「なんでいるの!?」
「迎えに来たんだよ。あんたサンダル片方しか履いてないだろ」
言われて気づく。
本当だ。
走ってる途中で片方脱げていたらしい。
ジョージが吹き出した。
「……っ、はは」
「笑うな!!」
恥ずかしさで死にそうになる湊を見て、祖母が肩を竦める。
「ま、よかったよ」
その声は、驚くほど優しかった。
「またあの離れで、一人泣いて終わるのかと思ったからねぇ」
湊は少し黙る。
でも、今は違った。
泣いて終わるだけじゃない。
ちゃんと、自分で掴みに行く。
その気持ちが、胸の中にあった。
◇
その夜。
三人で日吉家へ戻る道は、不思議なくらい穏やかだった。
祖母は途中から何も言わず、少し前を歩いている。
たぶん、気を遣ってくれているのだ。
湊は隣を歩くジョージを見る。
「……俺、ちゃんと父さんと話す」
ジョージが視線を向ける。
湊は続けた。
「今まで、父さんに逆らうの怖かった」
「でも、もう“仕方ない”で終わらせたくない」
自分でも不思議だった。
怖いのに。
逃げたいのに。
でも、それ以上に。
失いたくなかった。
ジョージも。
自分自身も。
ジョージは静かに頷く。
「うん」
「ジョージはさ」
「ん?」
「俺のこと庇って、全部自分で背負おうとすんなよ」
するとジョージが少し目を見開いた。
湊は真っ直ぐ言う。
「これは俺の人生でもあるから」
その瞬間。
ジョージが、どうしようもなく嬉しそうに笑った。
「……敵わねぇな」
◇
翌日。
空は快晴だった。
なのに、日吉家の空気は静かだった。
父が来ることになっていたからだ。
母屋の居間。
祖母。
父。
湊。
ジョージ。
重たい沈黙。
最初に口を開いたのは湊だった。
「父さん」
父が顔を上げる。
湊は、逃げずにその目を見た。
「昨日、父さんの言ってることも考えた」
静かな声。
「普通じゃないってことも」
「簡単じゃないってことも」
父は黙っている。
湊は続けた。
「でも、それでも、自分で決めたい」
胸が熱い。
怖い。
でも、もう誤魔化したくなかった。
「俺、今までずっと“父さんが正しい”で生きてきた」
「でも、自分がどうしたいか、ちゃんと考えたことなかった」
息を吸う。
「ジョージと会って、初めて考えたんだ」
「どう生きたいか」
静かな部屋へ声が落ちる。
「だから、自分で選びたい」
父はしばらく何も言わなかった。
やがて視線をジョージへ向ける。
「黒瀬」
「はい」
「お前はどうするつもりだ」
ジョージは真っ直ぐ父を見返した。
「俺は、湊の将来を壊すつもりはありません」
揺るがない声だった。
「むしろ、応援したいと思っています」
父の眉がわずかに動く。
ジョージは続ける。
「大学へ進んでほしい」
「ちゃんと、自分のやりたいことを見つけてほしい」
そして。
一瞬だけ湊を見る。
「その上で、隣にいたい」
胸が熱くなる。
ジョージは、湊を閉じ込めようとしていない。
ちゃんと、未来へ送り出そうとしてくれている。
「隠れて関係を続けるつもりもありません」
「湊が後ろめたさを抱える形にはしたくない」
静かな声。
でも、本気だった。
父は長く黙っていた。
重たい沈黙。
やがて、深く息を吐く。
「……本当に面倒な男だなお前たちは」
その瞬間。
祖母が吹き出した。
「頑固なのは血筋だねぇ」
少しだけ空気が緩む。
父は疲れたように額を押さえたあと、小さく言った。
「……自分の人生なら、自分で責任を持て」
その言葉に。
湊は、自分の胸の奥が静かに変わるのを感じた。
誰かに与えられる人生じゃない。
自分で選び取る人生。
その第一歩を、今やっと踏み出した気がした。




