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第73話 優先順位

 陽は、すでに傾き始めていた。

 西の空には橙色が滲み、その上から夜の闇が少しずつ広がっている。

 煙が夕焼けを濁らせ、空には不気味な層ができていた。


 ゼストとカレンは基地へ向かって走っていた。


 だが、戦場は簡単には通してくれない。

 中衛から漏れたオーガたちが、あちこちで勇者や辺境軍の兵士を襲っている。


 負傷者を抱えて撤退しようとする兵士たち。

 倒れた仲間を引きずりながら、必死に後退する勇者パーティ。


 そのすべてが、二人の行く道にあった。


「どいて!」


 カレンが叫び、迫ってきたオーガ戦士(ソルジャー)の腕を紅椿(ベニツバキ)で斬り落とす。


 ゼストは横から飛び込んできた通常オーガへロッドを向けた。


「――貫雷撃(レイ)!」


 青白い雷が胸を貫き、オーガが崩れ落ちる。


 だが、倒した先にもまた敵がいる。


 壊れた荷馬車が道を塞いでいた。

 荷台は横転し、積まれていた補給物資が地面に散らばっている。

 さらに、その先では炎上した補給路に怯えた馬が暴れ、兵士たちが必死に手綱を押さえていた。


「くそっ、回り込むぞ!」

「うん!」


 二人は崩れた車輪を飛び越え、燃える木材を避けながら進む。


 その時、横手から悲鳴が上がった。


「いやぁああああっ!」


 ゼストが反射的に視線を向ける。


 そこには、Cランク90位の箱入乙女(パンドレス)がいた。

 金髪のフェイが尻もちをつき、残りのメンバーも負傷している。


 彼女たちの前には、棍棒を振り上げたオーガ。

 あと一拍遅れれば、潰される。


「ゼスト!」


 カレンが叫んだ。


「早く!」


 行くべきだ。


 基地には、レスターたちがいて、オーガ将軍(ジェネラル)を含む大部隊が襲撃している。

 一秒でも早く戻らなければならない。


 ゼストはそれを分かっていた。

 分かっていたのに。


「くっそ!」


 足が勝手に曲がった。

 ゼストは進路を変え、フェイたちの前へ滑り込む。


「――群貫雷撃(レギオン・レイ)!」


 複数の雷が放たれ、オーガの胸と肩と喉を貫いた。

 棍棒を振り下ろす寸前だった巨体が、フェイの目の前で膝をつく。


 見兼ねたカレンも横から踏み込み、首を刎ねた。

 オーガの巨体が地面に倒れる。


 フェイは震えながら、涙目でゼストを見上げた。


「あぁ……ありがとうございますぅ、ゼストさん」

「礼はいい!」


 ゼストは怒鳴った。


「ていうか、本当にCランクかお前ら! 他のパーティのフォローしろよ!」

「わ、分かってますぅ!」

「分かってるなら立て! ここで泣いてる暇があるなら、負傷者を運べ!」

「は、はいぃ!」


 フェイたちは慌てて立ち上がり、近くで倒れていた兵士の方へ走った。


 カレンがゼストに詰め寄る。


 息を切らしながらも、その瞳は鋭くゼストを射抜いていた。

 頬には煤が付き、額から流れた汗が血と混じっている。

 それでも彼女は一歩も引かず、ゼストの胸ぐらを掴みそうな勢いで距離を詰めた。


「優先順位考えてよ……!」


 低く押し殺した声だったが、その奥には焦りと苛立ちが滲んでいる。


 ゼストは一瞬だけ視線を逸らし、すぐにカレンを見返した。

 肩で息をしながらも、その目には迷いが残っている。


「ごめん……でも、俺は今にも死にそうな奴を見捨てることはできない」


 その言葉に、カレンは小さく舌打ちしたが、怒鳴り返すことはしなかった。

 代わりに、ほんの一瞬だけ目を伏せる。


 倒れていた兵士の顔。

 助けを求める声。

 それらが脳裏をよぎったのだろう。


「……ったく、しょうがないわね」


 カレンはため息をつき、ゼストの肩を軽く叩いた。

 その手には、先ほどまでの苛立ちとは違う、わずかな諦めと信頼が混じっていた。


 同じことはその後も続いた。


 倒れた兵士が、足を引きずりながらオーガから逃げようとしている。

 ゼストは雷を放ち、カレンがその兵士を立たせた。


 負傷した勇者が、仲間を背負ったまま転倒している。

 カレンが迫るオーガを斬り、ゼストが肩を貸して近くの兵士へ引き渡した。


 補給路を塞ぐ敵を払い、撤退する者たちのために一瞬だけ道を開く。


 その一つ一つは、ほんの数秒だった。


 数秒の寄り道。

 数秒の救助。

 数秒の戦闘。


 だが、それらが積み重なり、基地へ向かう足を確実に遅らせていく。


「ゼスト」


 カレンが走りながら言った。


「このままだと、間に合わないかもしれない」

「分かってる……分かってる!」


 ゼストは歯を食いしばった。


 優先順位……戦場では、救うべきものを選ばなければ、全部取りこぼす。


 今の最優先は、レスターたちだ。

 それなのに、目の前で死にそうな人間を見捨てて進むことができない。


 自分のせいで誰かが死ぬ。

 その感覚が、ゼストの足を縛る。


 ピピの顔が、ほんの一瞬だけ脳裏をよぎった。


「……行くぞ」


 ゼストは前を向いた。


「ここからは、もう止まらない」

「……うん!」


 二人はさらに速度を上げた。

 瓦礫を越え、煙を抜け、血でぬかるんだ地面を蹴る。


 やがて、前線基地が見えた。

 だが、それは数時間前に見た基地とはまるで違っていた。


 柵は壊され、櫓は倒れ、天幕は血や泥で汚れ、いくつかは炎上していた。

 補給用の荷馬車は横転し、木箱は踏み砕かれている。


 その周囲に、オーガと人間の死体が入り混じって広がっていた。

 そのおびただしい数を目の当たりにし、カレンは思わず口を覆う。


「ひどい……」


 まだ戦いは続いている。

 基地の前では、全身銀鎧のドミニクが巨大な影とぶつかり合っていた。


 彼が相手をしているのは、明らかに通常のオーガではない。

 オーガ将軍(ジェネラル)

 一撃ごとに地面が揺れ、周囲の兵士たちが近づけずにいる。


 その周囲には、まだ数百のオーガが残っていた。

 辺境軍と勇者たちは必死に抵抗しているが、消耗が激しい。

 隊列は崩れ、治療天幕の周辺にも戦闘の痕跡がある。


 ゼストの表情が険しくなる。


「レスターたちはどこだ……!」


 さらに近づいた瞬間。


「いやあああああああああっ!」


 ――誰かの悲鳴が響いた。


 それは、戦場の騒音の中でもはっきり届いた。

 高く、切迫した声。


 カレンが顔を上げる。


「今の……」


 彼女の声が震えた。


「ヴァニラの声……だよね?」


 ゼストは返事をするより早く、身体が動いていた。


「間に合ってくれ……!」


 ゼストは血相を変えて走る。

 カレンもすぐ後に続いた。


 声のした方向は、補給用の荷馬車が並ぶはずだった一角。

 今は炎と土煙に包まれ、視界が悪い。


 その奥で、何か巨大なものが動いている。

 ただ、爆炎の残光と、オーガの咆哮だけが返ってくる。


 二人はさらに加速した。


 道を塞ぐ通常オーガをゼストの雷が撃ち抜く。

 カレンが横から現れたオーガ戦士(ソルジャー)を斬り捨てる。

 足元の死体を越え、燃える布を払い、崩れた荷車の横を抜ける。


 そして、二人は声の出処へ飛び込んだ。

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