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第7話 噂される元Sランク勇者

 夕方。


 作業を終えたゼストは、下水道の入口近くでぐったりと座り込んでいた。

 服は汚れ、髪は乱れ、顔には疲労が滲んでいる。


 もはや元Sランク勇者の面影は薄い。

 あるのは、一日中下水と格闘した労働者の姿だった。


「ほらよ」


 親方が、布袋を差し出してくる。

 ゼストは力なく受け取った。


「……銀貨四枚?」


 相場より明らかに多い。


「いいんですか?」

「あんだけ働いたんだ。むしろ安いくらいだ」


 親方はガハハと笑った。

 それから、少しだけ声を落とす。


「何か辛いことあったんか分からんが……頑張れよ」


 その一言が、妙に沁みた。

 ゼストはしばらく黙ったあと、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……あの、またお世話になるかもです」

「おうよ。あんちゃんならいつでも大歓迎だぜ」


 ゼストは銀貨の入った袋を懐にしまい、夕暮れの通りへ歩き出した。


 Fランクの勇者は、勇者業だけでは食っていけない。

 多くの者は日雇いで日銭を稼ぎ、その合間に訓練し、依頼を受け、わずかなSPを積み上げる。

 そんな実態を、下積み時代がほとんどないゼストは忘れていたのだ。


「……そりゃ、二年は長いよな」


 才能だけでは届かない場所で、泥臭くもがき続ける者たちの生活。

 銀鍵同盟の三人が、どれだけ厳しい環境で職業勇者を続けてきたのか、ゼストは思い知った。


 彼は夕暮れの通りを歩く。

 その背中に、ひそひそとした声が刺さった。


「なあ、あれって元黒之剣のゼストだろ?」

「日雇いで食いつないでるって噂、本当だったんだな」

「Sランクから下水掃除かよ。落ちるとこまで落ちたな」


 笑い声が聞こえた。


 小さな嘲笑。

 悪意のない好奇心。

 優越感の混じった囁き。


 ゼストは足を止めなかった。

 黙らせることくらい簡単だったが、何もしなかった。


 今の自分は、そう見られても仕方がない。


 元Sランク勇者、プロライセンス剥奪、辺境への更迭、そして日雇い労働。

 人の噂になるには、十分すぎる材料が揃っていた。


 『元Sランクのゼストが、日雇いで食いつないでいるらしい』

 そんな噂は、既にルカリス中に広まっていた。


 そして、その噂は当然、銀鍵同盟の耳にも届いていた。


 ☆ ☆ ☆


 二週間訓練、九日目。


 この日は各自の成果をゼストが直接確認することになっており、朝から第77支部の訓練場に集まっていた。


 しかし、いつも集合時間より早く来ているゼストが、今日は来ていなかった。


 十分、二十分、三十分……と、時間だけが過ぎていく。


「――すまん! 寝坊した!」


 ゼストが飛び込んできた。

 息を切らし、目の下にはうっすら隈がある。


 一日中、魔影分体(シャドウ・コピー)を三体出し続けるのに加えて、日雇い労働。

 これを七日間続けたのだから、疲労が溜まるのは当然だった。


 ゼストは荒い息を整えながら、三人を見る。


「悪い。すぐ始めよう。まずはカレンの――」

「座って」


 カレンが短く言った。

 ゼストは目を瞬かせる。


 いつもなら真っ先に怒鳴ってきそうな彼女が、今日は怒らない。

 ただ、静かに座るよう促している。


 その様子に、ゼストは少し戸惑いながらも訓練場の端に置かれた椅子に腰を下ろした。

 レスターとヴァニラも近くに立つ。


 カレンは真正面からゼストを見た。


「Sランク時代の蓄えなんて、本当はないんでしょ?」


 ゼストは一瞬だけ黙った。

 そして、すぐに観念したように息を吐く。


「……まあ、あれだけ街に噂が広がってりゃバレるか」


 彼は頭をかいた。


「そうだ。嘘ついてごめん」


 レスターの表情が曇る。


「ここに来るまでにほぼ使い果たしたんだ。王都からルカリスまで約六か月……贅沢したわけじゃないのに金貨百枚ふっ飛んだよ」

「金貨百枚!?」


 ヴァニラが目を丸くした。


 金貨一枚は、銀貨百枚、銅貨一万枚と交換される。

 その途方もない額に三人は絶句した。


 金貨百枚を使い果たしたということは、それだけの額を稼いでいたことの裏返しでもある。

 つまり、ゼストは本当に別世界の住人だったのだ。


 SランクNo.1パーティの一員として、普通のFランク勇者では想像できない報酬を得ていた。

 その男が今、自分たちのために下水掃除までしている。

 レスターは拳を握りしめた。


「ごめん」


 ゼストが眉を上げる。


「なんでレスターが謝るんだよ」

「だって、僕たちのためにそこまでやってくれて……それに、知らない人たちが勝手にゼストを笑ってる」


 レスターの声には、申し訳なさと義憤が混ざっていた。


「レスター」


 ゼストが静かに名前を呼んだ。

 レスターは顔を上げる。


「勘違いするな」


 ゼストの声は、思ったよりも穏やかだった。


「俺は、お前らのためだけにやってるわけじゃない」

「でも……」

「もちろん、お前らの生活費を稼ぐためではある。でも、それだけじゃない」


 ゼストは椅子に座ったまま、三人を見渡した。


「俺は、俺自身が成長するためにやってるんだよ」


 カレンがわずかに目を細める。


「俺は今まで、戦えば大体どうにかなった。敵を倒せば評価されたし、強ければ仕事が来て金も入った」


 全て事実だった。

 強さ以外のものを磨く必要がなく、強さ以外に何も持っていなかった。


「でも、今は違う。お前らと一緒に強くなりたいんだよ」


 銀鍵同盟(パーティ)を、銀鍵同盟(パーティ)として強くする。

 ゼストは今回の日雇い仕事を通して、『パーティの戦い方』とは、なにも戦闘のことだけを言っているのではないと解釈していた。


「だから、周りの目なんて気にするな。前にも言った通り、お前らは訓練に集中しろ」


 それでも、レスターの顔は晴れなかった。

 どこまでも誠実な男なのだろう。

 自分のために誰かが傷つくことを、簡単には受け流せない。


 ゼストはその顔を見て、少しだけ困ったように笑った。


「……分かった。言い方を変える」


 三人がゼストを見る。


「俺の努力を無駄にしないためにも、死に物狂いで強くなってくれ」


 レスターの目が揺れる。

 ゼストは不敵に笑う。


「そんでもって、さっさと昇格して――笑った奴ら、全員見返してやろうぜ!」


 その一言で、空気が変わった。


 レスターは一度目を閉じ、深く息を吸った。

 そして、ゆっくり頷く。


「……うん。分かった」

「私も、もっと頑張ってみる!」

「言われなくても、見返してやるわよ」


 その声には、もう迷いはなかった。

 ゼストは三人の表情を見て、ようやく満足げに頷いた。


「皆さん、こちらにいらっしゃいましたか」


 四人が振り向くと、第77支部の職員であるメイが、一通の封筒を手に立っていた。

 いつもの事務的な表情ではあるが、どこか少しだけ緊張しているようにも見える。


 レスターが首を傾げる。


「どうかしましたか?」

「先ほど、第77支部に招待状が届きました」


 メイは封筒を両手で差し出した。

 上質な紙。封蝋には、辺境伯家の紋章が刻まれている。


挿絵(By みてみん)


 ゼストは怪訝そうに封筒を受け取る。

 宛名を確認したゼストは、わずかに眉を動かした。


 ゼスト・マクシム様。


 マクスウェル辺境伯からの招待状は、ゼスト個人に宛てられたものだった。

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