第8話 辺境伯との昼食
翌日。
ゼスト・マクシムは、マクスウェル辺境伯の屋敷を訪れていた。
ルカリスの街の北側。
小高い丘の上に、その屋敷は建っていた。
白灰色の石材で組まれた外壁。均整の取れた尖塔。手入れの行き届いた庭園。
門から玄関まで続く道には、季節の花が植えられており、噴水まである。
王都の貴族街にあっても見劣りしないどころか、むしろ辺境の広い土地を活かした分、屋敷全体に伸びやかな迫力があった。
屋敷の中もまた、見事だった。
磨かれた大理石の床。高い天井から吊るされた硝子の照明。
壁には歴代当主の肖像画が並び、廊下には魔物の角や古い剣が飾られている。
この屋敷の主は、見栄だけでこれを維持しているわけではない。領民に、他領に、そして王都に対して、マクスウェル家は健在であると示すための装置なのだろうと、ゼストは思った。
やがて、案内されたのは庭に面した食堂だった。
大きな窓から陽光が差し込み、白いテーブルクロスの上には銀の食器が並んでいる。
そこに一人の男がいた。
ゼストは一瞬、意外に思った。
辺境伯というから、てっきり白髭を蓄えた老齢の男が出てくるものだと思っていたが、目の前にいる人物は、どう見ても三十代ほどだった。
落ち着いた栗色の髪。整った顔立ち。
上質な服を着こなし、物腰には柔らかさがある。
「よく来てくれたね、ゼスト・マクシム」
男は立ち上がり、穏やかに微笑んだ。
「私がエイド・マクスウェル。このマクスウェル辺境伯領を預かる者だ」
「銀鍵同盟のゼスト・マクシムです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「そう固くならなくていい」
エイドは椅子を示した。
「今日は昼食でも摂りながら、少し話をしよう」
テーブルには、焼きたての白パン、香草を添えた魚料理、野菜のポタージュ、薄く切られた燻製肉、果実の水煮が並んでいた。
ゼストは内心、少しだけ感動した。
ここ最近の食事といえば、薄い野菜スープと堅い黒パンが中心だった。
レスターの料理は美味いが、食材の質と量には限界がある。
目の前の料理は、久しぶりに豊かと言える食事だった。
「遠慮せず食べてくれ」
「では、いただきます」
ゼストは礼を言い、スープを口に運ぶ。
――美味すぎるッ!
思わず涙が出そうになるゼストだったが、慌てて平然を装う。
「君がこの領に来たことは、もちろん把握していたのだが……」
エイドは食事を進めながら、穏やかに切り出す。
「街で少々面白い噂を耳にしてね」
ゼストは苦笑した。
「元Sランク勇者が、日雇いで食いつないでいるらしい、ですか?」
「その通り」
「嗤われた甲斐がありますね」
ゼストは皮肉っぽく言った。
自分の不名誉がこうして招待状に繋がったのなら、全くの無駄ではない。
エイドは少し楽しそうに目を細める。
「率直に言おう。私は君個人になら支援してもいいと考えている」
エイドは続ける。
「プロライセンスを剥奪されたとはいえ、君の実力が失われたわけではない。むしろ辺境において、君ほどの戦力は貴重だ。必要な範囲で支援しよう」
一瞬、ゼストの脳裏にまぶしい未来が広がったが、『それでは駄目だ』と、すぐに思い直した。
今のゼストは『パーティの戦い方』を知るべく、銀鍵同盟の一員として動いている。
ここで自分だけが支援を受け取れば、根本がズレてしまう。
「ありがたいお話ですが、お断りします」
ゼストはハッキリと言った。
エイドの表情が、ほんのわずかに動く。
初めて、予想外の反応を受けた顔だった。
「理由を聞いても?」
「私個人への支援では、意味がないからです」
ゼストはナイフとフォークを置き、正面からエイドを見た。
「もしスポンサードしてくださるなら、私個人ではなく、銀鍵同盟にお願いします」
常識的に考えれば、Fランクパーティにスポンサードする意味はない。
ゼスト自身、自分が図々しくも無茶な願いを口にしていることは分かっていた。
それでも……。
「――私たちは、半年以内に必ずCランクへ到達します。あえて言います。これは青田買いのチャンスです」
エイドの目がわずかに細くなる。
「随分と大きく出たね。その自信はどこから?」
「私がゼスト・マクシムであるから、では不十分でしょうか?」
ゼストは平然と言った。
それは傲慢にも聞こえる言葉だったが、単なる自信過剰ではない確信があった。
「『辺境伯は、更迭された元Sランク勇者を見捨てず、Fランクの若者たちを無名の頃から支えた慧眼の持ち主』……俺たちが半年でCランクに駆け上がれば、この物語は必ず広まります」
ゼストは言葉を続ける。
「そのとき、マクスウェル辺境伯家の株は上がります。領民からも、勇者協会からも、他領からも」
エイドは表情を変えない。
「さらに言えば――」
ここから先は、踏み込みすぎるかもしれない――だが、交渉とは踏み込まなければ進まない。
ゼストは一呼吸置いて口を開く。
「――将来、マクスウェル家が王国から独立する際にも、民意を得やすくなる」
食堂の空気が、静かに張り詰めた。
使用人の動きが止まる。
エイドは表情を変えなかったが、無言の圧が少しだけ増した。
「……なぜ、その話を?」
声は穏やかだった。
しかし、そこに含まれた重みは明らかに先ほどまでと違っていた。
「この一週間、市場、倉庫、井戸、下水……いろんな場所で、街に生きる人たちと一緒に働いたんです」
肉体労働はきつかった。嘲笑も受けた。
だが、その代わりに得たものがある。
『役所の旗が王国旗からマクスウェル家の紋章に変わったよな』
『王国軍の駐留部隊より、領主直属部隊の方が街中でよく見るようになった』
『最近、王都の徴税官が門前払いされたらしい』
街の空気、人々の本音、酒場や市場で交わされる噂。
これらは貴族や協会の報告書には載らない、生きた情報だった。
「もちろん噂ですし、確証はありません。お立場上、否定も肯定もできないでしょう。だから、今から言うのは私の独り言だと思って聞いてください」
ゼストは咳払いしてから口を開く。
「――辺境伯が支援してくれれば、何かあったとき、銀鍵同盟はマクスウェル家側に付くのになー! 何かあったら、マクスウェル家の威信を示す広告塔になってみせるのになー!」
エイドはポカンとして、しばらくゼストを見つめ……やがて、大きく笑った。
それまで張りつめていた空気が一気にほぐれる。
「……いいだろう! 銀鍵同盟へのスポンサードを認めようじゃないか」
ゼストは思わず身を乗り出した。
「本当ですか!?」
「まずは月に銀貨百枚で手を打とう」
ゼストの目が見開かれる。
銀貨百枚=銅貨一万枚。
Fランク勇者の日雇い収入で考えれば、破格の支援だった。
それだけあれば、四人分の最低限の生活費と訓練時間の確保には十分。
無茶な日雇い労働から解放され、装備の修理や食事の改善も期待できる。
「ただし、結果が出なければ容赦なく打ち切る。支援している事実を公表する時期も、こちらで判断する。現段階では水面下の支援だ」
エイドは微笑んだ。
穏やかだが、試すような笑みだった。
「半年以内にCランク、だったね……ならば、その道筋を見せてもらおう」
ゼストは椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「必ず、ご期待以上の結果を出します」
「うん。これからよろしく頼むね」
こうして、銀鍵同盟は初めてのスポンサーを得た。
月に銀貨百枚。
それはゼストが日雇いで泥にまみれ、街に嗤われ、それでも拾い集めた情報が生んだ成果だった。
屋敷を出る頃、空はよく晴れていた。
丘の上からは、ルカリスの街が一望できる。
この一週間、自分が働き回った場所が、どこか違って見えた。
ゼストは懐に入れた支援契約書を軽く叩く。
――準備は整ったな。




